福井県立藤島高等学校 – Wikipedia

福井県立藤島高等学校(ふくいけんりつ ふじしまこうとうがっこう)は、福井県福井市文京に所在する公立の高等学校。

設置学科[編集]

設立年は福井藩校明道館開校の安政2年(1855年)に遡り、旧制福井中学校と福井高等女学校を前身とする県内随一の伝統校である。文部科学省より、2004年度および2009年度に、それぞれ5年間のスーパーサイエンスハイスクール (SSH) 指定を受けている。
正面玄関に笠原行雄作の橋本左内石膏像、高田博厚作のレリ-フ「優美・慈愛・平和」、生徒玄関に雨田光平作レリ-フ「進歩・高揚・成功」が設置されている。制作者はいずれも卒業生である[1]

  • 1855年 – 福井藩校明道館を城内三ノ丸(現・福井市大手2丁目)に創設。
  • 1869年 – 明新館と改称し、城内御本丸に移転。
  • 1873年 – 福井私立福井中学と改称。
  • 1874年 – 福井明新中学と改称。
  • 1882年 – 福井県福井中学校として発足。
  • 1889年 – 福井県尋常中学校と改称し、女子部を併設。
  • 1892年 – 女子部が独立し、福井県高等女学校として佐佳枝上町に開校。
  • 1897年 – 福井県福井尋常中学校と改称。
  • 1899年 – 福井県福井中学校と改称。福井県高等女学校校舎を宝永町に移転。
  • 1901年 – 福井県立福井中学校、福井県立福井高等女学校と改称。
  • 1906年 – 同窓会「明新会」(現「一般社団法人 明新会」)が発足。
  • 1930年 – 福井県立福井高等女学校校舎を和田村勝見(現・福井市御幸2丁目)に移転。
  • 1936年 – 福井県立福井中学校校舎を牧ノ島(現・福井市文京2丁目)に移転。
  • 1945年 – 福井県立福井高等女学校校舎が戦災によって焼失。
  • 1948年 – 学制改革に伴い、福井県立福井中学校と福井県立福井高等女学校を統合し、福井県立福井第一高等学校として発足。通信制課程を併設。校章を制定。
  • 1949年 – 福井県立福井第一高等学校と福井県立福井第二高等学校工業課程を統合し、福井県藤島高等学校と改称。
  • 1956年 – 創立100年祭を挙行。現行の校歌を制定し、「福井県藤島高等学校百年史」を発刊。
  • 1957年 – 福井県立藤島高等学校と改称。工業課程が独立し、福井県立福井工業高等学校(現・福井県立科学技術高等学校)として山奥町に開校。
  • 1971年 – 通信制課程が福井県立道守高等学校へ移管。
  • 1980年 – 同校と高志高校との間で学校群選抜入試制度を実施。
  • 1988年- 「百三十年史」を発刊。
  • 1994年- 米国ニュージャージー州ニュープロビデンス高校(en:New Providence High School)と姉妹校提携。
  • 2004年 – 藤島・高志学校群選抜制度が廃止。文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。
  • 2006年 – 創立150周年記念式典を挙行し、「百五十年史」を発刊。
  • 2009年 – 文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。

学校関係組織[編集]

一般社団法人明新会(めいしんかい)は、1906年に発足した、福井県立藤島高等学校の公式な同窓会である[2]。藤島高校内の本部の他、卒業生の多い全国6カ所に支部を持つ。

明新会本部の新嶺会館三階には展示室が開設されている[1]

年に1回本部にて明新会総会、各支部にて総会を開いて卒業生の親睦を深めている。藤島高校卒業生は全員卒業と同時に自動的に明新会会員となる。卒業式の卒業生退場ののち再び卒業生が講堂に集められ明新会入会式が行われるのが慣例となっている。

明新会の支部としては、関東支部(東京明新会)、金沢支部(金沢明新会)、近畿支部(近畿明新会)、中京支部(中京明新会)の各地域支部の他、福井県庁支部及び福井市役所支部が置かれ、それぞれ県庁庁舎内及び市役所庁舎内に事務所が置かれている[3][4][5]

周辺施設[編集]

著名な出身者[編集]

アクセス[編集]

  • 京福バス
    • 23系統 福井総合病院線(市立図書館前経由)、25系統 エンゼルランド線、26系統 福井総合病院線、27系統 大学病院・新田塚線、28系統 運転者教育センター線 「藤島高校前」(南行)・「藤島高校前(県立美術館前)」下車、約50 m。
  • すまいるバス:北ルート(田原・文京方面)「藤島高校前」下車、約50 m。
  • えちぜん鉄道三国芦原線、福井鉄道福武線 田原町駅下車、約600 m。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]