Month: December 2019

風外本高 – Wikipedia

風外 本高(ふうがい ほんこう、俗名:東泰二、安永8年(1779年) – 弘化4年6月22日(1847年8月2日))は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。 安永8年(1779年)に伊勢国度会穂原村押渕(現在の三重県南伊勢町)に、東孝助の次男として生まれる。幼名は泰二。天明6年(1786年)に地元の圓珠院で安山泰穏につき出家し、ついで松坂にある薬師寺の大愚霊智に学ぶ。19歳のとき但馬国龍満寺の玄樓奥龍に師事して、その法嗣となる。風外本高の名前も、この時市から与えられた。興聖寺(宇治市)にも従って移動。 34歳で出雲国徳林寺開山となり、文政元年(1819年)に摂津国圓通院も開き、次いで54歳のとき三河国香積寺25世となった。後に摂津国烏鵲楼に引退した。 一方で池大雅の書画に私淑し、落款が蛸に似ていたため「たこ風外」と呼ばれた。弘化4年(1847年)6月22日に遷化。 著作リスト[編集] 『鉄笛倒吹評頌弁解』 『碧巌録耳林鈔』 – 風外が門下に行った『碧巌録』の講義を弟子が編集したもの。駒澤大学図書館には江戸期の写本も残っているが、広く知られるようになったのは明治14年(1881年)曹洞宗大学林のテキストとして刊行された後である。 『烏鵲楼高閑録(うじゃくろうこうかんろく)』(国書刊行会、2004年) – 風外の言行録。高閑は風外の別号。現在は駒澤大学図書館と香積寺の写本が知られているが、原本の所在は不明。 『三方鼎足談』 – 神道、儒教、仏教の3つの教えについて、文盲太郎が鈍鐵和尚に問いかける形式で書かれる。巻頭口絵には風外が描いたと思われる、神道、儒教、仏教の代表者が肩を組んで微笑む姿の絵が掲載され、この本の内容を象徴している。 絵画作品[編集]

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山本真央樹 – Wikipedia

山本 真央樹(やまもと まおき、1992年4月5日 – )は、日本のドラマー、作曲家、編曲家。埼玉県出身。父はギタリストの山本恭司。 1992年、埼玉県に生まれる。独学でドラムを始め、春日部共栄中学高等学校の吹奏楽部でパーカッション全般を学ぶ[1]。高校卒業後、2011年よりアメリカのバークリー音楽大学へ入学。2012年に帰国し、音楽家として活動を開始する[2]。 2014年には4人組バンド「DEZOLVE(ディゾルブ)」を結成、ドラムスを担当している。 2021年8月には、第1作目のアルバム『In My World』をリリースした[3]。 ディスコグラフィー[編集] アルバム[編集] ソロアルバム[編集] DEZOLVE[編集] 主な提供作品[編集] アニメ・ゲーム・声優[編集] 小松未可子 「永遠と言ってみたい」(編曲) 千菅春香 「TRY

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セレーナ (歌手) – Wikipedia

この記事は語句の内部リンク、見出しのマークアップなどスタイルマニュアルに沿った修正が必要です。ウィキペディアの体裁への修正にご協力ください(ヘルプ)。(2018年9月) セレーナ 基本情報 出生名 Selena Quintanilla 別名 テハーノの女王 生誕 (1971-04-16) 1971年4月16日 出身地 アメリカ合衆国テキサス州コーパスクリスティ 死没 (1995-03-31) 1995年3月31日(23歳没) ジャンル テハーノ・ミュージック、ラテン・ポップ 職業 歌手、ソングライター、モデル

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感謝祭 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “感謝祭” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年11月) この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2011年11月) 北米の感謝祭の夕食 感謝祭(かんしゃさい、英語: Thanksgiving Day)とは、アメリカ合衆国やカナダなどで祝われる祝日のひとつ。Thanksgiving と略称されたり、あるいは七面鳥の日(Turkey Day)と呼んだりもする[1]。アメリカでは毎年11月の第4木曜日、カナダでは毎年10月の第2月曜日になっている。日本のプロテスタントでは、収穫感謝日(しゅうかくかんしゃび)と呼ぶ。日本で当日はこのために割り当てられた祝日は無いが、本項で説明する行為が行われる場合もある。 感謝祭には感謝や祭という文字が含まれているが、何かを感謝するための祭りを示す上位概念を示すものではなく、単に本項で説明する日を示す言葉である。 収穫と前年の祝福に感謝と犠牲を捧げる日として始まった。感謝祭は、カナダでは10月の第2月曜日に、米国では11月の第4木曜日に、その他の場所では1年のほぼ同じ時期に祝われる。感謝の祈りと特別な感謝祭は、収穫後やその他の時期にほとんどすべての宗教に共通している[2]。感謝祭は宗教的および文化的伝統に歴史的なルーツがあるが、世俗的な休日としても長い間祝われてきた。 感謝祭のメインは感謝祭の夕食で、親族や友人と祝う[3][4][5][6]。アメリカでは、テレビでアメリカンフットボールの試合を放映していることがあり、観戦する家庭も多い[3][4][5]。 感謝祭の食事[編集]

