ヴィクラマーディティヤ (空母) – Wikipedia

ヴィクラマーディティヤ (サンスクリット語: विक्रमादित्य;IAST: INS Vikramāditya) は、インド海軍の航空母艦。

ロシア海軍の重航空巡洋艦(TAvKR)「アドミラル・ゴルシコフ」を取得し、短距離離陸拘束着艦(STOBAR)方式の航空母艦として大規模改装を行った艦である。ロシア側では11430号計画と呼称されている[4]

艦名は、シヴァが降臨したとされる伝説上の皇子の名であり、グプタ朝を始めとするインドの諸王[5]が号した尊称に由来する。ヴィクラマディティア、ヴィクラマディチャと表記されることもある。

インド海軍での計画[編集]

インド海軍では、1961年に「ヴィクラント」(旧英海軍マジェスティック級「ハーキュリーズ」)を取得して、洋上航空運用能力を獲得した。1971年の第三次印パ戦争では、パキスタンの後方地域への攻撃で空軍基地を無力化して航空優勢・海上優勢を達成、バングラデシュ独立という戦略目標の達成に大きく貢献し、その有用性を強く印象づけた。このこともあり、1986年には「ヴィラート」(旧英海軍セントー級「ハーミーズ」)を取得して空母2隻体制を整備したものの、「ヴィクラント」は1945年進水という老朽艦であり、1990年代後半には退役する見込みとなっていた。このことから、空母2隻体制維持のため、1989年にはフランスのDCN社と空母設計の契約を締結した。この際の計画では、DCN社が排水量25,000トンの小型空母の設計を行い、これを基づいてインド海軍設計局が技術案を作成、コーチ国営造船所で建造を行い、1993年に1番艦が起工され、1997年には就役する予定であった[4]

しかし1991年、インドの主要貿易相手国であるソ連の崩壊と原油の高騰を惹き起こした湾岸戦争の発生により、インドの国際収支尻は大きく悪化し、債務のデフォルトに直面することになった[6]。これに伴い、同年、政府の軍事支出委員会は、予算不足を理由として、この計画を中止して満載13,000トン級(イタリア海軍「ジュゼッペ・ガリバルディ」と同規模)に縮小するよう要求した。これを受け、海軍は17,000トンの71型軽空母を提案したが、公式承認には至らなかった。1997年には予定通り「ヴィクラント」が退役し、空母戦力は半減を余儀なくされた[4]。さらに2012年には「ヴィラート」の退役も予定されていたことから、空母戦力維持のため、いわばストップ・ギャップとして導入されたのが本艦である[7]

インド売却までの経緯[編集]

ソ連海軍の重航空巡洋艦「バクー」

本艦は元来、ソビエト連邦海軍の1143.4型重航空巡洋艦として建造されており、西側諸国ではキエフ級航空母艦の4番艦として知られていた。設計番号の通り、原型となった1143型重航空巡洋艦「キエフ」を元にした発展型で、当時現用のYak-38 V/STOL艦上攻撃機のほか新型のYak-41(のちにYak-141に改称)の運用を想定して航空艤装を拡張し、また兵装や電子機器も全体的に増強されており、艦隊配備後の1989年に行われた国防省中央監察局の視察では非常に高い評価を受けた。なお1987年に竣工した際には「バクー」と命名されていたが、1990年10月4日付けで「アドミラル・フロタ・ソヴィエツコゴ・ソユーザ・ゴルシコフ(ソ連海軍提督ゴルシコフ)」と改名した[8]

しかしVTOL機の応援者であったドミトリー・ウスチノフ国防相が1984年に、セルゲイ・ゴルシコフ総司令官が1985年に死去すると、海軍はVTOL機への興味を急速に失っていき、Yak-38は1991年には予備役編入され、1992年には除籍されたため、本艦は固定翼機の運用能力を失うことになった[9]。また1991年のソ連崩壊に伴って海軍の規模は劇的に削減され、本艦の活動も不活発となった。その最中にも、Yak-38の後継となるYak-141の運用試験は精力的に進められており、順調に進めば本艦も固定翼機の運用能力を復活できる見込みであったが、同年10月の着艦時事故を受けて同機の開発は中止されてしまい、また同年と1993年、1994年には相次いで火災事故が発生した。1995年5月にムルマンスクで行われた第二次世界大戦終戦50周年記念観艦式に参加したのを最後の花道に、1995年7月、予備役編入された[8]

これに先駆けた1994年より、ロシア政府はインド政府と売却交渉を開始していたとされている[10]。売却と改装に関する交渉は難航し、1998年12月には、「艦自体は無償譲渡する代わりに、修理・近代化改装費用はインド側負担とする」内容で当時のロシア首相エフゲニー・プリマコフが政府間覚書に署名するまで漕ぎ付けたが、具体的な契約額、特に改造費用を巡り両国の溝は埋まらず、引き続きインド・ロシア間で交渉が断続的に続けられた。1999年の年明け早々、インドの代表団が本艦の視察に訪れ、同年7月には、全通飛行甲板を備える航空母艦への改装が決定された[4]

