ビョーク – Wikipedia

ビョーク・グズムンズドッティル (Björk Guðmundsdóttir [ˈpjœr̥k ˈkvʏðmʏntsˌtoʊhtɪr] ( 音声ファイル))、1965年11月21日 – )は、アイスランドの歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、女優。

アイスランドのレイキャヴィークで生まれた女性歌手で、ビョークとして知られている。ソロで精力的に活動する以前は、オルタナティヴ・ロックバンド「ザ・シュガーキューブス」のメイン・ボーカルとして活動していた。

彼女は様々なジャンルの音楽に影響を受けた革新的な音楽を生み出すことで知られ、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得している。

彼女のレコード・レーベル One Little Indianによると、2003年現在、彼女は全世界で1,500万枚のアルバムを売り上げている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第60位にランクインしている[1]

また、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第35位にランクインしている[2]

「ビョーク」とは「カバノキ」、「グズムンズドッティル」とは「グズムンズの娘」を意味する。

見た目は東洋人によく似ているが、両親共にアイスランド出身であり、東洋の血は流れていない。しかし、アイスランドや北欧では、ごく稀に東洋人のような風貌(黒い髪、黒い瞳、丸顔、低い背丈)に生まれる事がある。

1990年以前[編集]

ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、4歳の頃から作曲を始め、7歳から地元の音楽学校に通いフルートやピアノ、クラシックを学ぶ。

1977年に母ヒュドゥルの勧めで12歳にしてアルバム『Björk Guðmundsdóttir』でデビュー。アイスランド童謡を歌ったこのレコードで、アイスランド国内で爆発的な人気を得る。しかし彼女自身はカバーばかりで自分の曲が1曲しか入っていないこのアルバムに満足していない発言を後に残しており、レコード会社からの2枚目のアルバムの話を断り、天才少女の肩書きと決別する。

さらに、アーティストたるもの新しいものを創造することが使命であり、過去の作品を演奏することの多いアカデミックな音楽教育に疑問を呈する発言をしており、その後アイスランドに訪れたパンクの波に影響され13歳で「タッピティカラス」などのいくつかのバンドを結成。さまざまなパートを担当する。

1986年、ギタリストのソール・エルドンと結婚し、6月8日に息子シンドリを出産。この日にギターポップバンド「ザ・シュガーキューブス」を結成。夫と共に立ち上げたレーベル「バッド・テイスト」からデビュー。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集めて人気インディーズバンドとなり、1990年にはワールドツアーを行い、来日も果たす。
同じく1986年アイスランドにて息子シンドリの育児をしながら、グリム童話を題材にした映画 ビョークの『ネズの木』〜グリム童話よりに主演を果たしている。

1990年以降[編集]

ザ・シュガーキューブス解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ソロとしては3枚目であるが改めて『デビュー』と題したこのアルバムはハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫でフォースフルなボーカルが大々的にフィーチャーされ、世界的にヒットした。

1996年に、精神を患ったフロリダの熱烈なファン、リカルド・ロペスが、彼女のロンドンの自宅にビョークを殺害する目的で、酸を噴射する郵便爆弾を送り付けた[3]。この計画が実現する前にロンドン警視庁によって爆弾は回収された[3][4]。ロペスは日記と22時間に及ぶビデオにビョークへの強迫観念や、彼女と婚約者ゴールディのロマンチックな関係について知っていることを語り、爆弾の製造を撮影し、自殺した[3][4]

ビョーク(2000年撮影)

若い頃には東洋的な顔立ちから日本人に似ていると周囲に指摘され、三島由紀夫などの日本文学を読んでいた。幼少時に観た日本映画『鬼婆』に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。空手をしていると公言したり「アーティストとして初めてリスペクトされていると感じたのが日本」ともコメントしている。その影響か日本人アーティストとコラボレートすることも多く、アコーディオニストのcobaは1995年のワールドツアーに参加。アートディレクター石岡瑛子にはミュージックビデオの監督を依頼。DOKAKAはヒューマンビートボックスでアルバム『メダラ』に参加した。川久保玲やジュンヤ・ワタナベの服を好んで着ることでも有名。写真家 荒木経惟のファンであり、彼が撮ったポートレートをアルバム『テレグラム』(1996年)のジャケットに使用したほか、荒木のドキュメンタリ映画『アラキメンタリ』に出演したり雑誌などでも盛んに共演している[5]