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ナガルコート – Wikipedia

朝焼けのナガルコート ナガルコート(英:Nagarkot)は、ネパールの首都カトマンズから約35㎞東方の海抜2100mの山地の村。ヒマラヤの展望台としてサランコートとともに知られる[1]。 目次 1 概要 2 観光 2.1 ホテル[1] 3 交通アクセス 4 脚注 5 外部リンク エヴェレストからさらに東の山脈、アンナプルナ山群までが一望できる。 東にヒマラヤ山脈を望み、エヴェレストからさらに東の山脈までが一望できる。正面にはランタン・ジュガール山群が大きく見え、さらにポカラの北方にそびえるアンナプルナ山群まで遠望できる。徒歩で1時間のマハデブポカリ山頂の「View Tower」という展望台からはさらに展望がきき、南方にインド平原へ至る山並みが眺望できる。特に早朝に刻々と色を変えるヒマラヤの展望が美しい[1]。 一帯はのどかな農村地帯である。 ナガルコートの生活。

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山中信儀 – Wikipedia

山中 信儀(やまなか のぶよし、1851年2月15日(嘉永4年1月15日[1][2][3])- 1926年(大正15年)4月18日[1][3][4][5][6])は、幕末から大正期の長州藩士、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。信義の表記がある[7]。 長門国阿武郡萩城下(山口県阿武郡堀内村、萩町を経て現萩市堀内[5])で、長州藩士[注釈 1]・山中有利の長男として生れる[1][2]。四境戦争に従軍し、戊辰戦争では東北での戦いに加わった[5][6]。 明治4年12月26日(1872年2月4日)、陸軍少尉に任官[8][8]。西南戦争に従軍[1]。1893年(明治26年)5月、陸軍教導団長となり[8]、1894年(明治27年)12月、歩兵大佐に昇進[8]。1895年(明治28年)12月、歩兵第21連隊長に就任[8]。1896年(明治29年)9月、歩兵第19連隊長に異動し[8]、さらに同年11月、歩兵第37連隊長に転じた[8]。 1899年(明治32年)8月、陸軍少将に進級し台湾守備混成第2旅団長に就任[3][8]。1901年(明治34年)7月、歩兵第10旅団長に発令され[3][8]日露戦争に出征。旅順攻囲戦、奉天会戦などを戦った[3]。 1905年(明治38年)7月、陸軍中将に進み新設の第16師団長に親補された[3][8]。1907年(明治40年)9月21日、日露戦争の功績により男爵を叙爵し華族となった[1]。1913年(大正2年)1月、後備役に編入[3][8]。1918年(大正7年)4月1日に退役した[9]。 1918年7月10日、貴族院男爵議員に選出され[10]、公正会に所属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した[4]。 位階 勲章等 注釈[編集] ^ 『増補 近世防長人名辞典 第2刷』265頁では、萩藩の老臣児玉小民部の家中。 出典[編集] ^ a

