大和ヒロシ – Wikipedia

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大和 ヒロシ(やまと ヒロシ、1983年10月20日 – )は、日本のプロレスラー。本名:三原 弘嗣(みはら ひろし)。千葉県君津市出身。東京農業大学卒業。

小学校3年生時に町内の少林寺拳法道場に入門[1]。中学時代はバスケットボールとサッカーに励み、高校から大学まではレスリング部で活躍。君津青葉高校3年生のときに千葉県高校総体で85キロ級優勝[2][3]、その年の国体ではグレコローマンでベスト16入り[2]。大学時にはJOC杯ジュニアオリンピック76kg級で3位の成績を上げている[4]

2006年に行われた武藤塾の新人オーディションに合格し全日本プロレスに入門。合格ラインはギリギリであったが、自己アピールで得意の滝口順平といっこく堂のモノマネを披露し、それが合格の決め手となった。「大学時代にバイトで綿あめ売りをしていた時に、余興でやっていたものまねが役に立った」[2]

全日本プロレス[編集]

2007年2月に、同期入門のKAIと共にメキシコ修行に出る。2月22日に、IWRGにてYAMATOのリングネームでデビュー。KAIとのタッグで見事に初試合で初勝利を挙げている。ちなみに本人は試合中に記憶が飛び、気づくと控え室にいてKAIから試合が終わったという事実を聞いたという。

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6月3日、KAI、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。

7月26日メキシコシティにて、30人で争ったREY DEL RING王座を奪取。デビュー5か月で早くも初タイトルを獲得した。8月5日に王座防衛に成功。

2008年2月17日の後楽園ホール大会で『大和ヒロシ』のリングネームで日本デビュー戦を行い、同期の真田聖也&T28から勝利を奪った(パートナーはKAI)。その後、KAIとのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司、中嶋勝彦組、NOSAWA論外、MAZADA組から大金星をあげた。

5月シリーズから怪我のため欠場していたが、7月20日の後楽園ホールにて、真田聖也と組み、土方隆司、征矢学と復帰戦を行った。結果は土方に負け、「3か月は埋められなかった」と発言し、ジュニア・ヘビー級リーグ戦へエントリーされなかった悔しさを露にした。そして、「またイチからやりなおしたい」と語った。

F4[編集]

8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、KAIと共に救出。小島、KAIと新ユニット「F4」を結成し活動して行く事を宣言した。

また、10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと対戦するが惜しくも敗れる。

11月3日、F4として天山、NO LIMIT(高橋裕二郎&内藤哲也)と対戦。結果は負けてしまうも対戦相手を何度も苦しめるなど、キャリアの差を感じさせない攻防を見せた。[独自研究?]

2009年11月23日、カズ・ハヤシ、近藤修司とのタッグマッチに相棒のKAIと組んで挑む。結果は、グラウンドコブラツイストでカズ・ハヤシからピンフォール勝ち。最強タッグ最中でジュニアヘビーの選手にはテーマが無いと思われた中、先の神戸大会でぶちあげた世代交代の波にいち早く乗りつけた。[独自研究?]しかしその後は勝利に恵まれず、結果世界ジュニアヘビー級王座の挑戦権を渕正信に奪われてしまう。

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それから大幅な肉体改造に着手。努力の甲斐あって12kgの減量に成功し「バキバキ」ボディを手に入れた。

2010年、新春シャイニングシリーズ2日目のジュニアヘビー級バトルロイヤルで優勝。試合後世界ジュニア王座挑戦を表明、シリーズ最終戦での選手権試合では、戦前に王者カズから『最低の挑戦者』等と罵られていた[要出典]が、前哨戦、そして本番と王者はおろか観客まで熱狂の渦に巻き込むファイトを展開した。[独自研究?]

2月、F4がブードゥー・マーダーズとの解散マッチに敗れたためユニット解散。

人間凶器[編集]

4月の世界ジュニア王座戦(カズ・ハヤシ対BUSHI)の直後、それまでタッグを組んでいたKAIとの決別を宣言。張り手一閃の後、近藤修司とのタッグを組む。その年のジュニア・タッグリーグ戦では決勝戦まで勝ち進むも、BUSHI、スペル・クレイジー組に敗北し準優勝。かつて近藤の盟友であった、”brother”YASSHIのようなコンビプレーを見せ、当の近藤から『人間凶器』と呼ばれた。[要出典]このタッグで7月1日酒田大会ではTARU&ビッグ・ダディ・ブードゥーのアジアタッグ王座にも挑戦。8月シリーズでは、またもVMとの敗者チームキャプテン髪切りマッチに敗北し、坊主頭となった。

2011年1月23日、結婚していたことを武藤敬司に暴露された。

1月24日、GAORA20周年記念興行「スーパーファイト2011」にて、DRAGON GATE所属のYAMATOとシングルマッチを組まれる。結果は敗北したが、何故か試合前に鼻血を流すなど、相当のインパクトを他団体ファンもいる中で残した[独自研究?]

