北陸鉄道松金線 – Wikipedia
停車場・施設・接続路線(廃止当時) 松金線(しょうきんせん)は、石川県金沢市の野町駅から石川県石川郡松任町(現白山市)の松任駅までを結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。開業時は馬車鉄道であった。 第二次大戦中に金沢市内線の路線延長区間に資材を供出するため野々市 – 野町駅前間が廃止され、残存区間も国道8号線(当時、現県道291号線)の整備と北陸鉄道の経営合理化のため、1955年(昭和30年)11月15日全線廃線となった。廃止路線や区間が多い北陸鉄道にあって、他の路線は1960年代後半から廃止が始まったのに対し、松金線はかなり早い廃止であった。 路線データ[編集] 路線距離(営業キロ):8.4km(最盛期) 軌間:1067mm 複線区間: なし(全線単線) 電化区間: 全線(直流600V) 野々市変電所(松金電車電化時)三相誘導電動発電機(交流側3450V直流側550V)直流側の出力75kW、製造所奥村電機[1] 松任は石川郡役所の所在地であり手取川扇状地の中心地として物資が集まり繁栄していた。1898年官設鉄道北陸本線松任駅が開業したが、一日上下5本であり便利とはいいがたかった。1899年ころ地元有志により松任-金沢を結ぶ鉄道敷設を計画し、1902年松金馬車鉄道[3]が設立された。社長は政友会所属の代議士である田中喜太郎[4]が就任した。1904年松任町 – 有松間を開業し翌年には金沢市野町まで延伸開業した。明治後期には40分おきの運行しており1日20往復であった。 金石馬車鉄道(金石電気鉄道)が金沢近郊では最初の電化であったが、松金馬車鉄道でも1914年2月臨時株主総会においては電化すること、それに伴い資本金を4万円から22万円に増資することを決議した。当初は従来の併用軌道から専用軌道への転換を予定したものの、耕地整理済みの田の売却を拒む地主が続出した。やむなく馬車軌道を再利用したが道路の拡幅工事が必要なための土地買収費が必要になった。この増資により大株主は横山家の横山芳松となった。 この電化計画の時期に石川鉄道が新野々市-鶴来間の建設工事をしており松金電車鉄道とは野々市村付近で交差する。この交差工事について対立はあったもののやがて協定書を交わし交差部には連絡駅(野々市駅)を設けることになった[5]。この電化と石川鉄道との連絡運輸により利用客は増加し利益は増加した。 1919年に開業した金沢電気軌道は松金電車鉄道及び金石電気鉄道への連絡線延長を計画した。そして効率的な経営には合併が不可避として合併協議がなされた。金石電気鉄道については買収価格が高額であるとして断念したが、松金電車鉄道については株主総会で異議無く承認され、1920年合併手続きは完了した。買収後松金線は待避線を2ヶ所設け35分間隔から20分間隔に縮め、電車の増発をした。これにより乗客は増加していった。 運行形態[編集]
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