スポーツにおけるイスラエル・ボイコット – Wikipedia
スポーツにおけるイスラエル・ボイコットとは、イスラエルのスポーツ選手との対戦拒否、及びその結果生じる様々な形での失格行為のことをいう。イスラエルのスポーツ選手は個人、団体を問わず、中東戦争の影響により、いくつかの競技大会から締め出されてきた。イスラエルが参加したオリンピックを含む数多くの国際競技大会においても、アラブ人やイスラム教徒の選手から対戦を避けられている[1]。いくつかの国は自国の選手に対して、イスラエルの選手との対戦拒否や、イスラエル国内で開催される大会への不参加を強いてさえいる。イスラエルはアジアに位置しているが、中東アジア諸国が特に強硬なのでイスラエルは各競技の大陸競技連盟もアジアではなくヨーロッパのものに加盟している場合が多い。しかしながら、2019年5月にボイコットの中心的な勢力だったイランが、長年に渡るイスラエルとの対戦拒否の姿勢に変更を加えることを表明したと、国際柔道連盟(IJF)側は説明した[2][3]。これに対して、イラン側はIJFの発表を否定した[4][5]。 各スポーツでのケース[編集] サッカー[編集] イスラエルサッカー協会は1954年から1974年までアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたが、アラブ連盟によるイスラエルボイコット(英語版)の影響により、アラブ諸国やイスラム諸国から対戦を拒否されてきた。その最も顕著な例は1958年のFIFAワールドカップ・予選で、各国の対戦拒否により1度も試合をせずに予選を勝ち上がることになったが、国際サッカー連盟(FIFA)によりそれが問題視されて、ウェールズとの大陸間プレーオフを行うように指示された。結果、敗れたために本戦には出場できなかった。1974年にイスラエルは、クウェート主導による投票の結果、賛成17、反対13、棄権6によりAFCから除名された[6]。その後、地域連盟への未加盟状況が続いたが、1992年にヨーロッパサッカー連盟(UEFA)に受け入れられた。1994年にはUEFAの正式メンバーになった。ボイコット、投資撤収、制裁(BDS)運動の支持者は、イスラエルをFIFAから除名ないしは資格停止にするよう提唱しているものの、その試みは成功していない[7]。2017年8月にサッカーのイラン代表選手で主将を務めるマスード・ショジャエイとイフサン・ハジサフィの2名が、ギリシャのクラブチームであるパニオニオスFCに加わってイスラエルのクラブチームであるマッカビ・テルアビブFCと対戦したことを受けて、イランサッカー連盟はこの両者を代表から永久追放した[8]。イスラエルを巡る厳しい国際情勢が存在する一方で、アラブ系の選手がイスラエルのスポーツチームへ加入するケースが増加している。とりわけイスラエルのサッカー代表にはリファート・トゥルク(英語版)、ナジワン・ギュライーブ(英語版)、ワリド・バディール(英語版)、サリム・トゥアマ(英語版)、アッバス・スアーン(英語版)など、著名な選手が加わっている[9]。 陸上[編集] ケニアのマラソン選手だったレオナルド・ムチェル・マイナ(英語版)は、2004年にバーレーンへ国籍を変更して「ムシール・サレム・ジャウヘル」に改名すると、2006年のアジア大会陸上競技では5000メートルで銀メダルを獲得した。しかし、2007年にイスラエルで開催されたティベリアス・マラソン(英語版)に出場したところ、バーレーンの市民権を剥奪された[10]。その年にケニアの市民権を回復すると、2008年から2010年までティベリアス・マラソンに再び参加した[11][12]。 競泳[編集] イランの競泳選手であるモハメド・アリレザイ(英語版)は、2008年の北京オリンピックと2009年及び2011年の世界水泳選手権でイスラエルの選手と同じ組に入ったために棄権した。2011年の大会では出場を望んでいたものの、圧力によって辞退させられたという。出場の意思を示したことが原因で、2012年のロンドンオリンピックでは代表候補を外された[13]。 2019年1月にマレーシア当局は、7月にクチンで開催される世界パラ水泳選手権に参加予定だったイスラエルのパラリンピック競泳チームの入国ビサ発給を拒否することを明らかにした。なお、マレーシアの首相であるマハティール・ビン・モハマドは、オーストラリアがイスラエルの首都をエルサレムと認知したことに強く反発していた[14]。これに対して国際パラリンピック委員会(IPC)は、イスラエル選手の排除を理由にマレーシアから開催権を剥奪した[15][16]。 テニス[編集] 2009年にはガザ紛争への怒りに駆られたアラブ人や左翼が関係していると見られるイスラエルの選手に対する全面的ないしは部分的なボイコットが増大した。イスラエルのテニス選手であるシャハー・ピアーはドバイで開催されるバークレーズ・ドバイ・テニス選手権へのビザ発給を拒否された。それを受けて、セリーナ・ウィリアムズやアンディ・ロディックなどのスター選手はドバイ当局の決定を非難すると、ロディックは大会から引き上げた。ケーブルテレビは大会の放映を取り止めた。この件でドバイテニス協会には30万ドル(約2800万円)の罰金が科せられた。また、ドバイ当局はこの年に同じイスラエルのテニス選手であるアンディ・ラムともビザ発給に関連したトラブルを引き起こした[17][18][19][20][21]。 