立川志らく – Wikipedia

立川 志らく(たてかわ しらく)は、江戸・東京の落語の名跡。この名前を名乗った落語家は、5人前後いるとされている[注釈 1]。亭号は立川の他に翁家、升々亭などがあった。


立川 志らく(たてかわ しらく、1963年〈昭和38年〉8月16日 – )は、日本の落語家、映画評論家、映画監督、コメンテーター。落語立川流、ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。出囃子∶『花嫁人形』。本名∶新間 一弘[1]

日本映画監督協会にも所属。妻は女優の酒井莉加。血液型O型。身長168cm。東京都世田谷区出身。

父親がギタリスト新間英雄(1935〜)、母親が長唄という著名人の家庭で育ち、中学生の頃から落語と映画を好きになる[2]。落語については、小学校高学年の頃から父親が落語好きで家にあった落語の本とレコードで親しみ始めた[3]。祖父は昭和の名灸師である深谷伊三郎。

世田谷区立山崎小学校、世田谷区立山崎中学校を卒業後、日大三高から日本大学芸術学部演劇学科[4]に進学、落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属する。

1985年10月、4年生の時に同サークルのOB高田文夫の紹介で七代目に入門し、前座名立川志らく(師匠の談志がフランスの政治家、ジャック・シラクにちなんで命名した[5]。)を名乗る。大学はその後中退。1988年3月に二ツ目に昇進。

1990年代には兄弟子朝寝坊のらくと立川談春とともに立川ボーイズを結成、深夜番組『ヨタロー』に出演、その後、真打昇進までは古典に打ち込み、真打昇進後はシネマ落語等の分野を開拓。

1992年、彼を筆頭とした落語家らで「“超”放送禁止落語界」と題した寄席を開催。皇室罵倒、差別用語連発の演目を披露「9月にも開催予定だが、もし無くなったら何者かのクレームにより演者が危急に陥ったと云々」と笑いを取っていたが、会場に居合わせていた部落解放同盟関係者が演目を全て録音、同団体からの糾弾を受ける[6]

1995年11月に真打に昇進した。2001年彩の国落語大賞受賞。2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動している。2014年現在まで16回の公演を数えている。

2015年1月から独演会「立川志らく落語大全集」を開始。16年かけて203席を演じる予定[7]

2018年から2021年現在まで、『M-1グランプリ』の審査員を務める。ジャルジャルやトム・ブラウン、ランジャタイに高得点をつけるなど、前衛的な漫才を積極的に評価して独自の立ち位置を確立している[8]。なお、2018年から2021年現在M-1で審査員として出演した回の最終決戦ではすべて志らくが投票したコンビが優勝している。

