名古屋市教育会 – Wikipedia

名古屋市教育会(なごやしきょういくかい)は、「本市教育の改良を図る」目的で1881年に設立された任意団体[1]

市独自の組織で、国公立の幼稚園や小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の保護者や教職員から、教育会の「年会費」名目で1口100円で5口以上の協力を求めている[2]

戦前においては、地図の編纂[3][4][5]、図書館の運営なども行っており、名古屋市の地域性に依った伝統のある団体である。

  • 1881年(明治14年) – 名古屋区内の教育に関することを取り扱う会として名古屋区教育会が設立される。
  • 1888年(明治21年)5月 – 名古屋市の監督下から離れた私立の教育会としての名古屋市教育協会と改組される。
  • 1899年(明治32年) – 名古屋市長をはじめ、市会議員・学務委員・県教育関係者有志により、中京教育会の設立が図られるが、不成立に終わる。また、市教育関係者により、これとは別に金城教育会が成立する。
  • 1900年(明治33年)5月 – 小学校長会において、市助役が官民合同による教育会を提言する。
  • 1900年(明治33年)7月25日 – 南伊勢町143番戸において、名古屋市教育会が創立される。
  • 1902年(明治35年) – 事務所を南鍛冶屋町の名商分教場内に移転。
  • 1903年(明治36年)度 – 名古屋方言調査を実施する。
  • 1905年(明治38年) – 事務所を南外堀町の名商分教場に移転。
  • 1907年(明治40年) – 事務所を中区南久屋町の個人宅に移転。
  • 1912年(大正元年)10月 – 『名古屋市及附近図』発刊。
  • 1913年(大正2年)2月 – 鶴舞公園内市有建物の無償貸与を受け、私立名古屋図書館を開設する。図書館には教育品常設陳列館を併設した。
  • 1913年(大正2年)5月 – 事務所を中区池田町36番地に移転。
  • 1915年(大正4年)度 – 名古屋地方の遺跡・遺物・肖像画などを収録する『済美帖』を発刊する。
  • 1922年(大正11年)度 – 名古屋市立名古屋図書館に8630冊の蔵書などを寄付し、名古屋図書館を廃止。
  • 1927年(昭和2年)4月 – 事務所を中区松元町1-35に移転。
  • 1930年(昭和5年) – 事務所を中区新栄町の名古屋市役所庁舎内に移転
  • 1933年(昭和8年)10月 – 名古屋市役所の新築移転に伴い、事務所を新庁舎内に移転。
  • 1941年(昭和16年)5月 – 事務所を東区布池町32番地に移転。
  • 1944年(昭和19年)12月18日 – 教育諸団体と統合し、大日本教育会名古屋市支会となる。
  • 1946年(昭和21年)9月1日 – 大日本教育会を脱退し、旧名に復す。
  • 1948年(昭和23年)3月15日 – 新生名古屋市教育会に改組する。
  • 1968年(昭和43年)9月 – 事務所を東区東芳野町1-7-1の名古屋市教育館分館内に移転。

歴代会長[編集]

  • 初代 – 志水直(1900年7月 – 1901年6月)
  • 2代 – 青山朗(1901年7月 – 1906年6月)
  • 3代 – 加藤重三郎(1906年7月 – 1911年6月)
  • 4代 – 阪本釤之助(1911年7月 – 1917年1月)
  • 5代 – 佐藤孝三郎(1917年7月 – 1921年6月)
  • 6代 – 大喜多寅之助(1921年7月 – 1922年2月)
  • 7代 – 川崎卓吉(1922年5月 – 1924年6月)
  • 8代 – 田阪千助(1924年10月 – 1927年8月)
  • 9代 – 大岩勇夫(1927年9月 – 1938年12月)
  • 10代 – 縣忍(1939年1月 – 1932年1月6日)
  • 11代 – 佐藤正俊(1942年3月 – 1946年11月)
  • 会長代理 – 富田彦吉(1946年12月 – 1948年3月)
  • 12代 – 柴山義政(1948年3月 – 1954年4月)
  • 13代 – 佐藤丈夫(1954年5月 – 1958年4月)
  • 14代 – 水野鈴一(1958年5月 – 1962年3月)
  • 15代 – 加藤幸吉(1962年4月 – 1963年3月)
  • 16代 – 福岡晋作(1963年6月 – 1965年5月)
  • 17代 – 長谷川三一(1965年6月 – 1970年3月)
  • 18代 – 山田正保(1970年6月 – )

