アウミール・モライス・アンドラーデ – Wikipedia

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はモライス、第二姓(父方の姓)はアンドラーデです。

アウミール・モライス・アンドラーデ(Almir Morais Andrade, 1973年5月11日 – )は、ブラジル・ミナスジェライス州ラヴラス出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはポジションはミッドフィールダー。

ボールキープ力と相手をマークする運動量が特徴のミッドフィールダー。

1998年夏に再訪日し、大塚FCヴォルティス徳島に復帰。長い脚を活かしたドリブルと[5]左足からの長短自在のパスで攻撃を掌握する絶対的な存在として活躍し[6]、同年の東京ガスFC戦では磯山和司の決勝点をアシストした。この試合の好プレーぶりが評価され、翌1999年にFC東京(東京ガスから改称)へ移籍。ボランチでゲームメイクを任されたが、ボール捌きに秀でた一方で、守備ではボールを追い掛け回してバランスを崩すことがあったため[6]、トップ下へとポジションを移すこともあった。

2000年からはコンサドーレ札幌へ期限付き移籍。チーム事情から攻撃面での仕事を求められたり、適任者が不在の場合にサイドのポジションを与えられたりと「中盤のなんでも屋」としての起用が多かった。チーム内で信用できるブラジル人選手に多くパスを出し、近くに日本人選手しかパスの選択肢がない場合には自分でドリブルでボールを持ち続けてしまうため「糸の切れた凧」との異名もつけられた。

JFLやJ2で”発展途上”の状態にあったチームではレギュラーとしてチームを支え「昇格請負人」ともなったが[5]、J1に昇格すると監督やフロントから力不足と判断される事が多く、トップカテゴリーであるJ1での試合出場は少なかった。敬虔なクリスチャンで[5]、静かで真面目な性格はファンから親しまれた。

2001年8月に札幌から突如解雇されたため[7] ブラジルへ帰国した[8]

現役を引退した後は、U-19南ミナスカップ(Taça Sul Mineira de Futebol Sub 19)の創設や[9]、同郷のアレモン、カサッパらと共にラヴラス市立大学ポルトガル語版(UFLA) でプロジェクトを立ち上げるなど[10] 地元での社会貢献に尽力した。

個人成績[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]