鉄原郡 (南) – Wikipedia

鉄原郡(チョルォンぐん、てつげんぐん)は、朝鮮半島中部、大韓民国江原道にある郡である。軍事境界線を挟んで、北朝鮮にも同名の行政区域がある。

分断前の地理・歴史については鉄原郡を参照

旧鉄原邑が壊滅したあと、葛末面(現在の葛末邑)に新たに作られた中心市街は、新鉄原と呼ばれている。

現郡域の西側半分が旧鉄原郡で、東側は旧金化郡の南部にあたる。郡域が東西に伸びたため、軍事境界線の全長の約28%が郡を通過することとなった。

  • 1953年7月27日 – 朝鮮戦争の休戦に伴い、鉄原邑・葛末面・東松面・新西面の全域と於雲面・畝長面の大部分・寅目面・北面・乃文面のそれぞれ一部を韓国が収復
  • 1954年10月21日 – 収復地区臨時行政措置法により、鉄原郡に対する施政権が回復。下記の1邑3面で再出発。
    • 鉄原邑(畝長面を編入)・葛末面・東松面(於雲面を編入)・新西面(寅目面の収復地区を編入)
    • その他、非武装地帯内の民間人非居住地区として北面の楡井里・洪元里および乃文面篤倹里を設置。
  • 1963年1月1日 – 行政区画の見直しを実施(2邑9面)。
    • 金化郡の韓国政府統治区域(金化邑・西面・近北面・近東面・近南面・遠東面・遠南面・任南面)を編入。
    • 新西面(寅目面の収復地区を含む)が京畿道漣川郡に移管。
  • 1972年12月28日 – 軍事境界線と接する部分において区画の見直しを実施(2邑9面)。
    • 北面の楡井里・洪元里と乃文面篤倹里が鉄原邑に編入。
    • 平康郡南面亭淵里が葛末面に編入。
  • 1973年7月1日 – 西面の一部が金化邑に編入(2邑9面)。
  • 1979年5月1日 – 葛末面が葛末邑に昇格(3邑8面)。
  • 1980年12月1日 – 東松面が東松邑に昇格(4邑7面)。

行政[編集]

4邑7面からなる。郡庁は葛末邑新鉄原里にある。郡守は李賢鍾(이현종

邑・面 法定里 備考
鉄原邑朝鮮語版 官田里、中里、月下里、花地里、栗梨里、四要里、外村里、内浦里、洪元里、楡井里、山明里、加丹里、中細里、大馬里、篤検里
金化邑朝鮮語版 鶴沙里、邑内里、生昌里、岩井里、雲長里、龍楊里、甘鳳里、清陽里、道昌里
葛末邑朝鮮語版 新鉄原里、芝浦里、江浦里、軍炭里、文恵里、内垈里、地境里、土城里、上糸里、東幕里、亭淵里
東松邑朝鮮語版 二坪里、五徳里、長興里、梧地里、上路里、大位里、観雨里、陽地里、二吉里、下葛里、中江里、江山里
西面朝鮮語版 自等里、瓦水里
近北面朝鮮語版 楡谷里、金谷里、柏徳里、栗木里
近東面朝鮮語版 光三里、芳通里 民間人非居住
近南面朝鮮語版 馬峴里、沙谷里、陽地里、六丹里、蚕谷里、豊巌里
遠東面朝鮮語版 登大里、松室里、龍淵里、細峴里 民間人非居住
遠南面朝鮮語版 開野里、慶祥里、竹垈里、白楊里、南屯里、月峰里、楓洞里、住波里、九龍里、芦洞里、榛峴里 民間人非居住
任南面朝鮮語版 達田里、科湖里、佐佩里、水洞里 民間人非居住

農業地帯で、鉄原五台米とよばれるブランド米の生産で知られる。

郡庁公式サイトによれば、人口は1995年に約65,000人とピークを迎えたが、離農によって減少している。

戦跡をめぐり国防意識を高める「安保観光」が行われている。

鉄道[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]