ロシア兵器輸出公社ロスオボロンエクスポルトは、当初(2002年11月)改装費用を20億ドル、艦載機購入費用を7億ドルと見積もっていたが、2004年1月に交わされた契約は、改装費用(9億7,400万ドル)はインド側が捻出、搭載機(MiG-29K等)やその他オプションをロシアから購入する(艦載機の費用は5億2,600万ドル)ものであった。中古艦とは言え改装費用込みで9億ドル台(そもそも船体そのものは無償)と言う価格は破格であるが、これは前述の通り艦上機をロシアから購入することを承諾し、さらにTu-22M超音速爆撃機の購入と、アクラ型原子力潜水艦の建造費用を負担しこれをリース導入すると言う条件をインド側が承諾したのが理由だとされている[4]

改装工事から引渡まで[編集]

改装後の艦影。特に前甲板と艦橋構造物は一変した。

インド海軍への引渡し当日の艦影。

改装工事はセヴマシュ・プレドプリヤーチエ(北方機械建造会社、旧第402海軍工廠、セヴェロドヴィンスク市)において始まった。3月10日、本艦は正式にインド海軍に引き渡され、「ヴィクラマーディティヤ」と改名された[4]。しかしこの際、大型水上艦の建造経験豊富なバルチック造船所(サンクトペテルブルク市)ではなく、提示価格は安く、原子力潜水艦の建造経験は豊富だったが、大型水上艦の建造経験には乏しいセヴマシュ(セヴェロドヴィンスク市)を選定したことにより、以後の計画にはいくつかの蹉跌を生じることとなった。本艦の建造を担当していたチェルノモールスキイ造船所ウクライナ語版ロシア語版英語版造船所はソビエト連邦の崩壊とともに分離独立したウクライナのムィコラーイウ(二コラーエフ)に所在していたため、セヴマシュは詳細な図面を入手できず、独力で算出した工数は過度に楽観的であり、所要期間・コストともに予定を超過することが判明した[10]

2008年、ロシア側は総工費を12億ドル増加する旨インド側に要求したが、インド側は価格の維持を求め、対立した。以後、工事の難航とともに対立は継続したが、2009年12月、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領とインドのマンモハン・シン首相のトップ会談によって妥結した。この際の価格は公表されていないが、ロシア側が譲歩して23億ルーブルとなったともされている[10]

以後の改装工事は概ね順調に進み、2012年6月より洋上試験が開始された。しかし9月、最大速力試験中にボイラー室の中国製耐熱レンガの低品質のために、熱に耐えられず崩落するという事故が発生し、引渡しが2013年まで遅れると報道された[10]。この問題については、2012年12月7日にインドがボイラーへのアスベスト使用に合意したことから決着している[11]。洋上試験は2013年7月に完了した[12]

2013年11月16日、本艦はインド海軍へ正式に引き渡され[13]、11月26日、インドに向けて出港、2014年1月7日、インドのカルワルに到着し[14]、最終的に2014年6月に就役した。

就役後[編集]

2017年7月10~17日にかけて実施された日米印合同軍事演習「マラバール2017」に参加。海上自衛隊の護衛艦「いずも」「さざなみ」や、アメリカ海軍の原子力空母「ニミッツ」と各種訓練を実施[15]

運用予定年数は不明だが、インド海軍はセヴマシュと40年の保守整備契約を締結している[16]。インド海軍はヴィクラマーディティヤと建造中のヴィクラント、計画中のヴィシャルで3個空母打撃群を編成することを構想している[1]

改設計・改装[編集]

ソ連海軍式の重航空巡洋艦として建造された本艦を、インド海軍仕様のSTOBAR空母とするにあたっては、大規模な改設計と改装工事が行われた。

修理及び改装終了後、航空母艦の排水量は45,500トンになり、最大長は284m、最大幅は60mとなった。

機関[編集]

従来、本艦の主機関は、モスクワ級ヘリコプター巡洋艦以来のKVN-98/64型ボイラーとTV-12-3型ギヤード・タービンを採用していた。しかしこのボイラーは重油専焼式であったことから、インド海軍の兵站システムに適合化するため、軽油に対応した第3世代のKVG-3D(KVG-2M-GM)に換装されることとなった。これにより、ガスタービンエンジン艦とも燃料が共用化される[10]

KVG-3DはKVG-3ボイラー(ソヴレメンヌイ級駆逐艦7番艦以降に搭載)の改良型であり、圧力64 kgf/cm² (910 psi)、温度470℃、蒸気発生量は毎時100トンの性能を備えており、重量は37.5トンである[17]

