Month: May 2020

尼崎運河 – Wikipedia

尼崎市臨海地域・運河全景 5つの運河と3つの河川が、防潮堤や水門等で海と隔てられている。中央下付近に見られる2本の切れ目が船舶の出入口となる閘門(尼ロック)。国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスを基に作成 尼崎運河(あまがさきうんが)は、兵庫県尼崎市にある5つの運河(北堀運河、南堀運河、西堀運河、東堀運河、中掘運河)の総称である。全長は6.9km、蓬川(よもがわ)・庄下川・旧左門殿川の臨海域を流れる3つの河川を合わせた総延長は12.4kmになる。国内の多くの運河が、工場等からの物流という当初の目的を終えた中、未だ現役でその役割をもつ運河である。尼崎21世紀の森構想地区にあることから、整備、活用において一体的に捉えられることが多い。 尼崎市臨海部は明治後半から工業化が進んだ。昭和初期までは、新田の間を流れる水路を運河の代わりとして利用していたが、1934年(昭和9年)に運河の造成計画が決定。1942年(昭和17年)頃に、ほぼ現在の形に整備された。 その後工場の地下水汲み上げを原因とする地盤沈下が発生し、台風の度に大きな被害を受けるようになる。そこで、運河の物流機能を維持し、なおかつ高潮や洪水等の浸水被害から市域を守るための閘門(こうもん)式防潮堤が計画され、1955年(昭和30年)に尼崎閘門(尼ロック)が完成した。 2007年(平成19年)には、運河を核とした魅力ある地域づくりへの取組を国土交通省が支援する「運河の魅力再発見プロジェクト」の第1次認定を受け、「21世紀の尼崎運河再生プロジェクト」[1]が策定された。 北堀水門(北堀運河) 所在地[編集] 尼崎市の国道43号以南、中島川と武庫川の間に挟まれた、尼崎港を中心とした臨海地域である。 運河および施設等[編集] 総延長12.4kmに渡る運河・河川により構成され、それらの機能・役割を維持する水門・排水機場等の関連施設が建てられている。また運河沿いにおいては、水際の親水性を高めるための緑地帯や遊歩道等も整備されている[1]。  ※名称後ろのカッコ内数値は、各運河・河川の延長 運河[編集] 北堀運河(1.1km) 東堀運河(1.9km) 中堀運河(0.7km) 西堀運河(2.3km) 南堀運河(0.9km) 河川[編集] 蓬川(1.7km)

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ケン・アンドリュース – Wikipedia

ケン・アンドリュースKen Andrews フェイリュアのライヴ(2014年6月撮影) 基本情報 出生名 Kenneth Andrew Doty 生誕 (1967-06-18) 1967年6月18日(54歳) 出身地 アメリカ合衆国 ワシントン州 シアトル ジャンル オルタナティヴ・ロックオルタナティヴ・メタルスペース・ロックポスト・グランジシンセポップ 職業 ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア 担当楽器

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なな茶 – Wikipedia

なな茶(なな茶、1997年2月11日[2] – )は、日本のグラビアアイドル・TikToker。事務所はエイベックス・マネジメント。静岡県浜松市出身。血液型はAB型。本名:千葉 奈々希(ちば ななき)。 静岡県浜松市生まれ[2]。小学校・中学校時代にバスケットボール部に所属。小学校6年生のときにはガードのポジションで全国大会に出場した[3]。 中学2年14才のときハロープロジェクトが好きだった父に芸能界の道を勧められオーディションを受験。父からアイドルになったら高校受験をしなくてもいいよと言われて頑張った[3][2]。 中学3年生のとき鉄道アイドルグループ『ステーション♪』のオーディションに合格。同時に東京へ上京して本名の“千葉奈々希”名義で活動[3]。 高校卒業後、都内の大学へ入学、心理学を学ぶ(現在も在学中)。『ステーション♪』を卒業後、『アイドルカレッジ』(2014年8月30日、卒業、当時17歳。)『はつめろ☆彡』『ALLOVER』『PLC』『黒のシャーナ』と6つのアイドルグループを経験。2018年『PLC』でメジャーデビューを果たした。2021年10月でアイドル活動を終了[3]。 2018年(平成30年)、パールレディイメージガールに抜擢。翌年の2019年(令和元年)東京トンテキ秋葉原店イメージガールに抜擢[3]。 2020年(令和2年)9月、インフルエンサーのゆでたまご (TikToker)(@ yudetamasan)の活躍を知り感銘(かんめい)。本格的にTikTokを頑張るようになる。当時15万だったTikTokフォロワー数が2021年10月200万を突破[4]。現在の【SNS総フォロワー数】350万を記録する[3]。 2021年(令和3年)10月、集英社主催のヤングジャンプ【サキドルエース】11代目グランプリに輝く[3][5][6]。 Iカップ女子大生。スリーサイズB94・W59・H96[7][2] SNSが得意。TikTok320万フォロワー、Instagram31.8万フォロワー、Twitter10.26万フォロワー、YouTube登録者7.51万人、1861万再生回数(2022年2月現在)[7] 家族構成は父と弟と祖父母(すべて浜松市在住)[8]。 特定の事務所に所属しておらず「女子大生」「TikTok」「グラビア」の三刀流生活[7] 趣味[編集] 特技[編集]

