ヴィッカース A1E1 インディペンデント重戦車は、イギリスにおいて戦間期に製造された多砲塔戦車である。 ヴィッカース社によって、戦間期の1925年に製造された。試作段階にしか達しなかったものの、多数の戦車の設計に影響を及ぼした。 戦車に”A”、装軌式装甲車に”B”、装輪式装甲車に”D”で始まる参謀本部制式番号(General Staff number)を付与する方針により、イギリス陸軍初の制式重戦車として”A1″の参謀本部制式番号が与えられた。これに1番目の試作車を意味する”E1″を加え、”A1E1″とされた。 インディペンデントは実戦には一度も参加しなかったが、各国陸軍は本車を模倣した。A1E1のデザインが影響したとみなせるものとしては、ソビエト連邦のT-28中戦車とT-35多砲塔戦車、ドイツのノイバウファールツォイク、さらにイギリス軍のMk.III中戦車と巡航戦車 Mk.I(3砲塔型)、日本の試製1号戦車、アメリカのT1重戦車などの戦車が挙げられる。ソ連赤軍のT-35多砲塔戦車は、本車の計画とレイアウトに多大な影響を受けたものであった。 また、A1E1が大型・高価な戦車(戦艦に相当)となる事から、それを補うための小型・安価な戦車(駆逐艦に相当)としてイギリスはカーデン・ロイド豆戦車を開発し、多くの国が購入、あるいは模倣した豆戦車を開発し、間接的な影響を与えた。 なお、A1E1が、多砲塔戦車の元祖とされるが(影響力という点では間違いではない)、厳密には、フランス陸軍のシャール 2C重戦車の試作車は、前後2基の砲塔を持つ多砲塔戦車であり、A1E1よりも4年も早い1921年に完成している。 1924年にイギリス陸軍参謀本部は、歩兵の支援無しに単独で塹壕を突破可能な、重戦車の試作車を発注した。1925年に製造され、1926年に試作車が陸軍省に納入されたものの、資金不足のために開発は放棄されることとなった。 本車自体の開発は中止されたものの、中戦車 A6、Mk.III、巡行戦車 Mk.I、Mk.III、Mk.VI クルセイダーは、全て多砲塔であり、後の多くのイギリス戦車の設計に影響を与え続けた。 なお、中戦車であるものの、A6とMk.IIIは、重戦車であるA1E1と、大きさはほとんど変わらず、装甲厚と重量は半分で、主砲はどちらも3ポンド(47 mm)砲で、後部副砲塔の2基が減っている(その分、全長を短くできる)が、実質上、A1E1の量産車と言っても差し支えない(ただしMK.IIIも財政的な理由から量産されなかった)。 現在、インディペンデント多砲塔戦車はイギリスのボービントン戦車博物館で保存されている。
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