楽珍トリオ – Wikipedia

楽珍トリオ(らくちんトリオ)は、WAHAHA本舗内セクション・WAHAHA商店に所属していたお笑いトリオ。2009年12月14日を以って解散。

メンバー[編集]

  • 久彌 繁 (ひさや しげる、1978年8月28日 – )
    立ち位置は真ん中で、コントを進めるリーダー格。
    奈良県奈良市出身。
    高校生時代の部活は剣道部で、近畿大会まで出場する腕前。
    関西学院大学文学部哲学科を一年で退学、その後早稲田大学教育学部に入学。同大学は中退。
    本名・桝崎徹で活動していたが、2005年に現在の芸名に改名。
    解散後は事実上の芸能界引退。地元奈良市で学習塾講師をしている。
    2011年詐欺で逮捕された。
  • 浜田もり平(はまだ もりへい、1978年10月8日 – )
    立ち位置は左。
    青森県青森市出身。
    高校生時代の部活はボクシング部で、一年生の時にインターハイに出場。
    高校卒業後に航空自衛隊に入隊し小牧基地に配属、ヘリコプター整備員を務めた[1]
    その後上京し、NSC東京校に6期生として入学、卒業後「ハマ男爵」の芸名でピン芸人としてデビュー。後にコンビを結成する。シアターリパブリックのオーディションには、この当時の相方の勧めで受けに行ったという。このコンビは『今野里帆子とハーゲンダッツ』を結成し活動を始めたのと同時に解散。
    本名で活動していたが、2005年に現在の芸名に改名。
    妻は、同じくWAHAHA本舗所属のセクシー寄席メンバーの寺田奈美江。楽珍トリオ解散後は、この夫婦でのコンビ「はまこ・テラこ」で活動。2009年のM-1グランプリにも「はまこ・テラこ」で出場。
    2012年には爆笑レッドカーペットなどにも出場。浅草の漫才協会にも入り、活動の場を広げている。
  • 我 善導(われ ぜんどう、1981年10月3日 – )
    愛知県出身。
    立ち位置は右。
    俳優になることを目指し上京、舞台芸術学院に入学。同学院卒業後、シアターリパブリックのオーディションを受けることになる。
    楽珍トリオ解散後は俳優の道へ進み、様々な舞台で活動。
    2011年には東宝制作のZORRO THE MUSICALのプリンシパルをオーディションで勝ち取りミュージカル初出演を果たす。

3人はいずれも個人で、演劇制作会社『シアターリパブリック』のオーディションを受け、そこで出会うこととなる。その時3人とも今と同じくハゲ頭だったという理由で会社から組んで活動するように言われ[2]、2002年5月に、この3人と他2人の5人で『今野里帆子とハーゲンダッツ』を結成。同年9月までに他の2人が脱退するも、残る3人で活動を続行。この時にトリオ名を『ハーゲンダッチュ』に改める。

翌2003年8月にトゥインクル・コーポレーションに所属。2004年8月にシアターリパブリックから、同年9月にはトゥインクル・コーポレーションから共に離れ、一時休止の後フリーで活動を再開する。

2005年4月にWAHAHA本舗(WAHAHA商店)に所属。同時にハーゲンダッチュから楽珍トリオに改名した。

日本全国を自動車一台で巡回するというツアー『楽珍トリオの修行の旅』を、2007年から年一回行っていた。

『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)では、前説を務めていた(2009年11月28日の放送では、番組本編にも出演した)。

2009年12月14日、久彌繁のWAHAHA本舗退社により解散[3]。浜田は芸人として、我は俳優としてそのままWAHAHA本舗に残り、活動を続けている。

  • トイレの清掃器具のラバーカップ(スッポン)を使うと言う芸があり、これを頭にくっ付けたり離したりして音楽を奏でるというものがある。他には、このスッポンを辮髪に見立てるという形で、くっ付けたまま拳法や中国武術のコントなどを演じるというものもある。
  • この他には『相撲部』のコントなどがある。
  • コントの時には、久彌がメガホンを持ってツッコミを入れるということが主となっている。時に、浜田が横で笑っているだけになって「何か言え!」とツッコミを入れられることもある。

テレビドラマ[編集]

我善導[編集]

他多数

外部リンク[編集]