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サルの自撮り – Wikipedia

マカク属のサルの「自撮り」(”selfie”) サルの自撮り(サルのじどり、英語:monkey selfies)は、メスのクロザルがイギリスの自然写真家デイヴィッド・スレイターのカメラを使って自撮りした写真のこと。この写真はウィキメディア・コモンズにアップロードされ、2014年半ばに大きな話題を呼んだ。人間以外の動物による作品に著作権は発生するのかが問題となったのである。 スレイターは自身に著作権があると主張したが、著作権を持つのはその作者であり、人間以外の(法律上の人ではない)作者は著作権では保護されないという考え方のもと複数の専門家や組織から反駁された。2014年12月、アメリカ合衆国著作権局は人間以外の動物による作品はアメリカにおける著作権の対象とはならないと宣言した。2016年、アメリカ合衆国連邦裁判所は、サルは画像の著作権を有しないと判断した[1]。 2011年、イギリスの自然写真家デイヴィッド・スレイター(David Slater)がクロザルの撮影のためインドネシアに滞在中のことだった。撮影の際、スレイターはカメラを三脚に設置し、カメラのリモートスイッチを、意図的にクロザルが触れることができるような形で放置した[2]。メスのクロザルはそのリモートスイッチを押し、何枚もの写真を撮った。ほとんどは使えないものであったが、クロザルの姿がはっきりと写っているものもあった。スレイターは後にこれを「サルの自撮り」[2]として発表した。スレイターはこの写真の著作権が自分にあるという思いから、カーターズ・ニュース・エージェンシーとライセンス契約を交わしている。スレイターの主張によれば、彼は「額に汗して」写真を撮ったのであり、「あれはサルにカメラで遊ばせておくという技術でありアイデアだったんだ。私はそれを見ていればいい。サルにそういう習性があることは知っていたし、予測もしていた。写真を撮らせるチャンスがあると知っていたんだ」[3][4]。 同じくスレイターのカメラを使用した自撮り スレイターの主張に疑義をとなえたのがITニュースサイト「Techdirt.com」だった。つまり、サルは法律上の人ではなく著作権を持つことが出来ないため写真はパブリックドメインであるというのである。そしてスレイターもサルの自撮り写真に著作権を持つことはできない。彼はその制作に関わっていないからである[3][4][5]。 カーターズ・ニュースの代理人はサルの自撮りを掲載したTechdirt.comに、許可していないとして写真の削除を求めた。さらにサイトの管理人であるマイク・マズニックに対して「〔マズニックは〕明らかにどこかから写真を『引っぱってきて』いますよね。おそらく『デイリーメール・オンライン』からと思いますが」と抗議した(一方でマズニックはもし著作権を行使できたとしても、Techdirt.comでの写真の使用はアメリカの著作権法が定めるところのフェアユースにあたると主張した)。カーターズ・ニュースによれば「誰が著作権を持っているにせよ、あなたが著作権者でないことは100%明らか」だというのである[3][5]。 スレイターの写真は画像・音声・動画を保管するウィキメディア・コモンズにもアップロードされた。このサイトはパブリックドメイン下にあるフリーコンテンツとして利用可能であるか、著作権の対象とはならないメディア素材のみを受け入れており、スレイターの写真もまた人ではなく動物による作品だという理由からパブリックドメインとして扱われた。スレイターはコモンズを運営するウィキメディア財団を相手取り、自身が著作権を有する写真である以上はその対価を支払うかコモンズから削除するよう求めた。ウィキメディア財団はこの写真の作者がクロザルであり、誰も著作権を有していないとの判断を固め、スレイターの要求を退けた[6]。この内容は2014年8月にウィキメディア財団が発表した「透明性レポート」(transparency report)により明らかになったものである[2][7]。 スレイターはBBCニュースに、ウィキメディア・コモンズ上で写真が使用可能になったことにより被った金銭的な損失について語っている。「撮影をしてから最初の一年で2,000ポンドも稼いだんです。それがウィキペディアに載ったのでは買おうという気持ちなんて失せてしまいますよ。正確な数字を出すことは難しいですが10,000ポンドかそれ以上にはなったと思います。商売あがったりですよ」[2]。スレイターはデイリー・テレグラフ紙上ではこう述べている。「あの人たちは何がわかっていないかといえば、著作権の判断をするのは法廷だということなんですよね」[8]。 アメリカとイギリスにまたがり知的財産権を専門とする法律家のメアリ・ルリアとチャールズ・スワンは、写真の作者は動物であって人間ではないため、撮影の機材が誰の所有物だろうと著作権は発生しない、と述べている[9]。しかし、イギリスのメディア法の専門家クリスティーナ・マイクロスは、コンピュータが生成した著作物に関して定めているイギリスの著作権法[注 1]をもとにするならば、カメラを所有しセッティングしたのがスレイターである以上、一連の写真には彼の著作権が生じるという議論はありえる、と語っている[6]。同様に、当時Bircham Dyson Bell LLPに所属していたロンドンの弁護士セレナ・ティアニーは、「もし彼が撮影のアングルを決め、特定の光と影の効果のもとで写真を撮影できるよう撮影機材を設置し、露出を行うか、またはフィルターやライトその他の撮影に必要なあらゆる特殊な器具を使うかしていて、サルはただシャッターを押しただけだったという場合には、彼はイギリスにおいては、これらの写真は著作権の対象であり、自身は著作者でありしたがって著作権を最初に取得した者であるという主張ができるだろう」と述べている[10]。さらに、サセックス大学の知的財産権法の上級講師であるアンドレス・グアダムズは、現在のヨーロッパの判例法、とりわけInfopaq International A/S v

