ジェイスマ・サイディ・ンドゥレ – Wikipedia

ジェイスマ・サイディ・ンドゥレ[1]Jaysuma Saidy Ndure、1984年1月1日 ‐ )は、ガンビア出身でノルウェー国籍の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで9秒99、200mで19秒89、室内60mで6秒55の自己ベストを持つ、3種目のノルディック記録およびノルウェー記録保持者[2]。200mでは2011年大邱世界選手権と2013年モスクワ世界選手権でファイナリスト(4位と8位)、2007年ワールドアスレチックファイナルで優勝の実績を誇る。ジャイスマ・サイディ・ンドゥレ[3]ジャイスマ・サイディ・ヌドゥレとも呼ばれる[4]

2001年[編集]

ノルウェーに移住[5]

2004年[編集]

7月のアフリカ選手権に出場すると、男子100m決勝で10秒43(0.0)をマークし、オルソジ・ファスバ(10秒21)、イドリッサ・サヌー(10秒37)に次いで銅メダルを獲得した[6]。8月のアテネオリンピックではガンビア選手団の旗手を務めた。男子100mと200mに出場すると、100mは1次予選を10秒26(+0.1)のガンビア新記録(当時)で突破し、2次予選まで進出した[7]。200mでも2次予選まで進出したが、20秒73(+0.1)の組6着に終わり準決勝には進めなかった[8]

2005年[編集]

8月のヘルシンキ世界選手権男子200mに出場し、世界大会で初のセミファイナリストとなった。準決勝では組4着までに入れば決勝に進出できたが、結果は20秒75(-0.1)の組5着に終わり、0秒07差で決勝進出を逃した[9]

2006年[編集]

9月に年間王者決定戦と呼ばれたワールドアスレチックファイナル男子200mに出場し、20秒47(-0.1)のガンビア新記録を樹立するも6位に終わった[10]。12月にノルウェーの市民権を取得[5]

2007年[編集]

8月7日のDNガラン男子100mで10秒07(-1.0)のノルディック新記録およびノルウェー新記録(ともに当時)を樹立し、1996年にゲイル・モーエンがマークした10秒08を塗り替えた[11]。9月のワールドアスレチックファイナルに2大会連続となる出場を果たすと、男子100mでは10秒06(-0.3)のノルディック新記録およびノルウェー新記録(ともに当時)を樹立し、アサファ・パウエル(9秒83)に次いで銀メダルを獲得した[12]。200mでもそれまでの自己ベスト(20秒25)を大幅に更新する19秒89(+1.3)のノルディック新記録およびノルウェー新記録を樹立。ゲイル・モーエンが1996年にマークした20秒17を塗り替え、ウォーレス・スピアモン(20秒18)やロドニー・マーティン(20秒27)を破り、初のメジャータイトルを獲得した[5][13]

2011年[編集]

6月30日のダイヤモンドリーグ・アスレティッシマ男子100mで9秒99のノルディック新記録およびノルウェー新記録を樹立。自身の持つ記録(10秒00)を塗り替え、ノルウェーの選手として初めて10秒の壁を突破した[14]。8-9月の大邱世界選手権には男子100mと200mに出場すると、100mは2大会連続で準決勝敗退に終わったが、200mは準決勝を20秒50(-1.0)で突破して初のファイナリストとなった。決勝では自己ベスト(19秒89)に迫る19秒95(+0.8)をマークしたが、ウサイン・ボルト(19秒40)、ウォルター・ディックス(19秒70)、クリストフ・ルメートル(19秒80)に次ぐ4位でメダルを逃した[15][16]

2013年[編集]

8月のモスクワ世界選手権男子200mの準決勝で20秒33(0.0)をマークし、タイムで拾われて2大会連続のファイナリストとなったが、初のメダルがかかった決勝は20秒37(0.0)の8位に終わった[17]

自己ベスト[編集]

記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風、-は向かい風を意味する。

ガンビア記録[編集]

主要大会成績[編集]

備考欄の記録は当時のもの

ダイヤモンドリーグ[編集]

ダイヤモンドリーグの総合成績を記載。獲得ポイント欄の( )内は出場したポイント対象レースの数を意味する。

種目 総合順位 獲得ポイント
2010 200m 5位 1 (1レース)
2011 200m 3位 5 (3レース)
2013 200m 4位 4 (2レース)

外部リンク[編集]