装備[編集]

従来、主レーダーとしてはマルス・パッサート(NATO名「スカイ・ウォッチ」)が搭載されており、パッシブ・フェイズド・アレイ(PESA)式の固定型アンテナ4面は艦橋構造物側面に貼り付けられていた。しかしソ連崩壊後に開発が停滞していたことから、インド海軍では、ロシア海軍の1134B型大型対潜艦「ケルチ」で試験を受けていた旋回式のMR-700「ポドヴェレゾヴィク」(NATO名「フラット・スクリーン」)を選定した。また副レーダーは、従来MR-710M-1「フレガート-M1」(NATO名「ハーフ・プレート」)が搭載されていたのに対し、改良型のMR-760「フレガート-MA」(NATO名「トップ・プレート」)に更新された。一方、ソナーは撤去されている[10]

また、従来は重航空巡洋艦として、極めて強力な個艦兵装を備えていたが、改装に伴ってこれらは大幅に軽装備化された。AK-100 100mm単装速射砲、P-500艦対艦ミサイル、RBU-12000 10連装対潜ロケット砲は全て撤去された。対艦ミサイル欺瞞用のPK-2カウンターメジャーシステム(ZiF-121発射機)が、前後2か所に設けられている。

固定兵装としてロシア製の30mmガトリング砲AK-630、イスラエル・インド共同開発の艦対空ミサイル「バラク-8」を装備する。「バラク-8」は32-48発が装備可能である[18][19]。しかし、「バラク-8」の開発が遅延しそれらを搭載しないまま就役[20]、2015年に退役したゴーダーヴァリ級フリゲートのINS ゴーダーヴァリ英語版からAK-630と「バラク-1」を転用して装備した[21]。バラク-8は2017年に試射に成功した[22]

航空艤装[編集]

「バクー」時代の俯瞰写真。

 

改装後飛行甲板レイアウトの模式図。

本艦の改装でもっとも大きな比重を占めたのが、航空艤装についてのものであった。

当初は、インド海軍が既に運用中のBAe シーハリアーを搭載したSTOVL方式を検討していたが、高温多湿のインド洋においては、離着艦の挙動がエンジン推力に左右されるSTOVL機は性能面の制約が大きいことが指摘された。重航空巡洋艦時代に搭載予定であった高性能のYak-141を搭載機として機体性能を向上させて対処することも検討されたが、こちらは開発未了であったことがネックとなった[10]。このことから、ロシア海軍の「アドミラル・クズネツォフ」と同様、通常のCTOL機をスキージャンプ勾配を用いて発艦させてアレスティング・フックによって着艦させる、いわゆる短距離離陸拘束着艦(STOBAR)方式が選択されることになった[4]

本艦では上部構造物は右舷側に寄せたアイランド型とされ、上甲板は前後に全通していたが、重航空巡洋艦時代、前甲板は艦対艦ミサイルの巨大な発射筒などで占められており、左舷前方に張り出したアングルド・デッキ部のみが飛行甲板とされていた[23]

STOBAR化改装に伴って兵装が撤去された前甲板も飛行甲板とされ、これにより本艦は全通飛行甲板を備えることになった。前甲板には傾斜角14.3度のスキージャンプ勾配が設置され、アングルド・デッキの中部からスキージャンプ勾配に向けて、2ヶ所のスタート・ポイントを備えた195メートルの発艦レーンが設定されている。またこれとX字型に交差するかたちで、アングルド・デッキ上は198メートルの着艦レーンとして、3本のアレスティング・ワイヤーが設置されている。なおヘリコプターの運用のため、アングルド・デッキ上には6ヶ所の発着スポットが設定されている。その下に1層のギャラリーデッキをおいてハンガーが設けられ、長さ130メートル×幅23メートル×高さ6.6メートルを確保し、MiG-29K×21機、ヘリコプター×13機の計34機まで搭載可能ともされている[4]。またこれらを連絡するエレベータの力量は30トンに増強された[10]

艦上機[編集]

艦上戦闘機としては、ロシア海軍で実績のあるSu-33も検討されたが、大型であるために甲板の専有面積が多く、また整備も煩雑であることがネックとなった。最終的に、Yak-141と機体規模が近く、運用要領が類似したMiG-29K(単座)及びMiG-29KUB(複座)が採用された。これは、ソ連海軍での採用を争った際にSu-33に敗退した従来モデル「9.31」ではなく、新世代の陸上機であるMiG-29M1を元に改めて開発された「9.41」(単座)および「9.47」(複座)であり、火器管制レーダーはジューク-ME、またエンジンも最新仕様のRD-33MKを搭載するなど、ほぼ別物といえるほどの進化を遂げている[4][24]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]