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フラボバクテリウム目 – Wikipedia

フラボバクテリウム目(Flavobacteriales)とは、真正細菌における目の一つである[1]。 フラボバクテリア目は、 バクテロイデス門における目のうちの1つである[2]。フラボバクテリウム目とバクテロイデス門の他の目とのゲノムの比較研究により、高度に保存された幾つかのインデルが特定されており、フラボバクテリウム目と他の目にて共通のタンパク質27種が互いに異なる遺伝子配列によって保存されていることが発見されている[3][4]。さらに、フラボバクテリア目にだけ存在すると思われるタンパク質38種も特定された 。このフラボバクテリウム目に特異的なタンパク質のうち、26種は現在までに配列決定されたフラボバクテリウム目の全ての種に存在し、残りの12種は1つまたは2つの種のみで欠落していた。これらのタンパク質は、この目に特異的な分子マーカーとなる。バクテロイデス門の他の目であるバクテロイデス目とフラボバクテリウム目に特異的なタンパク質も見つかっており、この2つの目には、他のバクテロイデス門の目とは異なる共有の祖先が存在することが示された。 ^ Bergey’s Manual of Systematic Bacteriology, 2nd ed., vol. 1 (The Archaea and the deeply branching

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アラレちゃんのクリスマス – Wikipedia

この記事の主題はウィキペディアにおける音楽の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “アラレちゃんのクリスマス” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年1月) 「アラレちゃんのクリスマス」 小山茉美、内海賢二 の シングル A面 ジングルベル B面 赤鼻のトナカイ リリース 1981年11月 規格

