ダイアナ (ポール・アンカの曲) – Wikipedia

ダイアナ」(Diana) は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で[1]、1957年5月にニューヨークのドン・コスタ英語版のスタジオで録音された。

その後、RCAレコードと契約した後、アンカは「ダイアナ」など数多くのヒット曲を1963年に再録音した。これらのバージョンは、イタリアでも、特別なLPとして発売された。

この曲は、アンカの高校時代の同級生であったダイナ・アユーブ (Diana Ayoub) からヒントを得たともいわれているが[2]、2005年にナショナル・パブリック・ラジオ (NPR) のテリー・グロスが行ったインタビューの中で、アンカは、教会で出会った、ほとんど知らない少女から示唆を受けたと述べている。録音に参加したスタジオ・ミュージシャンの中には、ギターのバッキー・ピザレリ英語版、ピアノのアーヴィング・ウェックスラー (Irving Wexler)、ベースのジェリー・ブルーノ (Jerry Bruno)、ドラムスのパナマ・フランシス英語版らがいた。録音は、1957年5月にRCAのスタジオで行われた[3]。バッキング・ボーカルのひとりは、アーティー・リップ英語版(後のレコード会社重役)であった。

ポール・アンカ自身による1957年のオリジナル盤は『ビルボード』誌の総合チャートであるトップ100では最高2位にとどまったが、「ベスト・セラーズ・イン・ストアズ (Best Sellers In Stores)」チャートで首位となり、のべ900万枚を売り上げたといわれている[4]。「ダイアナ」はR&B・ベスト・セラーのチャートでも首位に立った[5]。また、この曲は全英シングルチャートでも首位となり、イギリスでも125万枚を売り上げた[6][7]

この曲には、数多くのカバーが存在している。1958年には、アンカ自身がイタリア語のバージョン(題名は英語と同じ「Diana」)を歌ったが、この歌詞を書いたのはマリオ・パンツェリイタリア語版であった。

フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズも、この曲をカバーしている。

1965年、ボビー・ライデルがこの曲をカバーしてシングルとして出し、Billboard Hot 100の98位[8]、『ビルボード』誌の「ミドル・ロード・シングルズ (Middle Road Singles)」のチャートで23位まで上昇した[9][10]

リッキー・マーティンは、(スペイン語の歌詞で歌われた1996年の)アンカのアルバム『Amigos』で、この曲をアンカとデュエットした。2006年には、イタリアの著名な歌手、エンターテイナーであるアドリアーノ・チェレンターノとアンカのデュエットが、モゴルイタリア語版ことジュリオ・ラペッティ (Giulio Rapetti]) とチェレンターノの共作で新たに書かれたイタリア語の歌詞による「Oh Diana」として発表された。

ブルガリアのバンド、ウィケダ英語版は、バルカン半島民謡の要素を盛り込んで、この曲をカバーしており、またホラー・パンクのバンドであるミスフィッツは、アルバム『Project 1950』にこの曲を収録している。

この曲は、インドのヒンディー語映画の映画音楽でも2回カバーされており、いずれも1959年の映画であった。そのひとつは、映画『Dil Deke Dekho』で「Kaun yeh aaya mehfil me」として歌われたもので、音楽担当はウシャ・カンナ英語版であった。もうひとつは、映画『Baap Bete[11]で「Bol bol bol my little dove」として歌われたもので、音楽担当はマダン・マホン英語版であった。いずれの曲も、歌ったのはモハメド・ラフィであった。『Dil Deke Dekho』のバージョンの結末部には、アシャ・ボスレも登場する。

日本語による歌唱[編集]

「ダイアナ」は、いわゆる「ロカビリー」のブームが起こっていた日本でもヒットし、日本語詞を盛り込んだカバー・バージョンが、いろいろ制作された。渡舟人の日本語詞で山下敬二郎が歌った「ダイアナ」[12]は山下の代表曲とされる[13]。「ダイアナ」は、山下敬二郎の1958年4月のデビュー・シングル「バルコニーに坐って」のB面曲であったが、平尾昌章(のち昌晃)は音羽たかし名義の日本語詞でシングル「ダイアナ」を出し、B面に「バルコニーにすわって」を収録した[14]。平尾によると、平尾昌章盤の「ダイアナ」は、その1か月前に出された山下敬二郎盤の陰に隠れる形となり、あまりヒットしなかったという[15]

ロックンロール・ミュージック/ヒデキ 1977年に発売された西城秀樹 のカバー・アルバム(LP)に収録。

チャート[編集]

関連項目[編集]

  1. ^ Gilliland, John (1969). “Show 12 – Big Rock Candy Mountain: Rock ‘n’ roll in the late fifties. [Part 2]” (audio). Pop Chronicles. University of North Texas Libraries.
  2. ^ Paul Anka doesn’t live here anymore: Part 1 paulanka.com
  3. ^ Anka, Paul; Dalton, David (2013). My Way: An Autobiography. New York: St. Martin’s Press. ISBN 9780312381042. https://books.google.com/books?id=nK3YhlaflSQC&pg=PT51&lpg=PT51&dq=paul+anka+diana+bucky+pizzarelli&source=bl&ots=X1hnCXkugT&sig=N8OsChZsqepEHUCBro90CIFOYQk&hl=en&sa=X&ved=0CDYQ6AEwBWoVChMIiuvljPaSxgIVyy-sCh1JbgB3#v=onepage&q=paul%20anka%20diana%20bucky%20pizzarelli&f=false 
  4. ^ Paul Anka, History of Rock and Roll. (URL accessed May 14, 2006)
  5. ^ Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 32 
  6. ^ Ami Sedghi (2012年11月4日). “UK’s million-selling singles: the full list”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/news/datablog/2012/nov/04/uk-million-selling-singles-full-list 2012年11月4日閲覧。 
  7. ^ Rice, Jo (1982). The Guinness Book of 500 Number One Hits (1st ed.). Enfield, Middlesex: Guinness Superlatives Ltd. p. 33. ISBN 0-85112-250-7 
  8. ^ Bobby Rydell – Chart History – The Hot 100, Billboard.com. Accessed May 22, 2016.
  9. ^ Bobby Rydell – Chart History – Adult Contemporary, Billboard.com. Accessed May 22, 2016.
  10. ^ Middle Road Singles“, Billboard, February 13, 1965. p. 50. Accessed May 22, 2016.
  11. ^ Baap Bete – IMDb(英語)
  12. ^ ダイアナ”. 歌ネット動画プラス/PAGE ONE. 2016年7月22日閲覧。
  13. ^ 山下敬二郎さん死去…カーチス「最期までロカビリーだった」”. zakzak by 夕刊フジ/SANKEI DIGITAL INC. (2011年1月6日). 2016年7月22日閲覧。
  14. ^ ダイアナ”. 歌ネット動画プラス/PAGE ONE. 2016年7月22日閲覧。
  15. ^ 平尾昌晃『昭和歌謡1945-1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書、2013年、54-57頁。ISBN 978-4-331-51771-0。