Month: October 2019

モード (ノルウェー王妃) – Wikipedia

モード・オブ・ウェールズ (英語: Maud of Wales, Maud Charlotte Mary Victoria, 1869年11月26日 – 1938年11月20日)は、ノルウェー王ホーコン7世の王妃。1319年以来、単独の王国として絶えていた(その間デンマークあるいはスウェーデンの王がノルウェー王を兼ねる同君連合が続いていた)ノルウェーに、約600年ぶりに復活した王妃である。ノルウェー語名はモード(マウド)・アヴ・ストールブリタニア(Maud av Storbritannia)。 イギリス王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)アルバート・エドワード(後のエドワード7世)とアレクサンドラ・オブ・デンマークの末子としてロンドンで生まれる。幼い頃から高い知性を見せ、「ハリー」というあだ名がつけられた。母アレクサンドラが毎年故国デンマークを訪問するのに同行し、時には母と母の姉妹たちに連れられて、ノルウェーや地中海のクルーズ旅行をした。 1896年6月22日、モードはバッキンガム宮殿のチャペルで、従弟にあたるデンマーク王子カールと結婚した。カールは母アレクサンドラの兄であるデンマーク王太子フレゼリク(後のフレゼリク8世)の次男だった。花嫁の父エドワード王太子は、イギリスに滞在するときの住まいにするようにとサンドリンガムの館をモードに与えた。その館で、1903年7月にモードとカールの一人息子アレクサンダー(のちのオーラヴ5世)が生まれた。 カールはデンマーク海軍士官であったため、1905年までは一家は主にデンマークに住んだ。1905年7月、ノルウェー議会は1世紀にも及んだスウェーデンとの同君連合を解消し、国民投票の結果、カール王子を新しいノルウェー国王に選出した。カールはこれを受諾し、自らの名をノルウェー風にホーコン7世とし、息子アレクサンダーの名前もオーラヴとした。1906年6月、ホーコンとモードはトロンハイムのニーダロス大聖堂で戴冠した。 モードは王妃になっても、故国イギリスを変わらず愛した。一方で新しい母国に素早くなじみ、王妃としての責務を果たした。特に子供や動物に関したチャリティーを支援し、音楽家や芸術家への支援もおこなった。モードは首都オスロを見渡せる町コングスセテレンの英国庭園を整備したり、スキーを習った。モードが最後に英国国民の前に姿を見せたのは、1937年の甥ジョージ6世の戴冠式だった。彼女はウエストミンスター寺院で義理の姉メアリー・オブ・テックの隣に座った。 1938年11月20日、モードは心臓手術の3日後にロンドンで急死した。遺体は軍艦に乗せられてノルウェーへ帰り、アーケシュフース城の王立墓地に葬られた。 関連項目[編集]

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コンサーティーナ – Wikipedia

1856年の英国の絵「盲目の少女」(英語版)に描かれたジャーマン・コンサーティーナ。少女の首の下の白い札には”Pity the Blind”(盲人に憐れみを)と書いてある。 コンサーティーナ (concertina) は、アコーディオン族に属するフリーリード楽器で、蛇腹楽器の一種である。 通常正六角形または正八角形の小型の手風琴(てふうきん)で、欧米の民俗音楽などでよく見かける楽器である。名称は日本語ではまだ固定表記が無く、「コンサーティーナ」のほかにも、コンサーティナ、コンサティーナ、コンサルティーナ、コンセルティーナ、コンセルチーナ、コンサルチーナ、コンチェルティーナ、コンツェルティーナ、コンサーチナ、コンサチーナなど様々な表記を見かける。[注釈 2] 蛇腹楽器の中では最も軽量な部類の楽器で(通常のアングロ・コンサーティーナの重さは1 kgから2 kgの間)、取り回しも楽であるが、メロディーや和音伴奏も弾けるなど演奏性能は高い。基本は座奏だが、慣れれば立奏や歩奏も可能で、室内でも野外でも使える。弾きながら語ったり、歌うこともできる。 コンサーティーナを活用する音楽のジャンルも幅広く、世界各地の民族音楽や、西洋のクラシック音楽、現代的な通俗音楽、家庭音楽や商業音楽など、さまざまな音楽シーンで見かける。 ただ、コンパクトな楽器本体に比較的多数のボタン鍵盤と金属リードを詰めこまねばならないため、構造上、妥協や制約を余儀なくされる面もある。コンサーティーナは種類ごとにボタン鍵盤の配列法や蛇腹の押し引きの方式がまちまちであり(種類を参照)、ボタン鍵盤数の少ない機種では鳴らせない半音もある。 逆に言うと、コンサーティーナの奏者は自分の機種の特性にあった運指や奏法を工夫できる余地が大きく、それがこの楽器の面白さと奥深さにつながっている。 見分けかた[編集] アコーディオンとの違い[編集] アコーディオンの形状は左右非相称だが、コンサーティーナは(バンドネオンと同様)左右相称である。 アコーディオンは、右手側と左手側の筐体(きょうたい。器械を内蔵した箱)では形状も機能も違う(フリーベースアコーディオン等の例外を除き、演奏者から見て右手側の筐体は主旋律を担当、左手側の筐体は和音伴奏を担当することが多い)。また右手側の筐体はベルトで演奏者の体に固着し、左手側の筐体を左右に動かすことで蛇腹の押し引きを行うタイプが多い。 コンサーティーナ(とバンドネオン)は、左右の筐体は形状も機能もほぼ同じで、筐体をバンドで演奏者の胴体に固着させることはない(まれに、立奏のため首から紐で吊り下げたりすることもあるが、その場合でも筐体は演奏者の体に固定しない)。蛇腹楽器のバンドの有無についての説明も参照。 コンサーティーナ(青い服の女性。イングリッシュ・コンサーティーナ)は左右相称。アコーディオン(赤い服の男女)は左右非相称。