情熱バカレスラー[編集]

8月13日、後楽園ホールにてKAIの持つ世界ジュニア王座に挑戦。20分を超える死闘を演じたが、王座奪取はならなかった。

10月、佐藤光留と三番勝負で2勝1敗で勝ち越す。

2012年は、佐藤光留とタッグを組みジュニア・タッグリーグ戦に出場。

7月、JUNIOR HYPER LEAGUEの決勝に進出し、師匠の近藤修司を下し初優勝。次シリーズ開幕戦の後楽園ホールで王者のKAIを倒して、第33代世界ジュニアヘビー級王者となる。

しかし、2013年1月2日後楽園ホール大会において、近藤修司が保持するGHCジュニアヘビー級王座とのダブルタイトルマッチに敗れた。[5]

2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団した。

WRESTLE-1[編集]

WRESTLE-1の旗揚げに参加。スケスケのガウンを着て、大和本人がオリジナル曲「進み続ける限り」を歌いながら入場する。

2014年7月6日、両国国技館にてレオン・ヴァン・ガステレンの持つEWPインターコンチネンタル王座に挑戦。3分12Rという変則ルールに苦しみながらも、見事王者を下し王座を獲得。

10月26日、ベストフィジーク・ジャパン&ベストビキニ・ジャパン東日本大会で3位入賞。12月13日に全国大会に出場する。

2015年よりストリートミュージシャンとしても活動することを発表。リングでの歌いながらの入場を終了する。

2016年1月10日、アンディ・ウーの持つWRESTLE-1クルーザーディビジョン王座に挑戦し勝利。WRESTLE-1では初のタイトル奪取となる。同王座に挑戦するため612名の署名を集めた。

しかし3月から長期欠場に入り、欠場期間中はツイッターなどで「#営業部長大和ヒロシ」として営業活動を行っていたほか、千葉で大和プロデュース大会の営業活動を行っていた。

2017年6月4日、欠場中ではあったが大和ヒロシデビュー10周年記念大会を開催。メキシコ遠征を控える藤村康平の壮行試合のレフェリーを務めた。

2018年3月に復帰。数日後フリー転向を表明。

フリー転向後[編集]

フリー転向後はZERO1、プロレスリング・ノア、2AW、DRAGON GATE、DDTプロレスリングなどに参戦。

2022年2月24日にはP.P.P. TOKYO主催の東京・SOD LAND大会に参戦。バトルロイヤルを勝ち抜き「初代マジックミラー号マスク」の座を勝ち取る[6]。3月22日にはSOD女子社員をディーバにつけ、マジックミラー号マスクとして初の試合を行った[7]

ジャーマンスープレックス
現在のフィニッシャー。
クロスアームスープレックス
日本凱旋帰国当時から使用している。KAIとの一騎討ちの際、ジャーマンスープレックスを返された時にこの技をすぐさま繰り出して勝利するなど、奥の手として重宝されている。また、ケニー・オメガを挑戦者に迎えた2012年10月7日後楽園ホールでの世界ジュニアヘビー級選手権では、フィニッシュ直前の攻防で流血しながらも片手四つでケニーの攻撃を受け切り、最後はガッチリと両手をホールドして投げ切り3カウントを奪った。
ノーザンライトボム
スパイダージャーマン
83kgの『バキバキ』ボディを披露した辺りから多用している。
ゼロ戦キック
菊地毅のオリジナル技。本人曰く、自分のこの技は新型のゼロ戦らしく、菊地との対戦の際に「新型が旧型を撃ち落す」と宣言していた。
奇襲トペ
リングサイドやリング下にいる対戦相手に、思いもよらぬタイミングで仕掛ける。KAIとの試合で使用した際は、その角度やタイミングがあまりにも危険だったため、レフェリーの和田京平からひどく叱られたことも。
大和ブリッジ
どの技のことを差しているのかは不明だが、プロレス団体公式サイトのプロフィールに常に書かれている。
ジャイアントスイング
使用の体勢に入り、「回すぞー」と叫んでから回すのが通例となっている。体重が明らかに重い相手に対しては、体がうまく持ち上がらないが、そのまま相手の後頭部をマットに擦りながら回す事によりダメージを与えることに成功している。
カミカゼ
一直線
コーナーポストに、マットに背を向けて立ち、そのまま後頭部から落下するダイビング・ヘッドバット。所謂、「逆こけし」。相手を肩車したまま倒れる形のものやリング上でランニング式に決める形のものもある。しかし、同技は顔が上を向いた状態のまま着地点が見えない状態で落下し避けられると大和自らが大ダメージを受ける危険な技。この技が原因で頚椎を痛めたため長期欠場になり復帰戦を行う前には同技を封印することを宣言している。
スライディングX
座り込んだ相手に対してスライディングしながら決めるクロスチョップ。

