レイ・シーレイジ – Wikipedia

レイモンド・マーク・シーレイジRaymond Mark Searage, 1955年5月1日 – )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ナッソー郡フリーポート英語版出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

現役時代[編集]

1976年のMLBドラフト22巡目(全体518位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。現役時代は左のリリーフ投手として4球団でプレーし、実働7年で254試合に登板して11勝13敗11セーブ・防御率3.50の成績を残している[1]。1992年に引退を表明した。

引退後[編集]

引退後は1994年よりカージナルス傘下やタンパベイ・デビルレイズ傘下などマイナー各球団で投手コーチを務めた[2]。2010年8月8日からピッツバーグ・パイレーツで投手コーチに就任し、2019年まで務めた[3]

MLB屈指の”再生屋”コーチ[編集]

投手の個性を尊重し、「シンプルに考え、いつも明るく」という哲学[4]を持ってコミュニケーションを取ってキャリアを好転させるなど、投手コーチとしての手腕は球界内でも評価が高い。

個性を尊重するきっかけになったのは、現役晩年の1991年にクリーブランド・インディアンスのスプリングトレーニングに参加していた時の出来事であり、この時コーチからレン・バーカーのように脚を高く上げるフォームで投げるように求められた。シーレイジはその指示に従ったが、ストライクがまともに投げられなくなった。翌1992年に引退を決めた時、「もし自分がコーチになることがあったら、同じようなことはしない。自分と同じような目に遭わせたくない。」と考えた[5]

パイレーツの投手コーチに就任後は、ツーシームを投げるのを禁じられていたチャーリー・モートン、空振りを取るのに躍起になっていたA.J.バーネット、トミー・ジョン手術以降は不振が続いていたフランシスコ・リリアーノなど様々なタイプの投手の開花・再生に尽力している。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

背番号[編集]

  • 44(1981年)
  • 41(1984年 – 1986年途中)
  • 36(1986年途中 – 1987年)
  • 59(1989年 – 1990年)
  • 54(2010年 – 2019年)
  1. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2015』廣済堂出版、2015年、347頁。

    ISBN 978-4-331-51921-9。

  2. ^ The Official Site of The Pittsburgh Pirates: Team: Manager and Coaches
  3. ^ Mark Polishuk (2019年10月3日). “Pirates Part Ways With Ray Searage, Tom Prince” (英語). MLB Trade Rumors. 2019年11月4日閲覧。
  4. ^ 「MLB30球団レポート ピッツバーグ・パイレーツ ニカシオの再生を支えるシーレイジ哲学」『月刊スラッガー』2016年7月号 日本スポーツ企画出版社 78頁
  5. ^ トラヴィス・ソーチック『ビッグデータ・ベースボール 20年連続負け越し球団ピッツバーグ・パイレーツを甦らせた数学の魔法』角川書店、2016年、201頁。ISBN 978-4-04-104102-4。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]