2009年3月にスウェーデンのマルメで開催されたデビスカップのスウェーデン対イスラエル戦では、当初マルメのテニス関係者や市当局が反イスラエル暴動(英語版)の懸念により大会の中止を求めていたが、イスラエルは参加することになった。一方、スウェーデンの棄権による大会中止も望んでいなかったために、混乱を避けるための安全上の処置として、無観客試合で大会を開催した。その結果、市当局はデビスカップの開催権を5年間剥奪されることになった[22][23][24]。 チェス[編集] 2011年にイランのチェス選手であるエーサン・ガエム・マガミが国際大会でイスラエル選手との対戦を拒否したために大会から追放された。その後、2017年にスイスで開催されたチェスの大会でもイランの選手がイスラエルの選手との対戦を拒否した。その一方で、イランの15歳のチェス選手が国際大会でイスラエルの選手と対戦したために、ナショナルチームから排除された。また、2017年12月にサウジアラビアで初開催された国際大会ではイスラエル選手のビザ発給が拒否された。イスラエルのチェス連盟は参加予定だった選手7名がこの1件で職業上及び金銭上の損害を蒙ったとして、主催者の国際チェス連盟に補償を要求した[25][26][27]。2018年7月に国際チェス連盟はチュニジアに対して、7歳の少女チャンピオンを含めたイスラエル選手団のビザ発給を拒否するなら、2019年にチュニジアで開催予定の国際大会を取り止めると語った[28]。 レスリング[編集] 2017年11月にポーランドのブィドゴシュチュで開催されたU-23レスリング世界選手権の86kg級初戦で、イランのアリレザ・カリミ・マシアニがロシアのアリハン・ジャブライロフと対戦して3-2でリードしていたものの、この試合に勝つと次戦でイスラエルのウリ・カラシニコフと対戦することが判明したために、コーチがタイムを取ってマシアニを呼び寄せてわざと負けろとの指示を与えると、マシアニはなす術なくポイントを取られ続けて3-14でテクニカルフォール負けした。結果、この階級ではジャブライロフが優勝、カラシニコフが3位になった。なお、マシアニは2013年にも類似の行動を取ったという。イランレスリング連盟はマシアニを英雄と賞賛した[29][30]。一方、この件に関して世界レスリング連合(UWW)は調査に乗り出した[31]。2018年2月にUWWはマシアニに6ヶ月、コーチのハミドレザ・ジャムシディに2年間の出場停止処分を科した。イランレスリング連盟はこの決定に抗議するとともに、イスラエルとの対戦を拒む姿勢に変更を加えるつもりはないと警告した[32][33]。 柔道[編集] 柔道においてもイスラエルの選手は度々政治的理由から対戦を避けられてきた。とりわけ有名なケースとして、2004年のアテネオリンピック66kg級で世界選手権を2連覇していたイランのアラシュ・ミレスマイリが、初戦でイスラエルのエフド・バクス(英語版)との対戦が決まると、「パレスチナとの連帯を示すため」に棄権したケースが挙げられる。この時は減量をせずに計量に臨んで失格となったが、政治的な棄権への罰則を回避するため、敢えてそのような手段で対戦を避けたと言われている。国際柔道連盟(IJF)もこの件に関しては政治的な棄権と断定するだけの材料を有していなかったこともあり、結果として処分を科さなかった。ミレスマイリの棄権はイラン国内では賞賛され、金メダリストと同等の待遇を受けた。なお、イランオリンピック委員会の広報部は、「イスラエル選手との対戦辞退を定めた規則は一切ない。すべてのイラン人選手は、イスラエルの政権の残酷さを理解しており、自らの意思で対戦を拒否している」との見解を示した[13][34][35]。 同じイランの柔道選手であるバヒド・サレク(英語版)は、2005年の世界選手権60kg級に出場すると、準々決勝でカザフスタンのサラマト・ウタルバエフ(英語版)に一本負けした。その後の敗者復活戦においてアゼルバイジャンのニジャット・シハリザダと対戦するも、この試合を勝つとイスラエルのガル・エクティエル(英語版)と対戦することになるため、わざと負けるように強制されて一本負けした。その対価として家や車の提供が約束されたにもかかわらず、結局提供されることはなかった。そのため、嫌気がさしてドイツへ移り、そこで競技を続けることになった[13][36][37]。 このように、対戦を避ける側は政治的問題にならないように、イスラエル選手との対戦前の試合で意図的に負けたり、計量での失格、あるいは病気やケガなどを理由に試合から身を引く傾向にあった。しかしながら、2015年からIJFは八百長や戦略的な対戦拒否が疑われる試合の調査を厳格化することに決めた。病気などを理由に試合を行わなかった選手は、IJFの医事委員会において診断書を発行してもらう必要がある。もし正当な理由なく対戦を避けたことが判明すれば、IJFの規律委員会によって処分が検討される。イスラエル男子ナショナルチームのコーチであるオレン・スマジャは言う。「スポーツは政治から自由であるべきだが、我々は毎年この問題に直面してきた。常に我々がターゲットにされてきた。もっと早くこの問題にケリをつけるべきだった」[38][39]。
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