祝福 – Wikipedia
祝福(しゅくふく)とは、 神が自らの恵み(恩寵)を授けること。 神への賛美や信仰の共有を前提に、神の恵みを他者にとりなすこと。 祝福は他者への親愛の表現であるとともに祝福者の信仰告白であり、もたらされる恵みの授与者は神である。この点で、信仰告白を伴わず、自力で霊的影響力を直接・間接に行使する呪術と区別される。 祝福の恵みの源を神に帰する行為は聖別に通じる。よって教会により秘蹟・準秘蹟として行われる祝福行為に「祝別」という語が使われる。 神に祝福を求め取り成す行為は祈りに通じる。そのため、祝福を求める祈りを「祝祷」と呼び、行為者の謙遜から祝福という表現が憚られたものと解され、事実上は「祝福」と同意に用いられる。 旧約聖書に見る祝福[編集] 旧約聖書において「祝福」と訳されているヘブライ語の בְּרָכָח /berakah/ は「救済に満ちた力を付与する」を原意とする[1]。贈物や和解の意味も持ち、動詞 בָּרַךְ /barak/ としては「祝福する」以外にも感謝する、などの意であり、物質的なものが祝福の中心だった。代表的なものでは「子が生まれる」ということの中に見られた。創世1:28では神が人間を祝福した(生めよ。ふえよ。地を満たせ)。この祝福はノアと彼の子孫に(創世9:1)に引き継がれ、ユダヤ人は、子供の誕生は神の祝福を受けることと考えた。 神は、子孫の繁栄、土地の継承、全人類の祝福の源になるという約束をアブラハムに与えた(創世12:3)。この約束は,イサク(創世22:17)からヤコブへ(創世28:14)、そしてユダへ(創世49:10)、ボアズ、エッサイ、ダビデへと継承し、最終的にイエス・キリストの降誕において成就した。 神は、人が自分自身を祝福することを禁じているが(申命29:19,20)、祝福は人からもたらされるという側面を持つ。モーセは家族を祝福し、ダビデは民衆をたびたび祝福した(I歴代16:2、43)。さらに祭司は、主の御名による祝福をする役割を担っていた(レビ9:22、申命21:5、II歴代30:27)。 祝福の対は呪いである。主の命令に聞き従うならば祝福されるが、従わなければ呪われるのである(申命11:26‐28、マラキ2:2)。 新約聖書にみる祝福[編集] 祝福と訳出されるギリシャ語(コイネー)には εὐλογία
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