中井大介 – Wikipedia

中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 – )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。

プロ入り前[編集]

伊勢市立進修小学校(進修スポーツ少年団)1年時に内野手として野球を始め、伊勢市立五十鈴中学校(鈴鹿シニア)3年次からは投手を兼任。

三重県立宇治山田商業高等学校では1年夏から遊撃手のレギュラーを獲得し、1年秋からは左翼手兼投手として活躍。3年夏には投手兼右翼手として甲子園に出場。その年の優勝校の佐賀北に再試合の末に敗れた(詳細)。投手としてはMAX146km/hの速球でエースとして活躍し、打者としても高校通算28本塁打、三重県大会で打率.667を記録[1]。同校の先輩である江川智晃2世とも呼ばれた[2]

2007年の高校生ドラフトで読売ジャイアンツから3巡目で指名され、10月31日、契約金5000万円、年俸540万円で仮契約。背番号は94。野手としてプロ入りすることになったため、新人合同自主トレに向けて外野手用と内野手用のグラブを用意。目標の選手として二岡智宏の名前を挙げた[3]

巨人時代[編集]

2008年、イースタン・リーグ開幕戦に7番・三塁手で先発出場。フレッシュオールスターゲームでは4番・遊撃手として、本塁打、三塁打など3安打で優秀選手賞に選ばれた。イースタン96試合に出場、12球団トップの105三振ながら、367打数96安打で最多安打、打率.267、チーム最多の10本塁打、50打点。

2009年、背番号を61に、登録も内野手に変更。1月に高橋由伸の合同自主トレに参加[4]。春季キャンプでは一軍に入る[5]。5月12日に一軍初昇格。同日の対横浜ベイスターズ戦に8番・二塁手で先発出場し、プロ入り初出場、球団史上初の平成生まれの一軍出場選手となった。3打数3三振し二軍降格、6月8日に再昇格し同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦に8番・三塁手として出場しプロ入り初安打[6]。9月11日の対広島東洋カープ戦ではマツダスタジアムのバックスクリーン右へプロ初本塁打を記録したが、これは平成生まれの選手としての初本塁打になった[7]

2010年、前年と同じく高橋由伸、亀井義行らの合同自主トレに参加。自身初の開幕一軍入りするが6月25日のイースタン・リーグでの対楽天戦で右足の靭帯を痛め[8]、イースタン・リーグ終了後の10月4日に右足甲関節固定手術を受けた[9]

2011年、6月5日に一軍昇格し7番・一塁手で先発出場[10]。二度一軍昇格し、ファームでは7月のイースタン・リーグMVPを受賞[11]、90試合に出場。

巨人時代(2012年)

2012年、イースタン・リーグ開幕戦に4番・二塁手で先発出場し本塁打[12]。5月8日にシーズン二度目の昇格、同月11日の対横浜戦で8番・一塁手として先発出場[13]。9月7日にシーズン四度目の昇格、同日の対東京ヤクルトスワローズ戦で3年ぶりの安打[14]。二軍では打率でイースタン・リーグ3位の.323、48打点、116安打で打点王と最多安打。

2013年、6月3日の埼玉西武ライオンズ戦で自身初の1番打者として起用され、勝ち越し適時打。その後も1試合4安打を記録するなどしたが、同月12日の全体練習に寝坊で1時間遅刻し、川相昌弘ヘッドコーチの判断により即二軍降格となった[15]。2週間後に一軍復帰するが、8月4日の阪神戦でダイビングキャッチを試みた際に左膝靭帯を損傷[16]、翌日に登録を抹消された。最終的に打率.324・4本塁打、日本シリーズ第5戦では7番・一塁手として先発出場する。

2014年、背番号を61から36に変更。開幕は二軍スタートだったが5月23日に一軍に昇格し、同月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦に1番・左翼手で先発出場。翌26日には増井浩俊から人生初のサヨナラヒットを記録した[17]

2015年、4月29日の対中日ドラゴンズ戦で、初めて4番打者(球団史上83代目)として先発出場(1試合のみ)[注 1]2016年シーズン終了後の11月5日、背番号を61に再び変更する。

2017年、3月31日の開幕戦で「1番・二塁手」として先発出場し、プロ10年目で初の開幕戦先発出場となった。以降、37試合連続で先発出場するが、ケーシー・マギーが二塁手にコンバートされる。9月26日の対ヤクルト戦で岩橋慶侍から球団通算1万号となる本塁打[18]。自己最多の90試合に出場し、打席数、安打、本塁打などでキャリアハイを記録する。

2018年は4月13日の広島戦でプロ初めて中堅手として起用された[19]。途中二軍落ちもあったが前年に次ぐ70試合に出場したが、打率.186、1本塁打、6打点とチャンスを生かせなかった[20]。10月26日に戦力外通告を受け[21]、12月2日に自由契約公示された。

DeNA時代[編集]

2018年11月13日に12球団合同トライアウトを受け、成瀬善久から二塁打を放つなど3打数1安打2四球1打点と結果を残し[20]、同月20日に横浜DeNAベイスターズが獲得を発表[22]。背番号は0、推定年俸は1200万円となった[23]

2019年、開幕一軍入りを果たし、主に対左投手が先発の際に二塁手として先発出場していた。他にも右の代打として一軍に帯同し続け、4月9日の対阪神タイガース戦では移籍後初本塁打を打った。最終的に79試合に出場し、打率.248、3本塁打、7打点を記録[24]。オフに、900万円増となる推定年俸2100万円で契約を更改した[24]