  • 元妻との間に子供が3人いる。
  • 映画好きで知られ、1997年に『異常暮色』で映画監督デビュー。映画監督として日本映画監督協会にも所属している。『キネマ旬報』に映画エッセイ「立川志らくのシネマ徒然草」の連載を持ち、同連載は1996年と1999年と2011年と2021年に「キネマ旬報ベストテン」の読者賞を受賞した。映画関連では他にも、映画専門チャンネルのスターチャンネルで2008年から映画解説者の一員となり[9]、独演会では映画を落語にした「シネマ落語」などの活動を行っている[10]
  • 大林宣彦を敬愛しており[11][12]、大林作品で一番好きな『あした』を2008年6月、劇団『下町ダニーローズ』の第9回公演(紀伊國屋ホール)で『あした~愛の名言集』というタイトルで舞台化した[11][12][13]
  • 現在の日本映画界を嘆いており、小津安二郎や黒澤明が撮るような重厚な作品が日本映画界の中心にあるべきだと苦言を呈している[14]。一方で、黒澤明監督の作品を映画賞をもらってから観始めた北野武については、『菊次郎の夏』『Dolls』を傑作と認めている[15]
  • 映画評論でも知られる2代目快楽亭ブラックは、つまらない邦画のベストスリーに、志らく監督作品の『異常暮色』など3作品をランクインさせた。
  • ラジオ番組の影響もあり、歌謡曲ファンとして知られる。戦前歌謡から近年の演歌・歌謡曲まで造詣が深く、演歌歌手の石原詢子と香西かおりのファンである[16]。また、IBC岩手放送で歌謡曲を扱うラジオ番組『志らくの歌の花道』のパーソナリティを12年3ヶ月務め、NHK-FMの『今日は一日○○三昧』においても、「戦後歌謡三昧(ざんまい)」(2010年放送)のパーソナリティを務めた。
  • 中日ドラゴンズのファンで、かつてコメンテーターを務めたラジオ番組『くにまるジャパン』では、中日ドラゴンズについて語ることがあった。東京出身であるが、10歳の時に初めて神宮球場に行ったのがヤクルト対中日戦だったのが、ファンになったきっかけだったと語っている[17]
  • 『ひるおび!』のコメンテーターに抜擢されたことにより、2017年上半期のブレイクタレント部門1位にランクインした[18]。2019年9月30日からは、自身がMCを務めるワイドショー番組『グッとラック!』が放送開始。
  • 世論が暴力問題で揺れると暴力を憎む立場でコメントする人物でもあり、日馬富士による貴ノ岩への傷害事件に関しては、「本来なら解雇すべきであった」と憤慨していた[19]。また、貴ノ岩の付き人暴行事件に関しては、「引退して逃げずに幕下以下からでもやり直すべきだった」という趣旨のコメントをしており、貴ノ岩が引責引退を選んだことに対して激怒した[20]
    • 大相撲に関して様々な批判的コメントをしていたが相撲自体は嫌いではなく、2020年5月場所が新型コロナウイルス感染拡大を受けて中止となった際には寧ろ「相撲を休んで…だけども相撲が無いことがどれだけ寂しいことかきっとみんな分かると思うんで」と残念がる立場を示した[21]
  • 2019年5月に川崎市登戸通り魔事件を起こした容疑者について「1人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら1人で死んでくれよって、そういう人は」と発言し、物議を醸した[22]
  • 2019年8月26日に放送した、TBS系『名医のTHE太鼓判!SP』の番組内で10年ほど前よりバセドウ病を患っていることを告白した[23]
  • 春風亭栄橋が罹っていたパーキンソン病を、戸塚ヨットスクールの戸塚宏が「ヨットスクールで鍛えれば治る」と申し出たため、談志は彼を同スクールに入学させている。談志の弟子の立川談春、志らく、関西、談々を付き添い役とし、彼らも入学した。
  • 2021年3月26日、1年半にわたりMCを務めたTBS系テレビ番組「グッとラック!」が最終回を迎えた。最終回のエンディングでは「半年から1年やれば、もっと違う番組になれたんじゃないかという悔しさはある」とコメントし、番組終了の無念さを語った[24]

『プレバト!!』関連 [編集]

  • 2019年9月5日の『プレバト!!』において「プレバト!!の収録日は1年間あいている。それだけ俳句に賭けている」ことを明かしている[25]。他に、俳句のお題「夏の日光 ハイキング」において、「山は一回も登った事はない」と言う事も明かしている[26]
  • 音楽好きで、ブルースハープをミッキー・カーチスから譲ってもらった上に、3000円払って教えてもらったというエピソードがある[27]
  • 2019年10月31日の俳句査定で、特待生から名人に上がる。名人への希望は「プレバト四天王、梅沢富美男、東国原英夫、藤本敏史(FUJIWARA)、村上健志(フルーツポンチ)の4人の内の誰かを蹴落として、そこに私が入りたい」と言う事を挙げた[28]。名人になった一句「色変えぬ松や渋沢栄一像」[28]が渋沢栄一記念館にかざられている[29]
  • 2020年7月2日の俳句査定で、梅沢がTwitterに25年前のドラマ出演の際の顔が志らくそっくりの梅沢自身の写真を載せたところ、志らくの方までとばっちり大炎上という事があった[30]
  • 同じ落語家であり俳句査定の名人・特待生としても不定期出演している6代目三遊亭円楽と春風亭昇吉にはライバル心を燃やし、共演した際には舌戦を繰り広げるのが恒例となっている[31]

趣味・趣向[編集]

