リョービ – Wikipedia

リョービ株式会社(リョービ、英: RYOBI LIMITED)は、広島県府中市に本社を置く企業である。世界的なダイカストトップメーカーである。

企業理念は「技術と信頼と挑戦で、健全で活力にみちた企業を築く。」。コーポレートメッセージは「できたらいいなの、その先へ」[1]

前身は浦上豊が1943年に興した三菱電機福山工場(現・福山製作所)のダイカスト製品の下請け・「菱備製作所」(りょうびせいさくしょ)。社名は創業当時からの本社所在地の府中市が旧備後国であり、さらに近接の岡山県西部が備中と呼ばれることと、三菱電機の関連会社であったため、同じ音の「両備」を掛け、更に「三菱」から一字を採った。1972年、創業者・豊の急逝により、後を継いだ長男の浩(現会長)によりCIが実行され「RYOBI」となった。長年、Rを矢印に見立てたシンボルロゴを使用していた。

なお両備バスを中心とする両備ホールディングスなどの両備グループは無関係。

1944年からダイカスト製品を製造し、その後、印刷機器、釣具、パワーツール、建築用品、ドアクローザー、ゴルフクラブなどの製造・販売を行っていた。

釣具・パワーツール・ゴルフクラブなどの製造・販売については、釣具は2000年に上州屋へ営業譲渡、パワーツールは2018年に京セラインダストリアルツールズへ新設分割の上で事業譲渡(上記2事業は事業譲渡後もリョービブランドは継続して使用しているため、事実上ライセンス契約である)、ゴルフ用品は2002年に事業撤退した。ゴルフクラブの製造販売を手掛けていたことからスポーツ関係のスポンサーを務めることが多く、広島東洋カープの本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に長年にわたって広告を出し続けているほか、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、阪神タイガース、横浜ベイスターズの本拠地球場にも1990年代まで広告を提供し、プロ野球中継の影響もあり1980年代からは全国に名前が知られるようになり、全国区の企業となった(後楽園球場→東京ドームは1999年に一旦撤退のち2013年現在は再び提供、ナゴヤ球場→ナゴヤドームには1998年まで)。フジテレビ系の「プロ野球ニュース」のスポンサーでもあった。

現在の主要生産品目は、自動車関連(シリンダーブロックやトランスミッションケースなど)のダイカスト製パーツであり、国内メーカーはのみならずゼネラルモーターズやフォード・モーター、フォルクスワーゲンといった海外メーカーとも取引がある。設計から製造までの一貫体制が整っており、塗装まで済ませた状態でメーカーに納品できることが強みとされている。また建築用品の部門もある。高精度のオフセット枚葉印刷機製造部門もあったが、業績不振により三菱重工印刷紙工機械株式会社(現在の三菱重工機械システム株式会社 )と共同で2013年に準備会社(会社名:アールエム株式会社)を経由して、2014年にリョービMHIグラフィックテクノロジー株式会社を設立して分社化された[2]

主な拠点[編集]

