井上治 (陸上選手) – Wikipedia

井上 治 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Osamu INOUE
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技 (長距離走)
種目 5000m、10000m、3000m障害
所属 富士製鐵
大学 中央大学
生年月日 (1932-09-16) 1932年9月16日(89歳)
生誕地 愛媛県大洲市
自己ベスト
5000m 14分33秒6(1958年)[1]

獲得メダル

陸上競技
アジア競技大会
1954年 マニラ 5000m
1958年 東京 5000m
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井上 治(いのうえ おさむ、1932年9月16日[1] - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手。

愛媛県喜多郡菅田村(現在の大洲市)出身[2][3]。愛媛県立大洲農業高等学校に入学。1950年には陸上5000メートルを15分56秒0で走り、愛媛県で16分台を初めて割ったエースとして注目された[4]

中央大学に進み[5]、1952年の第29回 箱根駅伝で4区を走り区間賞(1時間9分35)[6]。1952年にヘルシンキで開催されたオリンピックに代表として参加、男子5000メートルに出場したが予選失格(14分59秒0)。1953年の第30回箱根駅伝では2区を走り区間2位であった[6]。1953年の第37回日本陸上競技選手権大会では男子5000メートルで優勝(14分58秒6)[7]

1953年8月16日、西ドイツのドルトムントで開催された国際学生陸上選手権大会 (1953 Summer International University Sports Weekで5000メートルを走り優勝[4]。1953年10月に開催された第8回四国国体秋季大会では、男子3000メートルで8分45秒6の大会新記録で優勝[3]。1954年にはマニラで開催された第2回アジア大会で男子5000メートルに出走して優勝した[5]

大学卒業後は富士製鐵(現・日本製鉄)に入社[5]。1955年、第39回日本陸上競技選手権大会で男子10000メートルに出場し優勝(31分09秒4)[8]。1957年、第41回日本陸上競技選手権大会では男子5000m(14分41秒6)[7]および男子3000メートル障害(9分52秒0)[9]の2種目で優勝。1958年、第3回アジア大会(東京)で男子5000メートルに出走して優勝(大会二連覇)[5]

  1. ^ a b 井上治_(陸上選手)”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年5月17日閲覧。
  2. ^ 現代〔昭和25(1950)~昭和28(1953)〕”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 愛媛県史 年表(平成元年2月28日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
  3. ^ a b 1953年の愛顔・愛媛新聞で振り返る地元国体 愛媛国体2017 <20>順位躍進 閉会式荘厳に”. 愛媛新聞. 2020年2月3日閲覧。
  4. ^ a b 二 戦後復興期”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
  5. ^ a b c d 三 充実期から東京五輪まで”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
  6. ^ a b 箱根駅伝 1951年~1955年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2020年2月3日閲覧。
  7. ^ a b 過去の優勝者・記録 男子5000m”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。
  8. ^ 過去の優勝者・記録 男子10000m”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。
  9. ^ 過去の優勝者・記録 男子3000m障害”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。