2019年5月20日、自身のTwitterアカウントで、自分が主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことを嘆くツイートを投稿。その上で「全員、破門にするか前座に降格するか、である。どうせ師匠は優しいから謝れば許してくれると連中はなめている。数年前、同じ騒動が持ち上がった時、破門通達したが皆泣いて詫びたから許してしまった。あの時、破門にしとけばよかった」と、二つ目の弟子全員を降格もしくは破門にする考えを明らかにし[32]、翌21日のツイートで二つ目全員を前座に降格させたことを投稿した[注釈 2][33][34]。その後、同年7月1日付で志獅丸を真打に昇進させ、志奄、らく兵、らく人、がじらの4名を二つ目へ戻した(志ら門、志ら鈴は「二つ目に昇進したばかり」との理由で、この時点では二つ目に復帰させなかった)[35]が、翌2020年1月1日付で志ら門、志ら鈴も二つ目に復帰させた[36]。なお、後述する「↓」印はこの騒動により前座に降格した者を表す。

真打[編集]

二ツ目[編集]

前座[編集]

  • 立川志ら松
  • 立川らくまん
  • 立川志らぴー

卒業(廃業)[編集]

卒業(=廃業)時期については不明な者が多い。[37][38]

  • 立川らく坊(一番弟子)1996年5月入門(本名:深澤克久、1970年8月11日生まれ、静岡県出身)
  • 立川らく丸(三番弟子)
  • 立川らく吉(四番弟子)1996年6月入門(本名:松崎泰司、1967年4月17日生まれ、熊本県出身)
  • 立川こらく 1996年12月入門(本名:加藤丈博、1967年2月18日生まれ、東京都出身)
  • 立川らくみん 2014年7月入門(本名:杉元愛、1988年10月7日生まれ、千葉県出身)
  • 立川たてかわらく  2014年6月入門(本名:土井一樹、1991年12月28日生まれ、埼玉県出身)
  • 立川うぉるたー 2014年11月入門(本名:中桐峻、1979年3月9日生まれ、山梨県出身)
  • 立川たてかわ怒志ぬし2015年8月入門(本名:山主晃一、1979年12月20日生まれ、山梨県出身)
  • 立川たてかわらくしゃ2014年7月入門[注釈 4](本名:宮内達也、1979年3月9日生まれ、東京都出身)

らく塾[編集]

上記の者以外にも、志らくの私塾「らく塾」受講生で、志らくから名前をもらったものがいる(家元存命時の「Cコース」に相当する)。

また、志ら乃[39]・らく朝[40]・らく次[41]・らく兵[42]など、らく塾受講生から正式に入門した者もいる。

  • 立川らく生(粉川真一  MRT宮崎放送アナウンサー)らく塾1期生。第4回大学生落語選手権3位(1996年)、1999年に客分の弟子となり「らく生」に。現在、宮崎放送(MRTラジオ)で放送している「立川らく生の笑いの殿堂」は、2020年で15周年を迎える長寿番組に。2013年の宮崎映画祭では、映画「立川談志」(トークゲスト:立川志らく)に、地元局アナとしてトークショーに出演し、初共演を果たす。

シネマ落語[編集]

好きな映画を落語で語る。つまり、有名な映画を基に、その舞台を江戸時代に変えて落語に翻案したもの。

  • 『立川志らくのシネマ徒然草』 キネマ旬報社、2000年2月
  • 『全身落語家読本』 新潮社、2000年9月 (新潮選書)
  • 『落語は最高のエンターテインメント』講談社DVD book、2004年
  • 『らくご小僧』新潮社、2004年6月
  • 『志らくの落語二四八席辞事典』講談社、2005年4月
  • 『立川志らくの現代映画聖書』講談社、2005年6月
  • 『雨ン中の、らくだ』太田出版、2009年2月
  • 『立川流鎖国論』梧桐書院、2010年11月
  • 『落語進化論』新潮選書、2011年6月
  • 『談志のことば』 徳間文庫、2012年 のち文庫 
  • 『談志・志らくの架空対談 談志降臨!?』講談社 2012年6月
  • 『銀座噺 志らく百点』講談社 2013
  • 『落語名人芸 「ネタ」の裏側 秘蔵資料 三越落語会 十一名人の「感どころ」 』講談社 2013年8月
  • 『立川志らく まくらコレクション 生きている談志』 竹書房文庫 2016年11月
  • 『志らくの言いたい放題』PHP文庫 2018年1月
  • 「長屋紳士録 再考」『小津安二郎 大全』朝日新聞出版、2019年3月に収録
  • 『志らくの食べまくら』双葉社 2020年3月