タイトル歴[編集]

全日本プロレス
WRESTLE-1
富士山頂プロレス
  • 富士山頂プロレスチャンピオン(第2代)
ベストボディ・ジャパンプロレス
  • BBWタッグ王座(第2代)(パートナーは諸橋晴也)
バトスカフェ
  • レッスルブレインカップ王座(第7代)(パートナーは唯我、定アキラ)
DDTプロレスリング
その他
  • REY DEL RING王座
  • EWPインターコンチネンタル王座
一般社団法人ベストボディ・ジャパン協会
  • ベストフィジーク・ジャパン&ベストビキニ・ジャパン2014 東日本大会 ミスター・ベストフィジーク部門(第3位)
  • ベストフィジーク・ジャパン&ベストビキニ・ジャパン2014 日本大会 ミスター・ベストフィジーク部門(第8位)

メディア出演[編集]

TV[編集]

  • 全日本大失敗選手権大会(2019年8月14日、NHK総合) – 優勝

舞台[編集]

  • 撃弾☆ボディプレス『イキザマ』(2015年12月25日 – 27日、北千住シアター1010) – ヘラクレス田中 役[8]
  • 魔界(2016年 – ) – 土方歳三役
  • 「ノリノリ海苔のリノベーション」
    • 2020年1月から使用。シンガーソングライターの塚越智朗が楽曲を提供し作詞は大和と塚越による共作。上総海苔をテーマにした応援歌で入場時に大和自身がマイクを持ち歌う[9]
  • 「進み続ける限り」[10]
    • W-1旗揚げ以降使用。自身歌唱によるオリジナルテーマソングで入場時もマイクを持ち自分で歌う。作詞作曲は現ZUNTATA所属の森正樹[11]
  • 「HABATAKE!」 (GANGA ZUMBA)
  • 「いいあんべえ」 (THE BOOM)
    • メキシコ時代のテーマ曲。
  • 「TROPICALISM」 (THE BOOM)
    • メキシコでのデビュー戦でのみ1曲だけ使用された幻のテーマ曲。
  • 「蒼い夕陽」 (THE BOOM)
    • 佐藤光留とのタッグチーム「情熱変態バカ」のテーマ曲。
  • 雑誌のインタビューによると中学時代は夜中に学校に忍び込んでガラスを割ったり、授業中に騒いだりと所謂問題児で、中2になると部活も辞めて登校拒否をしていた。
  • 大学時代に教員免許を取得。そのほか3級販売士、測量士補の資格を取っている。
  • NESTA(全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会)認定パーソナルフィットネストレーナーの資格を取得しており、+AJPスポーツ&スパの特別講師をすることもある。
  • 特技はモノマネで、レパートリーは50を超えるという。しかし最近は喉への攻撃などから少し声が変わりできなくなっているという。
  • カラオケ好きと言っている。しかしながらその選曲は20代前半のそれとは全く異なり、20年以上も前のあまりヒットしていないような楽曲が多い。
  • メキシコ遠征中、マスカラ・コントラ・カベジュラ戦で敗北し、丸坊主になったことがある。
  • 2008年 GROWIN’UP SERIESより、試合前のメインMCを努めることになった。デビュー以前から喋りが得意であり、雷陣明がMCの時には雷陣が口パクをして大和がそのナレーションを担当していた。
  • 自身のブログでは当初、日常生活についてあまり書かず「弘千代詩集」というタイトルで自身が作った詩を公開していた。またブログにて若くして引退した健介オフィスの山口竜志に向けて詩を送った。
  • マンガの知識が深く、特にカイジ、バキ、ジョジョの奇妙な冒険に詳しい。その中でもジョジョの奇妙な冒険に対する知識はマニアックで、ブログやコラムにおいて言及するだけでなく、キャラクターTシャツを着た写真をブログに掲載することもある。
  • THE BOOMの大ファンであり、入場テーマ曲にも使用。ファンクラブ会報誌にて、ドラムの栃木孝夫より直々に『(プロレス)デビューする時は、是非THE BOOMの曲で』とコメントされた。
  • 自身がバーテンを務める、“大和バー”なるイベントを時々、場所を変えて開催している。第一回は北千住のダイニングバー・カズ(オーナーはカズ・ハヤシ)にて2009年9月23日開催。その後、渋谷、君津、千葉などで開催されている。
  • 「大和」つながりで、以前より訪問を希望していた広島県呉市の呉・大和ミュージアムに2011年6月22日初来訪。1/10スケールの戦艦大和を見た感想は、「これだけすごいと、松本零士も宇宙に飛ばせたくなりますね」
  • フリー転向後は、参戦する試合会場にてパッケージに自身の写真がプリントされた上総海苔を販売している。

関連項目[編集]

同期入門
同郷出身
  • 渡辺あゆ香 – 大和ヒロシの主催興行で歌を披露している。

外部リンク[編集]


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