2000年、ミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に主演。ゴールデングローブ賞主演女優賞、最優秀オリジナル・ソング賞にノミネート。カンヌ国際映画祭のパルム・ドール、最優秀女優賞を受賞した。劇中での音楽を担当し、アルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』をリリース。グラミー賞とアカデミー賞にノミネートされ、アカデミー賞会場ではマラヤン・ペジョスキーがデザインした白鳥ドレスを着てレッドカーペットに現れ、ステージで劇中歌「I’ve Seen It All」を披露し、大きな話題を呼んだ。
日本では2001年の正月映画として公開されヒットした。

2004年に行われたアテネオリンピックの開会式で「Oceania」をパフォーマンス。

同年、ビョークは日本についての映画『拘束のドローイング9』への出演とサウンドトラック創作に打ち込んでいた。同作を製作したアーティストのマシュー・バーニーとの間に娘イザドラをもうけたが、2013年に破局した。

2008年1月13日、ニュージーランド滞在中に、オークランド国際空港で、カメラマンがビョークの付き添い人の制止を無視して写真を数枚撮影して離脱しようとしたが、ビョークが追いかけてカメラマンのTシャツを引き裂いた。揉み合いを続ける中、ビョークは床に転倒した[6]

ビョークは2012年11月22日、自身のFacebookページにおいて、数年前に医師から声帯にポリープがあることを告げられ、その後4年間に及ぶ食事療法などを行って来たが、最終的にレーザーによる本格的な治療を行った為、しばらく休養する旨を発表した。ビョークは発表したメッセージの文末で「食事療法などがうまくいくと信じていたし、仕事をキャンセルするような事になるまでは、この話はしたくなかった。2013年に、また皆さんの前で歌える事を楽しみにしています。」としている。

以下は原文:

dear friends

few years ago doctors found a vocal polyp on me chords … i decided to go the natural way and for 4 years did stretches and tackled it with different foods and what not . then they discovered better technology and i got tempted into hi tech lazer stuff and i have to say , in my case anyway : surgery rocks ! i stayed quiet for 3 weeks and then started singing and definitely feel like my chords are as good as pre nodule ! it´s been very satisfying to sing all them clear notes again .

im sorry i had to cancel stuff earlier in the year , didnt want to talk about this until i knew for sure if it would work . so looking forward to singing for you in 2013

all the warmth ,björk. — Björk、ビョーク (@bjork) – Facebook

2015年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)にてビョークの回顧展が開催された[7]。回顧展に合わせて書籍『Björk: Archives』を出版[8]。また、このときに展示された「Stonemilker」の360度パノラマVR(バーチャル・リアリティ)ビデオは、iOS向けアプリ「Björk: Stonemilker VR」として発売された[9]

様々な分野のミュージシャンとコラボレーションを行うことでも知られ、インタビューなどでビョークに影響を受けたと答えるミュージシャンも多い。アーティスティックスイミングのヴィルジニー・デデューやフィギュアスケートのミシェル・クワン[要出典]、髙橋大輔(2007-2008シーズンエキシビジョン)の演技で彼女の曲が使われるなど、他分野の人々にも影響を与えている。

その他の活動[編集]

慈善活動[編集]

スマトラ島沖地震 (2004年)の後、ビョークは被害者支援の資金を調達するために、新しく「Army of Me: Remixes and Covers 」というプロジェクトを始めた。1995年のトラック「Army of Me」のカバーやリミックスのために世界中のファンとミュージシャンが募集され、600以上のレスポンスからビョークと彼女の共同ライター Graham Massey がベスト20をアルバムのためにピックアップして制作した。このアルバムは2005年4月にイギリスで、続いて5月にアメリカで発売され、2006年1月までに250,000ポンド近くを集め、東南アジア地域を助けるユニセフの事業に送られた。[10]ビョークは2006年2月に、津波被害を受けた子供たちに関するユニセフの仕事を見に、バンダ・アチェを訪れた[11]