共著[編集]

  • 『DNA対談談志の基準』松岡弓子共著 亜紀書房 2012

主な作品[編集]

映画(監督作・自主制作)[編集]

  • 異常暮色(1998年)
  • 死神パラダイス(1999年)
  • カメレオンの如き君なりき(2001年)
  • SF小町(2002年)
  • 不幸の伊三郎(2004年)

主な出演[編集]

演劇[編集]

劇団『下町ダニーローズ』。主宰、脚本、演出、出演

  • 旗揚げ公演 「ブルーフロッグマンの憂鬱」池袋シアターグリーン、2003年6月
  • 第2回公演 「未来ポリスマンの横恋慕」笹塚劇場、2003年12月
  • 第3回公演 「エクソシスト達の憂さ晴らし」アートボックスホール、2004年11月
  • 第4回公演 「いわゆるトイストーリーのようなもの リカちゃんと怪獣」シアターイワト、2005年5月
  • 第5回公演 向田邦子原作「あ・うん」シアターイワト、2005年11月
  • 第6回公演 「はなび」シアターイワト、2006年6月
  • 特別 公演 向田邦子原作「あ・うん」再演 新宿シアターモリエール、2006年12月
  • 第7回公演 シェークスピア原作「ヴェニスの商人?」アイピット目白、2007年6月
  • 第8回公演 「どん底」アイピット目白、2007年12月
  • 第9回公演 「あした~愛の名言集」(大林宣彦監督作品/赤川次郎原作:午前0時の忘れもの)新宿紀伊國屋ホール、2008年6月
  • 第10回公演 「文学狂男」(原作:室生犀星 あにいもうと)千本桜ホール、2009年2月
  • 第11回公演 「演劇らくご『鉄拐』」紀伊國屋ホール、2009年8月
  • 第12回公演 「演劇らくご『疝気の虫』」シアターグリーン、2010年6月
  • 第13回公演 「演劇らくご『ヴェニスの商人?火焔太鼓の真実』」シアターグリーン、2011年9月
  • 第14回公演 立川談志追悼特別公演「演劇らくご『談志のおもちゃ箱』~ヴェニスの商人?黄金餅後日談」新宿シアターモリエール、2012年5月
  • 第15回公演 「演劇らくご『死神が舞い降りる街』」赤坂レッドシアター、2013年6月
  • 第16回公演 「演劇らくご『芝浜』」池袋シアターグリーン、2014年5月

劇団『謎のキューピー』。脚本、出演

  • 旗揚げ公演 「白いゲルニカ」中野スタジオあくとれ、2011年7月
  • 第2回公演 「せんきの虫」中野スタジオあくとれ、2012年2月
  • 第3回公演 「異常暮色」下北沢Geki地下Liberty、2013年9月
  • 第4回公演 「鯨岡桃子が、殺された理由」中野スタジオあくとれ、2014年2月
  • 第5回公演 「鯨岡桃子が、殺された理由」再演 中野スタジオあくとれ、2014年9月
  • 第6回公演 「地獄の同窓会」下北沢Geki地下Liberty、2015年2月

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

演じた俳優[編集]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1963年生まれの当代の前に3人いたとする説もある。
  2. ^ ただし、夏に真打昇進が決定している志獅丸に関しては「真打ち昇進前日」までとし、他の者についても期限を決めたうえで前座修行をやり直させる方針。
  3. ^ 2014年に破門され、翌年に復帰を許されたが、条件として「立川」の亭号を剥奪された。2021年1月より志らくの許しにより再び「立川らく兵」を名乗れることになった。
  4. ^ 現・立川志ら乃門下「のゝ乃家らく者」。

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]