アレハンドロ・マルドナド・アギーレ – Wikipedia
マルドナド大統領(2015年) アレハンドロ・マルドナド・アギーレ(Alejandro Maldonado Aguirre、1936年1月6日 -)は、グアテマラの法学者、政治家。オットー・ペレス・モリーナ大統領が汚職を批判されて辞職した後、任期の残りにあたる2015年9月から2016年1月まで代理のグアテマラの大統領を務めた。 マルドナドはグアテマラシティに生まれ、サンカルロス大学で法学の学位を得た[1][2]。彼は学者と政治家の両方の活動を同時に行い、軍政時代からの非常に長い経歴を持つ。学者としては30年以上にわたって国際政治・社会学・憲法理論などをサンカルロス大学、ラファエル・ランディバル大学(URL)、フランシスコ・マロキン大学(UFM)で教えた[1][2]。 政治家としては反共右派の国民解放運動(MLN)の党員であり、革命党のフリオ・セサル・メンデス・モンテネグロが大統領の時代には反対派の議員だった[1][2]。カルロス・アラナ・オソリオ大統領の時代に教育相をつとめた[1][2][3]。キエル・エウヘニオ・ラウヘルド・ガルシアとロメオ・ルカス・ガルシアが大統領の時代にはニューヨークおよびジュネーブの国連大使をつとめた[1][2]。 1980年には右派の国民刷新党(PNR)を組織した[1]。1982年3月の選挙 (1982 Guatemalan general election) にマルドナドは国民刷新党と中道のビニシオ・セレソのキリスト教民主党(DCG)の連合(UNO)による大統領候補として出馬したが3位に終わった[1][2][3]。エフライン・リオス・モントのクーデターによってこの選挙は無効とされた[1][2]。 翌年オスカル・ウンベルト・メヒア・ビクトレスによってふたたびクーデターが起こされてリオス・モント政権が倒され、1984年に制憲会議が開かれると、マルドナドも議員のひとりとして参加した[1][2]。新たに制定された民主化憲法のもとで行われた1985年11月の大統領選挙 (1985 Guatemalan general election) ではセレソが当選し、マルドナドも立候補したものの全くの泡沫候補(7位)だった[1]。セレソ政権下では憲法裁判所判事をつとめた[1]。 1990年11月の選挙 (1990–91 Guatemalan general election) で国民刷新党は0.7%の得票率に終わり、党としての存続が不可能になった[1]。この選挙に当選したホルヘ・セラノ・エリアス大統領時代にマルドナドは在メキシコ大使をつとめた[2]。 ラミロ・デ・レオン・カルピオ大統領の下では外相をつとめた[1][2]。アルバロ・アルス大統領の下ではふたたび憲法裁判所判事に任命された[1]。
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