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アルフォンソ・アロンソ – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアロンソ、第二姓(母方の姓)はアラネギです。(Template:スペイン語圏の姓名) アルフォンソ・アロンソ Alfonso Alonso ビトリア=ガステイス市長 任期1999年7月4日 – 2007年6月16日 スペイン下院議員 任期2008年3月9日 – 2016年10月17日 スペイン政府 保健・社会サービス・平等大臣 任期2014年12月3日 – 2016年8月16日 個人情報 生誕 Alfonso Alonso Aranegui (1967-04-14)

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とちてれ★アニメフェスタ! – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “とちてれ★アニメフェスタ!” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年9月) とちてれ★アニメフェスタ!Tochigi-TV Anime Festa! メインステージとして使用されるオリオンスクエア(栃木県宇都宮市) イベントの種類 一般イベント 開催時期 毎年5月初旬 初回開催 2012年5月6日 会場

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瑞恩ミカエル – Wikipedia

瑞恩ミカエル 生誕 ミカエル・ウィリアム・ズイオン (1989-08-04) 1989年8月4日(32歳)・アメリカ合衆国ロサンゼルス 別名 MIKHAÉL, Trevi Eno, WAVEBOY 職業 歌手 ソングライター ミュージシャン 音楽プロデューサー アナウンサー 活動期間 2010年 – 現在