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ヒダシ・ユディット – Wikipedia

ヒダシ・ユディット(Hidasi Judit、1948年7月11日 – )は、ハンガリーの言語学者、日本学者、 ブダペスト商科大学国際経営学部の言語学の教授および神田外語大学国際コミュニケーション学科教授。応用言語学博士。 ハンガリーのブダペスト 生まれ。1966年にブダペストのエトヴェシュ・ロラーンド大学 に入学、1971年に英語学および露語学の学位を取った[1]。 一般応用言語学修士、応用言語学博士。 1978年に東海大学で学ぶ。 1986年からブダペスト商科大学で教鞭を取った。1997年大学院教授資格取得。 2001年から神田外語大学外国語学部国際コミュニケーション学科教授。 ハンガリー・日本友好協会の会長を務めた。 2012年からサピエンティア・トランシルバニアハンガリー大学および城西国際大学の客員教授。 日本研究、応用言語学、異文化コミュニケーション、日欧間コミュニケーションギャップ、比較言語学、外国語教授法、異文化コミュニケーション学、言語政策の研究等で知られ。 メンバーシップ委員会[編集] 日本語ジェンダー学会会長 ハンガリー・日本友好協会の会長 日本語教育学会会員 ヨーロッパ日本語教師会会員

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グラン・カナリア島 – Wikipedia

グラン・カナリア島(西: Gran Canaria)は、北大西洋のカナリア諸島を構成する島。行政的にはスペインのカナリア諸島州に含まれる。島名は「犬の島」を意味する。 15世紀にスペイン人によって攻め落とされる前には、グアンチ人(スペイン語: Guanches)が住んでいた。どのような状況の下でグアンチ人が入植し、島を開拓して住んできたのかは完全に解明されていない。グアンチ人とはもともとテネリフェ島の原住民のみを指していたため、グラン・カナリア島の原住民はむしろ元カナリア人と呼ばれることが多い。洞窟内に石を用いて建てた円形の住宅に住んでいた。 島には数多くの犬が居たため、ラテン語の「インスラ・カナリア」(ラテン語: Insula Canaria、犬の島)が島名の由来であるとする説がある。しかし、アフリカの北東部に住むベルベル人の一民族であった「カナリイ」から派生したとする説のほうが有力である。 カスティーリャ地方の知事ペドロ・デ・ベラ(英語版)は、1483年4月には原住民との戦闘を正式に終結した。島はそれ以来、スペインの支配下にある。 最高峰は1949mのピコ・デ・ラス・ニエベスである。島内にはカナリア・ビエラ・イ・クラビホ植物園がある。 何世紀にもわたって人間による森林破壊が行われたが[1]、20世紀以後には植林も行われている[2]。主に亜熱帯気候である。 行政区分[編集] グラン・カナリア島の旗 スペインに17ある自治州のひとつとしてカナリア諸島州が設けられており、スペインに50ある県のひとつとしてラス・パルマス県が設けられている。グラン・カナリア島はカナリア諸島州ラス・パルマス県の一部である。また、カナリア諸島の主要7島にはそれぞれ島庁(英語版)が設置されており、グラン・カナリア島にはグラン・カナリア島庁がある。島は21のムニシピオ(基礎自治体)に分かれている。 自治体[編集] 最大都市はラス・パルマス・デ・グラン・カナリアであり、ラス・パルマスはテネリフェ島のサンタ・クルス・デ・テネリフェと共同でカナリア諸島州の州都を務めている。 アガエーテ アグイーメス(英語版) アルテナーラ(英語版) アルーカス(英語版)

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数土文夫 – Wikipedia

本来の表記は「數土文夫」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 – )は、JFEホールディングス第2代社長・相談役、元日本放送協会経営委員会委員長。元東京電力ホールディングス取締役会長。 出生・人物[編集] 富山県旧富山市の村役人を務めた家に生まれ、父は国語教師で、石動高校と新湊高校で校長を務め、婦中町教育長も務めた數土寅夫[1]。富山県立富山中部高等学校、北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。 剛腕の経営者として知られ、為替、金利など経済・経営全般に関する発言も見られる。中国の古典を愛読。兄の直方はエスエス製薬名誉会長。東京大学工学部を卒業し、泰道照山の三女と結婚した[2]。弟の数土武夫も東京大学工学部卒で、同仁医薬化工社長、エスエス製薬取締役を務めた[2]。 1964年 – 川崎製鉄入社 1994年 – 同取締役 1997年 – 同常務 2000年 –