2005年7月2日、ビョークはDo As Infinity、グッド・シャーロット、マクフライと共に、チャリティー・コンサート LIVE 8 の一つ
で千葉の幕張メッセで開催された LIVE 8 JAPAN に参加した。マトモス、ジーナ・パーキンス、日本の弦楽八重奏と共に8曲歌った[12][13]

政治的な活動[編集]

2008年3月2日、中国・上海で行われたコンサートで事前に演奏を届け出ていない[14]「Declare Independence」を歌った際にチベットを連呼した[15]。これを受け、中国文化省は文化省のサイト上で、規定に違反して個人的な芸術活動を政治利用し人民の感情を傷つけると不快感を表すコメントを掲載すると共に、中国国外アーティストへの制限を強化する意向を発表している[16]。一方のビョークも自身のサイトで、自分は政治家ではなくミュージシャンである旨のコメントを返している。

2008年2月に日本武道館で開催されたコンサートでは、同じ曲でコソボを連呼しており、この影響でセルビアでのフェスティヴァルの出演をキャンセルされている[17]

ビョークは母国の環境問題にも関心を持っており、クリスティン・ペトルスドッティルとハッラ・トーマスドッティルという女性二人が設立した持続可能性を重視した投資銀行オイズル・キャピタル英語版と組んで、2008年にアイスランドの経済の回復と環境保護を目的に、同国の新興企業に投資する「ビョークファンド」を立ち上げた[18]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオアルバム[編集]

サウンドトラック[編集]

リミックスアルバム[編集]

  • ザ・ベスト・ミクシーズ・フロム・ザ・アルバム・デビュー・フォー・オール・ザ・ピープル・フー・ドント・バイ・ホワイト・レーベルズ/The Best Mixes from the Album Debut for All the People Who Don’t Buy White Labels (1994) – 『デビュー』のシングルから選曲したリミックスアルバム
  • テレグラム/Telegram (1996) – 『ポスト』のシングルから選曲したリミックスアルバム
  • バスターズ/Basterds (2012) – 『バイオフィリア』のシングルから選曲したリミックスアルバム

ベストアルバム[編集]

  • 『グレイテスト・ヒッツ』 – Greatest Hits (2002) – ファン投票を元にしたベストアルバム

ボックスセット[編集]

  • ファミリー・トゥリー/Family Tree (2002) – ビョーク自身の選曲による『グレイテスト・ヒッツ』に未発表曲などを加えた6枚組ボックスセット
  • ザ・ライヴ・ボックス/Live Box (2003) – 『デビュー』『ポスト』『ホモジェニック』『ヴェスパタイン』のライブ音源のボックスセット
  • サラウンド/Surrounded (2006) – 過去のアルバムを5.1chサラウンドにリミックスし、全ビデオクリップも加えた7枚組DualDisc(DVD+CD)の限定ボックスセット
  • ヴォルタイック/Voltaic (2009) – 『ヴォルタ』のバンド録音CD、ライブDVD、ミュージックビデオ、リミックスのボックスセット。バージョン違いあり。

その他[編集]

  • ビョーク・グズムンズドッティル/Björk Guðmundsdóttir (1977) – ビョークが11歳の時に出した初のソロアルバム
  • グリン・グロ/Gling-Gló (1991) – 母国のバックバンドとセッションしたスウィング・ジャズアルバム。グリン・グロとはアイスランド語で時計の針が進む擬音。
  • アイチューンズ・オリジナルズ/iTunes Originals (2005)
  • ナットゥラ/Náttúra (2008) -母国アイスランドの自然環境保護キャンペーン「Nattura」のために書き下ろし、デジタル配信限定でのリリース。トム・ヨークがバックコーラスで参加しており、収益はすべて同キャンペーンに寄付される。
  • ヴァルニキュラ・ストリングス (2015) – アルバム『ヴァルニキュラ』を全編ストリングスで再構成したもの。

日本公演[編集]

外部リンク[編集]