オーストラリア大陸の衛星写真。大陸東部にグレートディヴァイディング山脈が延びる。 グレートディバイディング山脈(グレートディヴァイディングさんみゃく、Great Dividing Range)は大分水嶺山脈、東部高地などとも呼ばれ、オーストラリアで最も重要な山脈であり、世界で4番目に長い山脈である。山脈はクイーンズランド州の東北端沖にあるダウアン島から、ニューサウスウェールズ州の東部海岸地帯に伸び、さらにビクトリア州で西へ方向を変え、最後にビクトリア州西部のグランピアンズの中央平原になる。全長は3,500キロメートル(2,175マイル)以上になる。山脈の幅は変化に富み、約160キロメートルから、300キロメートル以上にもなる[1]。オーストラリア大陸の最高峰コジアスコ山 (2,228m、ニューサウスウェールズ州)や、オーストラリアアルプス山脈(ニューサウスウェールズ州南部〜ビクトリア州東部)を含む。 海岸低地と西部高地の間の大きな落差による地形効果は気候に影響し、高起伏が壮大な渓谷をつくる[2]。 グレートディバイディング山脈はオーストラリア東部の大部分を占めている。 グレートディバイディング山脈の位置 グレートディヴァイディング山脈は3億年以上前の石炭紀に、オーストラリア大陸が南米大陸の一部およびニュージーランドと衝突したことで生じたと考えられている。非常に古い時期の造山運動であったため現在までに地形は著しい侵食を受け、現在の山脈は起伏の激しい山塊に分けながら、主稜線ではなくいくつものピークから延びる複数の枝尾根、台地、高地、崖などで山脈全体が構成されている。この地形区分はEast Australian Cordillera(東部オーストラリア大山脈)と呼ばれる。 山脈へは中緯度高圧帯からの貿易風が吹き付けて降雨となり、分水嶺の名のごとく山脈を境に東部・西部・北部へ流れる河川とに分けている。東部は太平洋へ流れ、南部はマレー川・ダーリング川が西へ流れ、北部はカーペンタリア湾へ流れている。 分水嶺はオーストラリアの地域や地域、気候帯を分ける明瞭な境界にもなっている。 この山脈は、もともとはアボリジニの居住地であった。装飾された洞窟や、海岸地帯と内陸地帯を移動する時に利用されたキャンプサイトや道などによって、彼らがいくつかの場所を占有していたという証拠が残されている。 1788年の西洋人の入植後、これらの山脈は実地踏査やイギリス人の入植者による入植の妨げとなった。標高はそれほど高くないが、これらの高地は非常に起伏に富んでいた。 1813年に、シドニーからブルーマウンテン山地を経由し、バサースト(Bathurst)へ直接行けるルートが、ウィリアム・ローソンおよびウィリアム・チャールズ・ウェントワースを含む、グレゴリー・ブラックスランドの探検隊により発見された。後にブルーマウンテンの街に彼らの名がつけられている。これが、ニューサウスウェールズ州の内陸部の農業地域の発展の始まりとなった。ニューサウスウェールズ州内陸部へのより簡単なルートは、ゴールバーン(Goulburn)へ向けて南西へ向かうルート、ニューカッスルから西へ行くルートが発見された。 続く実地踏査は主稜線周辺において、アラン・カニンガム、ジョン・オクスリー、ハミルトン・ヒューム、ルドヴィヒ・ライヒハートおよびトーマス・ミッチェルによって行われた。これらの探検家は農業地帯に適した土地を見つけることに主に関心を払った。 1830年代後半までに、山脈に面した最も肥沃な牧草地が探検され、入植された。これらには南部のギップスランド地域とリバーリナ地域を含み、北部のリバープル・プレインズ(Liverpool Plains)やダーリング・ダウンズ(Darling Downs)が含まれる。
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