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澁谷工業 – Wikipedia

澁谷工業株式会社(しぶやこうぎょう)は、石川県金沢市に本社を置く日本の機械メーカーである。 ボトリングシステム(飲料、調味料、医薬品、化粧品などの液体充填システム)の製造で国内トップシェアであり、世界でも大きなシェアを占める。近年では、iPS細胞を用いた再生医療の機械装置メーカーとして世界初の技術をいくつか開発している。JPX日経中小型株指数の構成銘柄の一つ[1]。 1931年に創業した、蒸した酒米を広げる際に使う麻布を扱う「澁谷商店」が前身である[2]。 1953年、2本の一升瓶の内外を同時に洗浄できる「二連式瓶洗機」を開発し、当時手洗いだった中小メーカーの作業効率化に貢献した[3]。「二連式瓶洗機」は2011年、石川県の「いしかわモノづくり産業遺産」に認定された[3]。 1955年にボトリングシステムの市場に参入[4]。この頃は三菱重工業、日立造船など10社を超える企業が先行していたが、大手は欧米の技術を導入していたため、同じ型の瓶に充填する大量生産型のモデルだった[4]。小規模の清酒メーカーより種類の違う瓶に充填できる機械がないという声を聞き1959年に開発したものの、最初に納めた愛媛県の清酒メーカーでは軽くて倒れやすい二合瓶が割れるばかりだった[4]。その後は改善されて多品種の瓶に対応できるようになり、小規模の清酒メーカーが購入するようになった[4]。その後ボトリング機械に専念し、ジュースや洋酒メーカーなどにも手を広げていった[5]。 1970年代後半、消費者ニーズの多様化によって瓶の形も様々な物が使われるようになり、ボトリング装置も一台で多くの種類の瓶に対応することが求められるようになったため、澁谷工業はシェアを伸ばした[5]。さらにレーザーでラベルに製造年月を印字する技術の導入などによって他社との差別化を図り、1980年頃には国内シェアでトップとなった[4]。 1985年、大学教授からのアイディアをもとにレーザーを利用した水虫治療器を開発したが、600万円と高額だったため全く売れなかった[4]。しかし、医療機器分野へ進出したという報道から話が進み、1991年から開発を始めた人工透析器は2004年時点のOEMでシェア20%となるまで成長した[4]。 1993年、医薬品の瓶詰で実績のあった無菌充填技術を応用し、ペットボトルに無菌状態で瓶詰めできるボトリング装置を開発[4]。ペットボトルの加熱殺菌が不要となったことからボトルの肉厚を薄くできるようになり、製造業者のコストダウンにつながった。樹脂製のふたをペットボトルに絞める技術の特許も開発し、ペットボトルのボトリング装置では100%近いシェアを持つようになった[4]。ボトリング装置関連は2014年時点でも売上高の64%を占めている[6]。 澁谷弘利社長が三洋電機バイオメディカ(2005年に三洋電機と合併)の経営トップと顔を合わせてから話が進んでバイオテクノロジーの分野に参入し、再生医療で必要とされる細胞培養技術において、安価で小型かつ使いやすい装置の開発に乗り出した[7]。製薬企業向けに作っていたアイソレーターを改良し、2004年3月、産業技術総合研究所ティッシュエンジニアリング研究センター(当時)と三洋電機バイオメディカと共同で小型の「閉鎖型ヒト細胞培養システム」を開発し、国立病院大阪医療センターへ納めた[5]。 その後もバイオ3DプリンターRegenovaの開発[6]、山口大学との肝臓の再生医療研究の共同開発[8]、IPS細胞による網膜再生医療の研究を進めているベンチャー企業ヘリオスとの培養装置開発[6]など、再生医療分野の展開を進めている。2014年6月には、金沢テクノパーク内に日本初となる再生医療の専門工場を新設した[6][9]。 1931年 – 澁谷庚子智が金沢市新竪町で澁谷商店を創業。 1949年 – 澁谷商店を改組して澁谷工業株式会社を設立。 1959年 – ボトリングシステム第1号を開発。 1978年

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