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説経祭文 – Wikipedia

説経祭文(せっきょうざいもん、せっきょうさいもん)は、江戸時代中期、起源の異なる中世以来の芸能である説経節と祭文語りの双方が結びついて生まれた門付芸・大道芸である。 説経節と祭文[編集] 説経節[編集] 説経節(せっきょうぶし)は、日本の中世に興起し、中世末から近世にかけてさかんに行われた語りもの芸能で、仏教の唱導(説教)から唱導師が専門化され、声明(梵唄)から派生した和讃や講式などを取り入れて、平曲の影響を受けて成立した民衆芸能である[1][2]。 イエズス会宣教師のジョアン・ロドリゲスが編んだ辞書『日本大文典』(1604年-1608年)に「七乞食」(日本で最も下賤な者共として軽蔑されてゐるものの七種類)のひとつとしてSasara xecquió (「ささら説経」)を挙げ、それを「喜捨を乞ふために感動させる事をうたふものの一種」と説明しており、ささらを伴奏にして語られる説経節が乞食芸であったこと、そして、乞食のなかでも最下層のものと見なされていたことがわかる[1][3]。 おもな演目は「苅萱」「俊徳丸(しんとく丸)」「小栗判官」「山椒大夫」「梵天国」「愛護若」「信田妻(葛の葉)」「梅若」「法蔵比丘(阿弥陀之本地)」「五翠殿(熊野之御本地)」「松浦長者」などであり、主人公の苛烈な運命と復讐、転生などをモチーフに中世下層民衆の情念あふれる世界を描いている。 古説経(初期の説経節)のテキストにおける節譜として、「コトバ(詞)」「フシ(節)」「クドキ(口説)」「フシクドキ」「ツメ(詰)」「フシツメ」の6種が確認されている[4][5]。説経節は基本的に「コトバ」「フシ」を交互に語ることで物語を進行させていったものと考えられるが、「コトバ」は日常会話に比較的近い言葉であっさりとした語り、「フシ」は説経独特の節回しで情緒的に、歌うように語ったものと考えられる[5]。これに対し、「クドキ」は沈んだ調子で哀切の感情を込めて語り、「フシクドキ」はそれに節を付けたものと考えられ、節譜への登場はわずかであるが、そこでは「いたはしや」「あらいたはしや」の語が語られるのを大きな特徴としていた[4]。 説経与七郎正本『さんせう太夫』(寛永16年頃) 人買いによって船で丹後に運ばれる安寿姫と厨子王丸。 近世に入って、三味線の伴奏を得て洗練される一方、操り人形と提携して小屋掛けで演じられ、庶民の人気を博し、万治(1658年-1660年)から寛文(1661年-1672年)にかけて、江戸ではさらに元禄5年(1692年)頃までがその最盛期であった[1][2][6]。義太夫節に押されて早々と廃れてしまった上方に対し、江戸は三都のなかで最も説経節がさかんで、元禄年間には天満重太夫、武蔵権太夫、吾妻新四郎、江戸孫四郎、結城孫三郎らが櫓をかかげて説経座を営んだほか、説経太夫としては村山金太夫や大坂七郎太夫があらわれた[1][7]。 しかし、18世紀初頭をすぎると江戸においても説経節による人形操りは衰退し、享保年間(1716年-1736年)にあらわれた2世石見掾藤原守重あたりを最後に江戸市中の説経座は姿を消してしまい、再び、大道芸・門付芸となった[1][2]。その時点で古い説経節のスタイルは消え、構成も詞章も浄瑠璃の影響の強い説経浄瑠璃のかたちになっていた。 祭文[編集] 詳細は「祭文」を参照 『人倫訓蒙図彙』(1690)より「祭文」挿図 山伏による祭文語り 仏教に起源をもつ説経節に対し、祭文は神道に主たる起源を有し、本来は祭りのときなどに神祇に対して祈願や祝詞(のりと)として用いられる願文であったが、神仏習合の進行著しい中世にあっては山伏修験者に受け継がれることとなった[8][9]。修験者による祭文はやがて仏教の声明の影響を強く受け、錫杖や法螺貝を伴奏として歌謡化し、さらに修験の旅にともない日本列島各地に広がった[2][9]。山伏は神事祈祷に際し祭文をよみあげ、神おろしや神の恩寵を願ったのである[10]。祭文はさらに巫女など下級宗教者や声聞師など門付芸人の手にもわたって、その勧進活動・芸能活動にともない各地に伝播し、地方の文芸や娯楽に寄与し、さらに農村の宗教行事と結びついて、悪霊退散の呪詞などとして定着した[9][11]。 歌祭文の唄本「油屋お染久松」 江戸時代に入ると、祭文は説経節同様に三味線などと結びついて歌謡化し、これを「歌祭文」もしくは「祭文節」と称した[2][11][12]。歌祭文(祭文節)は、元禄以降、「八百屋お七恋路の歌祭文」「お染久松藪入心中祭文」などといった演目があらわれ、世俗の恋愛や心中事件、あるいは下世話なニュースなども取り入れ、一種のクドキ調に詠みこむようになった[2][9][注釈

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岩手県立水沢高等学校 – Wikipedia

岩手県立水沢高等学校(いわてけんりつみずさわこうとうがっこう, 英: Iwate Prefectural Mizusawa High School)は、岩手県奥州市水沢にある公立高等学校。略称水高(みずこう)。 歴史 1911年(明治44年)に開校した「胆沢郡立実科高等女学校」を前身とする(実科高等女学校としては県内初の設置)。2011年(平成23年)に創立100周年を迎えた。 設置課程・学科 (2010年度(平成22年度)募集まで) 全日制課程 2学科 2007年度(平成19年度)から、1年次は全日制普通・理数科に改変(括り募集)。2年次から、普通科文系(3クラス)か普通科理系(3クラス)または理数科(1クラス)のいずれかを選択し、文系は3年次から普通科国立文系(2クラス)、普通科私立文系(1クラス)のどちらかを選択する。 設置課程・学科 (2011年度(平成23年度)募集から) 全日制課程 2学科 普通科(1組~5組) 理数科(6組)