2020年、2年連続での開幕一軍入りを果たし、右の代打の切り札として主に出場。代打としてはチーム内代打率トップの打率.294、OPS.745と活躍し、シーズン開幕から終了まで一軍に帯同し続けた。オフに、420万円増となる推定年俸2520万円で契約を更改した[25]

2021年、同年は12試合の出場で14打数1安打と結果が出ず、10月5日に翌年の契約を結ばないことが球団から発表された[26]。同月15日に現役引退を表明し[27]、17日に引退会見が行われた[28][29]。20日に行われた古巣・巨人戦(横浜スタジアム)が引退試合となり、7回裏に代打で出場すると畠世周から右前安打を記録し、有終の美を飾った。代走が送られてベンチに戻る際には、両軍のファンから大きな拍手が送られた[30]。試合後には引退セレモニーが行われた。バックスクリーン上には中井の引退を記念する映像が流れ、同僚の佐野恵太、宮﨑敏郎、伊藤光、コーチの田代富雄、巨人からも小林誠司、松原聖弥、立岡宗一郎、元監督の高橋由伸らから惜別メッセージが送られた。最後は関係者やファンに大粒の涙を溢しながら感謝を伝えた[31]

現役引退後[編集]

2022年シーズンからDeNAの「ゲームアナリスト」(他球団のスコアラーに相当する役職)へ転身。2021年シーズンまでバッテリーの経験者で占められていた役職に、内野手の経験者として初めて加わる[32]

選手としての特徴[編集]

打撃では天性の「ゆっくりしたスイング」から打つ強い打球を持ち味とし[33]、守備では内野4ポジションに加え外野手もこなす。2013年に陽岱鋼を参考に打撃フォームを改造したことで一軍で結果を残せるようになった[34]。イースタン・リーグでは2008年は三塁手、2009年は三塁手および遊撃手、2010年・2011年は三塁手、2012年は二塁手、守備固めで一塁手としてプレーした。

2017年1月1日に一般女性と結婚し[35]、2018年4月に第1子が誕生した[36]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
2009 巨人 18 33 30 2 7 2 0 1 12 6 2 0 2 1 0 0 0 11 0 .233 .226 .400 .626
2010 6 7 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 3 0 .000 .143 .000 .143
2011 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2012 16 31 26 1 7 0 1 0 9 1 1 0 0 0 5 0 0 7 0 .269 .387 .346 .733
2013 48 149 139 19 45 6 0 4 63 17 2 1 2 0 8 0 0 12 4 .324 .361 .453 .814
2014 23 52 49 5 10 2 1 0 14 3 1 0 0 0 3 0 0 13 3 .204 .250 .286 .536
2015 29 47 43 2 9 1 0 0 10 2 0 0 1 0 2 0 1 9 0 .209 .261 .233 .493
2016 43 61 51 3 10 2 1 0 14 4 0 0 1 1 7 0 1 13 0 .196 .300 .275 .575
2017 90 254 229 32 57 12 1 5 86 15 2 1 4 1 19 0 1 44 5 .249 .308 .376 .684
2018 70 97 86 8 16 5 0 1 24 6 0 0 3 0 6 0 2 25 3 .186 .255 .279 .534
2019 DeNA 79 183 161 24 40 4 0 3 53 7 2 1 3 1 18 0 0 34 9 .248 .322 .329 .651
2020 69 105 100 12 25 3 1 2 36 4 1 0 1 0 3 0 1 23 1 .250 .279 .360 .639
2021 13 15 15 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .133 .133 .133 .267
通算:13年 506 1036 937 109 228 37 5 16 323 65 11 3 17 4 71 0 7 201 25 .243 .300 .345 .645

年度別守備成績[編集]



一塁 二塁 三塁 外野









2009 巨人 4 3 3 2 0 .750 14 6 13 1 2 .950
2010 2 6 4 1 3 .909 2 1 2 0 0 1.000
2011 1 9 0 0 1 1.000 1 0 0 0 0 .000
2012 8 33 3 0 3 1.000 3 8 4 0 1 1.000 6 1 7 0 1 1.000
2013 20 87 7 0 10 1.000 30 56 47 1 11 .990 4 1 0 0 0 1.000 3 4 0 0 0 1.000
2014 7 11 3 0 1 1.000 3 2 1 0 0 1.000 13 19 0 1 0 .950
2015 13 52 4 1 2 .982 4 5 2 0 2 1.000 4 4 8 1 0 .923
2016 27 41 3 0 7 1.000 9 19 16 2 5 .946 1 0 0 0 0 .000 3 3 1 0 0 1.000
2017 34 38 4 0 6 1.000 54 124 143 5 33 .982 21 12 1 0 0 1.000
2018 3 6 2 0 0 1.000 6 10 5 1 1 .938 18 5 11 1 1 .941 42 33 1 0 0 1.000
2019 DeNA 3 8 0 0 1 1.000 44 73 94 4 18 .977 8 1 7 0 1 1.000 1 0 0 0 0 .000
2020 16 53 9 0 10 1.000 20 16 19 2 4 .946 7 3 7 1 2 .909
2021 4 7 0 0 1 1.000 1 3 3 0 0 1.000
通算 136 345 35 1 42 .997 177 323 340 18 78 .974 68 24 56 4 7 .952 82 72 3 1 0 .987

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 94(2008年)
  • 61(2009年 – 2013年、2017年 – 2018年)[37]
  • 36(2014年 – 2016年)
  • 0(2019年 – 2021年)

登場曲[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]