山塚アイ – Wikipedia

山塚アイ(やまつかあい、1964年2月13日 – )は日本の音楽家、ラッパー。兵庫県神戸市出身。

小山田圭吾が主宰していたTrattria Recordsでは、”ショックシティー(SHOCK CITY)”を担当し、OOIOOやハナタラシのリリースに関わっていた。

1983年にノイズバンド、ハナタラシを結成。以後、大阪を拠点に、ボアダムスをはじめとする様々なバンド、ユニットを結成し活動している。ボアダムスではボーカルを担当しているほか、オープンリール、電子楽器など様々な楽器を感性的に駆使する。ボーカルとしては狂騒的なスキャットを主体とし、常軌を逸した高音の奇声やドスの効いた怒号、ユーモラスなヴォイスパフォーマンスを織り交ぜたハードコア・パンク的なシャウトを多用するが、ボアダムスの音楽性の変遷に伴ってサンプラーやターンテーブルなども扱うようになってからは、以前よりも狂熱的なヴォーカルパートが減少すると共にソフトなアプローチを取り入れた。

1989年にはジョン・ゾーンのアルバム『ネイキッド・シティ』にゲスト参加し[1]、その後、同アルバムから発展したユニット、ネイキッド・シティにも関わった[2]。1990年代前半からアメリカ合衆国など日本国外でも演奏や音源リリースを行うようになった。また、1992年には大友良英を中心としたユニット「GROUND ZERO」の同名アルバムにも参加している[3](リリースは1993年)。1993年にはさらに、ソニック・ユースと連名のEP『TV Shit』をリリースした[4]

たびたび名義を変更しており、山塚アイからヤマンタカEYEへ、さらにヤマタカEYEに変更した。また「eYe」や「EYƎ」などの名義も使う。DJの際にはEYE やDJ 光光光(DJピカピカピカ)を名乗るなど、変名の数も多い。 

ハナタラシを率いていた時期は、ユンボでライヴハウスの壁を壊しながら登場する、ステージ上でガラス板や瓶を投げ壊すなど、過激なパフォーマンスをして多くのライブハウスに出入り禁止にされていた。

音楽活動のほかイラストレーターとしても活躍しており、海外での個展の開催、画集の発表など多岐にわたる。大竹伸朗とはヤマンタカEYE名義で『ヤマンタカ日記』(1995年)『ドンケデリコ』(1996年)などのアートブックを出版している。Beckの『Midnite Vultures』(1999年)のジャケットもアイによるものである。

1995年、『浅草橋ヤング洋品店』の「ナインティナインの史上最悪最強のバンド計画3」というコーナーに、講師として中原昌也や町田町蔵らとともに出演したこともある。その頃の独特のヘアースタイルは瞬間接着剤を髪の毛に付けたものである。

バンド・ユニット[編集]

  • ハナタラシ
  • オーディオ・スポーツ
  • パズル・パンクス(大竹伸朗とのユニット)
  • グラウンドゼロ
  • UFO OR DIE
  • 南海ホークウインド
  • AEO (EYE+Sawai+Jo)