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チジク (路面電車) – Wikipedia

チジク(ロシア語: Чижик、英語: Chizhik)は、ロシア連邦・サンクトペテルブルクの路面電車(サンクトペテルブルク市電)のうち、2018年以降民間企業によるコンソーシアムによって運営されている系統の愛称。線路の改修や列車の高速化、超低床電車の導入など多数の近代化が行われている[5][6][7]。 サンクトペテルブルク市電はソビエト連邦時代、世界最大の路線網を有していたが、ソビエト連邦の崩壊による経済の混乱に加え、モータリーゼーションの進展や工場の移転による輸送需要の変化により利用客が減少し、路線の廃止が相次いでいた。さらに、サンクトペテルブルク市当局も2000年代に路面電車網を路線バスに置き換える計画を示しており、予算がバスへ重点的に投資された結果、路面電車の整備も遅々として進まなかった。同年代以降は路線の復活や超低床電車の導入などの近代化が行われたものの、車両数が路線規模に対して少ないことで都心部でも本数が少ない系統が存在する他、列車の運行自体も自動車の混雑や渋滞に巻き込まれ、高速運転が難しい状況になっている系統が多かった。加えて軌道や施設の老朽化や不足も2010年代のサンクトペテルブルク市電にとって大きな課題となっていた。そこで打開策として考案されたのが、国営企業のゴルエレクトロトランス(Горэлектротранс)が運営を担っていた系統のうち一部を民間企業へ委託すると言う官民パートナーシップ事業であった。ロシア連邦において、民間企業が路面電車の運営に携わるのはこれが初めての事例であった[5][6][8]。 この計画に際し、建材製造や不動産事業に携わるLSRグループ(LSR Group)を中心に、ライダーグループ(Lider Group)や国内外の投資家たちが参加したコンソーシアム「TKK(«Транспортная концессионная компания»)」が立ち上げられ、2016年5月30日にサンクトペテルブルク市との間に30年間の委託契約が結ばれた。対象となったのは東部のクラスノグヴァルデイスキー地区のうち、ロシア鉄道のラドシュスキー駅に接続するサンクトペテルブルク地下鉄4号線のラドーシスカヤ駅(ロシア語版)を基点とする系統で、これらの路線には「チジク」と言う愛称が付けられた[4][5][6][7][8][10]。 同年から対象となる系統を運休しての大規模な近代化工事が始まり、当初は2017年8月に第1期計画が完成し、翌2018年に全工程を完了させる予定であったが、土地の買収や設計の承認の遅れによりスケジュールに遅延が生じ、第1期計画は2018年3月7日に、残りの計画は2019年9月1日までに完了した。2020年現在は4系統が運行しており、平日に10万3千人以上、休日に6万5千人以上、年間3,332万人の利用客を見込んでいる[2][5][6][7][8]。 TKKによって運営される路面電車「チジク」では以下のような大規模な近代化工事が実施され、新型車両導入や系統新設など運用面でも大規模な再編が行われた[3][4][5][6][7][8][11]。 施設の改修 – 「チジク」の路線網では終端のループ線を含めた線路の改修工事が行われ、レールやバラストの交換、鉄筋コンクリート製枕木の交換、騒音を抑えるためポリマー繊維を用いた繊維補強コンクリートスラブの導入などが行われた。また、一部に存在した単線区間についても複線化工事が行われ、運転本数の増加に対応させた。これらの路線は自動車が通行する区域と分離され、実質的な専用軌道となっている[6][7][3][12]。 停留所の改築 – 「チジク」の運行路線では停留所の改築工事が行われ、屋根やベンチが設置された他、次の列車の到着時間や系統を表示する電子案内表示装置、緊急時の通報ボタン、視覚障害者向けの音声案内(говорящий город)など利用客の利便性向上を図る設備も導入された[3][11]。 新型車両の導入 –

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妹尾知之 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “妹尾知之” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年9月) 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年9月) 妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 – 昭和59年〈1984年〉)は、日本の海軍軍人。海軍中将。海軍兵学校40期生。海軍大学校22期生。 私立日彰館中卒業。 明治45年(1912年)7月17日、海軍少尉候補生となり、宗谷乗組となる。 大正 2年(1913年)5月1日、周防乗組となる。 大正

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