伊藤正男 (プロレスラー) – Wikipedia
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伊藤 正男 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
伊藤 正男 マサオ・イトー ザ・グレート・ニンジャ |
ニックネーム | ブルファイター |
身長 | 180cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | (1948-12-09) 1948年12月9日(73歳) |
出身地 | 北海道樺戸郡出身 |
スポーツ歴 | 相撲 |
デビュー | 1972年 |
伊藤 正男(いとう まさお、1948年12月9日 – ?)は、北海道樺戸郡出身の元大相撲力士、プロレスラーである。
1964年、中学校卒業と同時に大相撲出羽海部屋に入門したが、2年後に廃業。地元に戻るが、格闘技の世界で身を立てるという意志は捨てず、自主トレーニングに励んで肉体改造を行い6年後の1972年6月に日本プロレス入り。同年10月7日、熊本県牛深市魚市場裏広場の木村聖裔戦でデビュー。翌年4月の日本プロレス崩壊後は、日プロ残党8名と共にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに移籍し(正式には1976年3月31日までは、日本テレビと3年契約を結んだ上、全日本へ派遣されていた。同年4月1日付で全日本正式所属選手となる)、前座・中堅で活躍した。
レスラーとしての活動だけではなく、1974年には東京12チャンネルのアクションドラマ『闘え!ドラゴン』(主演・倉田保昭)に、ロッキー羽田とともに悪役で出演している。
1978年4月より短期海外遠征でオーストラリア、ニュージーランドを転戦。1981年10月からの再遠征では西ドイツ、カナダと転戦後、アメリカに入りテネシー地区を主戦場に活動。その際はザ・グレート・ニンジャ、後にマサオ・イトーを名乗った。
1984年6月、テネシー州メンフィスにてオースチン・アイドルを下し、CWAインターナショナル・ヘビー級王者となる。12月にはNWA系列の団体で行われる年間最大の興行であるスターケードにも出場している。
その後、全日本プロレスが帰国命令を出さなかった(故意に出さなかったのか、連絡が途切れたため出せなかったのかは不明)ため、日本マットに戻ることはなく、消息を絶ち現在に至る。1986年、カナダのモントリオール地区に転戦しているとの記事が一部プロレス雑誌に掲載されたのを最後に日本のプロレスメディアでの情報は途絶えていた。
しかしその後、プロレス専門誌『Gスピリッツ』で日プロ・全日プロでの先輩レスラーであったザ・グレート・カブキ(高千穂明久)が、「モントリオールの日本食レストランで料理人になった」「勤務先の女性と結婚した」とその後の消息を明かしている。
またグレート小鹿もトークショーで、現在モントリオール在住と発言している。
- ギロチンドロップ
獲得タイトル[編集]
- CWAインターナショナルヘビー級王座
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