  • 本社・広島工場
  • 広島東工場
    • 広島県府中市鵜飼町800番地2
  • 静岡工場
  • 印刷機器工場
    • 広島県府中市栗柄町444番地1
  • 1943年12月16日 株式会社菱備製作所を設立。
  • 1944年 ダイカスト製品の製造・販売を開始。
  • 1954年 プラスチック製品の製造を開始。
  • 1960年6月 広島証券取引所に株式を上場。
  • 1961年10月 東京証券取引所および大阪証券取引所に株式を上場。
  • 1962年 蒲原工場(現・静岡工場)の操業を開始。
  • 1963年 ドアクローザの製造販売を開始。
  • 1966年 三良坂工業株式会社(現リョービミラサカ株式会社)を設立。御調工業株式会社(現リョービミツギ株式会社)を設立。釣具の製造販売を開始 ( 2000年9月 釣具事業を譲渡 )。
  • 1968年 保険代理業を営む旭産業株式会社を設立。電動工具の製造を開始。
  • 1970年 株式会社晃文堂(のちリョービイマジクス株式会社)がリョービグループに加わる(2012年4月 吸収合併)。
  • 1971年 株式会社東和電器(のちリョービ販売株式会社)がリョービグループに加わる(2018年1月 京セラグループに譲渡)
  • 1973年 リョービ株式会社に商号変更。ゴルフ場を経営するリョービ開発株式会社を設立。
  • 1975年 コーポレートアイデンティティシステム(CIS)を導入。
  • 1983年 ゴルフ用品の製造販売を開始 (2002年5月 スポーツ用品事業を終結)
  • 1985年 米国にシェラー・リョービCORP.(現リョービダイキャスティング(USA), INC.)を設立。生野株式会社を設立。
  • 1989年 株式会社東京軽合金製作所がリョービグループに加わる。
  • 1990年 英国にリョービアルミニウムキャスティング(UK), LIMITEDを設立。リョービ環境保全委員会を設置。
  • 1994年 中国に良明(大連)机器有限公司(のち利優比(大連)机器有限公司)を設立(2018年1月 京セラグループに株式の一部を譲渡)。コーポレートアイデンティティシステム(CIS)を見直し、新しいコーポレートロゴ、カラーを制定。
  • 2000年9月30日 不採算事業の見直しにより、釣具事業を株式会社上州屋へ譲渡。譲渡に際し、上州屋がリョービから商標使用許諾を受けて、「RYOBI(リョービ)」ブランドの釣具の製造・販売・アフターサービスを行っている。
  • 2001年 欧州のパワーツール事業を譲渡。
  • 2002年5月31日 不採算事業の見直しにより、ゴルフ用品の製造・販売を終了(アフターサービスは2008年3月末に終了)。オセアニアのパワーツール事業を譲渡。
  • 2003年 リョービコンプライアンス委員会を設置。
  • 2004年 特定非営利活動法人(NPO法人)リョービ社会貢献基金を設立。
  • 2005年 中国に利優比圧鋳(大連)有限公司を設立。
  • 2007年 メキシコにアールディシーエム, S. DE R.L. DE C.V.を設立。
  • 2008年 リョービCSR推進委員会を設置。リョービリスク管理委員会を設置。
  • 2010年 中国に利優比圧鋳(常州)有限公司を設立。
  • 2011年10月1日 子会社のリョービイマジクスにて行っていたフォント事業を株式会社モリサワへ譲渡。リョービイマジクスは2012年4月1日に当社に吸収合併された。
  • 2014年1月1日 リョービの印刷機部門と三菱重工印刷紙工業株式会社(現在の三菱重工機械システム )のオフセット枚葉印刷機事業と統合し合弁会社「リョービMHIグラフィックテクノロジー株式会社」を設立。
  • 2017年 リョービ保育園(1967年開園)を法人化し、事業を承継するリョービライフサービス株式会社を設立。
  • 2018年1月10日 パワーツール事業を新設分割で設立した京セラインダストリアルツールズ株式会社へ譲渡し、同時に京セラインダストリアルツールズ株式の80%を京セラ株式会社へ売却。尚RYOBIブランドは継承。
  • 2019年4月1日 完全子会社の旭テックアルミニウムを吸収合併。

テレビ・ラジオコマーシャル活動[編集]

エピソード[編集]

  • 推理作家の内田康夫はCM制作会社を経営していた時、リョービの広告を手掛けていたため、府中のリョービ本社を度々訪れた。この時、現在の会長で当時重役だった浦上浩から聞いた当地・備後地方に伝わる後鳥羽天皇に纏わる伝承(後鳥羽伝説)を素に創作したのが、商業デビュー作『後鳥羽伝説殺人事件』である。この作品は浅見光彦が初登場する内田の出世作としても知られる。浦上はこの前作である『本因坊殺人事件』の主人公の名前に使われている[3]

TV番組での紹介[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ かつてのメッセージは「信頼をかたちにする」・「くらしごごちがテーマです」であった。
  2. ^ 印刷機器事業の合弁会社設立にかかる吸収分割契約締結に関するお知らせ リョービ 2018年7月12日閲覧
  3. ^ 『後鳥羽伝説殺人事件』p300 1996年2月(角川春樹事務所)
  4. ^ TBS がっちりマンデー

関連項目[編集]

外部リンク[編集]