収入総額が約4千万円にも関わらず、名古屋市立小中学校校長経験者ら3名いる事務局員の給与など事務局費や運営費に約1500万円かかるという[12]。厳しい経済状況の下、集められた資金が人件費に多く出費されるのは、集められる側に「痛み」の理解ができているのだろうかとの指摘がある[12]

全市の小学生の希望者1700名に対して、知多半島の河和口などで水泳練習会を開催したりすることもあった[13]。さまざまな地域団体と教員との結びつきも閨閥や町単位など様々なチャンネルを通して行われてきた。教育会で行われているのは、戦後に社会的使命を持っていたとされる事業である[14]。現在の社会状況に沿って発展的に解消していかないと、自由で活発な教育活動をむしろ阻んでしまい、校長会や校長経験者の天下りと思われ、若い教職員にも理解が得られないのではないかとする声もある[12][15]

発行・著作物[編集]

  • 『最新詳密名古屋市実測全図』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1903年6月15日。NDLJP:1089121
  • 『名古屋市及附近図』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1907年8月11日。NDLJP:1089201
  • 『名古屋市實測圖』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1910年3月16日。NDLJP:1083107
  • 『教育品展覧会報告書』田島竜夫、名古屋市教育会、1911年4月26日。NDLJP:808589
  • 『済美帖』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1915年11月20日。NDLJP:953902
  • 『御大禮奉祝名古屋市教育品展覽會報告書』名古屋市教育會事務所、1916年3月。
  • 『郷土研究概観 大名古屋』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1933年。
  • 『名古屋市戦線銃後美談集 第1輯』名古屋市教育会、星野書店、1939年8月。
  • 『名古屋市戦線銃後美談集 第2輯』名古屋市教育会、星野書店、1940年4月23日。NDLJP:1057077
  • 『名古屋市戦線銃後美談集 第3輯』名古屋市教育会、星野書店、1944-0 1943。
  1. ^ 『七十年の歩み : 創立70周年記念誌』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1970年。
  2. ^ 『入会のお願い』、名古屋市教育会、2009年
  3. ^ 『名古屋市及附近図』名古屋市教育會、名古屋市教育會。
  4. ^ 『最新詳密名古屋市実測全図』名古屋市教育會、名古屋市教育會。
  5. ^ 『最新増補名古屋市及附近圖』名古屋市教育會、名古屋市教育會。
  6. ^ a b c 朝日新聞. (1991年9月25日) 
  7. ^ 中日新聞. (1934年7月22日) 
  8. ^ 名古屋市教育會『戦線銃後美談集』名古屋市教育會。
  9. ^ 朝日新聞. (2009年10月24日) 

参考文献[編集]

  • 『創立70周年記念誌 七十年の歩み 1970』名古屋市教育会、名古屋市教育会、1970年10月20日。
  • 『名古屋教育史Ⅰ 近代教育の成立と展開:明治期~大正中期』名古屋教育史編集委員会、名古屋市教育委員会、2013年3月4日、358-362頁。ISBN 978-4-9905445-1-5。
  • 『名古屋教育史Ⅱ 教育の拡充と変容』名古屋教育史編集委員会、名古屋市教育委員会、2014年3月3日、498-503頁。ISBN 978-4-9905445-2-2。

関連項目[編集]