この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ゲーム機” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年3月) ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピューターゲーム)を動作させるための装置の総称[1]。ゲーム用のハードウェア全般[1]。あくまで総称なので、 家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、(もっと素朴な)任天堂のゲーム&ウオッチや(初期の)たまごっちなどもゲーム機であり[1]、さらに言うとビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)も、ゲーム専用機ではないが、ゲーム機の一種である[1]。とは言え世の中に普及している台数の比率の影響で、子供などが漠然と「ゲーム機」と言う場合は「家庭用ゲーム機」を指すことが多くなっている[1]。 総称でゲーム機と呼ばれるものには、アーケードゲーム機、家庭用ゲーム機、電子ゲーム、パーソナルコンピュータなどがある。それぞれがさらに下位分類されている。→#種類・分類 アーケードゲーム アーケードゲームとして最初に成功した製品はアタリ社が1972年に登場させた『ポン』である。その後続々とアーケードゲーム機が登場。特に1978年にはタイトーがスペースインベーダーを開発、好評を博し、世界各地でゲームセンターが作られ、タイトーのアーケードゲーム機が設置されることになり、ゲームを産業として確立させた。インベーダーゲームのヒットを目の当たりにして、そのゲーム機を模倣したアーケード機も製造する会社も多数登場した。このインベーダーゲームのゲーム機と、その後タイトーがとったやりかたで、新しいゲームをプレーヤーに提供する場合は、一番外側の筐体はそのままに、内部のメモリ(メモリボード)を交換する形で、そして必要に応じてグラフィックボードも交換することで、あらたなゲームが動くゲーム機に仕立てる、という方式が広まっていった。 家庭用ゲーム機 一方、アーケードゲームを家庭で手軽に楽しむため最初期の家庭用のゲーム機が登場したが、初期の家庭用ゲーム機は初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていた[注 1]ため、「1ハード1ゲーム」つまりひとつのゲーム機ではひとつのゲームしか遊べない状態で、あるいはせいぜい複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。その欠点を解消するために、1977年に登場したAtari 2600ではカートリッジでプログラムを交換する方式を導入し、ヒット機となった。 1980年代から1990年代前半にかけて、多くのメーカーによってゲーム機が開発・発売された。この時期に主要ゲーム機を販売していたのは任天堂、セガ、日本電気ホームエレクトロニクスであり、1983年に任天堂から発売されたファミリーコンピュータはカートリッジ方式(カセット方式)を採用し、サードパーティーにライセンス方式でソフトウェアの製造をさせ、価格を安価に設定した上に、多くのソフト開発会社から良質のゲームソフトが続々と発売された。結果的に累計販売台数は1991年3月末時点までに約1,600万台に達した。 1994年にソニーコンピュータエンタテインメント(SCE)(現・ソニーインタラクティブエンタテインメント)のPlayStationが市場に参入してからは、任天堂とセガ、SCEの3強による寡占状態へとなっていった。
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