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モケケピロピロ – Wikipedia

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年2月) モケケピロピロは、日本のテーブルトークRPG、『ソード・ワールドRPG』に登場する(登場するようになった)架空の怪物、架空の生物の名前。略称としてモケピロ、ピロピロなどがある。 怪物としてのモケケピロピロ[編集] ソード・ワールドRPGリプレイ第3部中のエピソード『亡者の村に潜む闇』で誕生した。当初は牛に似た声音の異様な鳴き声と殺した生物をワイトにしてしまうという能力だけが認知されており、その他の特徴は一切不明であった。その後の2004年、新ソードワールドRPGリプレイNEXT(以下『リプレイNEXT』)第2巻『ダンジョン・パッション』のあとがきにおいて同書を監修した清松みゆきの手によって「『もけけけけけけ~』『おきゅきゅきゅきゅ~』などの鳴き声を発し、伝染性の奇病をまき散らし[1]、一つの村に壊滅的な被害を与える怪物」と最終的な正体が記された。 ただしこの記述は『ソード・ワールドRPG』のモンスターとして公式に採用したという意味ではなく、ゲーム用のデータも存在しない[2]。登場させる場合は現実世界におけるネッシーやツチノコのような未確認動物として扱うことが求められている。 生物としてのモケケピロピロ[編集] 前述の『ダンジョン・パッション』のリプレイ本文において、プレイヤー・キャラクター (PC) の「マロウ」と「ブック」が発言したことによって、中原地方のモーブ村に別の種類のモケケピロピロも誕生し、「クレスポ」につかみ取りにされた姿がカラー口絵でイラスト化されている。 こちらのモケケピロピロは、オジサンにも似た珍魚で、稚魚は踊り食い、成魚は塩焼きにするとおいしいとされる食用魚である。スキュラの幼生であるという話も出たことがある。 その他の用法[編集] この名称は、わけのわからない怪物を指す一般名詞としても広まった。また、『RPGドラゴン』第8号に掲載されたソード・ワールドRPGのQ&Aコーナーでは、意味のない言葉を羅列した呪文(「アブラカタブラ」など)の代わりとして清松みゆきが「もけけぴろぴろ」の語を使用している。 誕生にいたるまで[編集] モケケピロピロの誕生は、プレイヤーたちのいわゆる「お大尽アタック」(財力に物を言わせて強引に目的を解決するプレイスタイル)や際立つ知的なプレイングと並ぶ、ソード・ワールドRPGリプレイ第3部のハイライトの一つとなっている。 きっかけはプレイヤーキャラクターの一人であるグイズノーが、このシナリオ『亡者の村に潜む闇』の敵として登場した怪物ワイトの正体と発生理由を突き止めようとして、プレイヤーが行為判定に失敗したことである。ワイトそのものの判定については他のプレイヤーキャラクターが成功していたが、グイズノー(のプレイヤー)が行為判定で1ゾロ(ゲーム用語で、6面サイコロ2個の出目が両方1のゾロ目になること。ソード・ワールドRPGでは判定が自動的に失敗となる)を出し、自らの無知をごまかすためにでっち上げた名前が「モケケピロピロ」であった。なお、ソードワールドRPGのルール上、判定に失敗した場合はそれが1ゾロであっても「判らない」だけであり誤った認識するというようなペナルティはないのだが、賢者が怪物判定に失敗したときに法螺を吹くのはソード・ワールドRPGリプレイの伝統と化している。 グイズノーはそのセッション中数度にわたり「モケケピロピロ」を連呼し、それを面白がった本人と別のプレイヤーキャラクターパラサが「亡者の村」突入後に牛の鳴き声を「もけけけけけけけけ〜」「おきゅきゅきゅきゅ〜」と表現し、アーチーがツッコミを入れ、これによって「なんだかわけのわからない牛のような怪物」モケケピロピロのイメージが誕生することとなった。 爆発的な伝播[編集] こうして誕生したモケケピロピロであるが、この時点で後の大繁殖を予想した者は誰もいなかったであろう。通常、旬の時期を過ぎれば急速に存在感を薄れさせ消える一発ネタ、登場したシナリオ自体がかつてない陰惨かつ悲惨なもの[3]であったこともあり、忘れ去られる可能性は高かったと言える。 ところが、第3部リプレイの主人公・「バブリー・アドベンチャラーズ」の人気、あるいは毒気の後押しもあってか、モケケピロピロは消えることなく読者の支持を獲得し、全国各地のソードワールド・セッションでゲーム中の会話や設定に登場し、徐々に広まっていった。 リプレイを連載していた『月刊ドラゴンマガジン』の読者投稿コーナーにもモケケピロピロをネタとした投稿がいくつもなされている。

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クライスラー・ビルディング – Wikipedia

クライスラー・ビルディング(Chrysler Building)は、アメリカのニューヨーク市マンハッタン区タートル・ベイにある超高層ビル。その優美な姿はニューヨークの摩天楼のなかでも特徴的なものであり、アメリカ合衆国のシンボルの一つである。 クライスラー・ビルディングはレキシントン・アベニューと東42丁目の角(グランド・セントラル駅のすぐ東)に建つ。ウィリアム・ヴァン・アレン (en) がウォルター・クライスラーによる自動車メーカー・クライスラー本社ビル建設プロジェクトのために設計した[7]。頂部・壁面・内装にアール・デコの装飾が施されている。もともとは自動車メーカーのために建てられたことから、各所に自動車をモチーフとした装飾が施されている。完成した1930年から1950年代半ばまでクライスラー社の本社が所在していたが、建設費はすべてウォルター・クライスラー個人の資産で支払われた[8]。 現在はクライスラーの手を離れており、ドイツの投資会社とアメリカの不動産会社、保険会社が所有している。2008年7月にアラブ首長国連邦のファンドが所有権の75パーセントを買収した。2007年度にアメリカ建築家協会より発表されたAmerica’s Favorite Architecture(アメリカの人気建築物)では、第9位に選ばれている。このビルはアール・デコ建築の古典的代表作とみなされている。 18-8ステンレス鋼を最初に大量使用した建築物でもある。 クライスラー・ビルディングは高さ世界一の超高層ビルを目指して1928年9月19日に着工した。当時、ニューヨーク市内では高さ世界一を狙う超高層ビルの建設競争ブームの真っただ中であった[9][10]。この建設は特にウォール街のウォールタワーと世界一の高さを競って、当時としては猛烈なピッチで進められた。平均して1週間で4階分の高さを増していくというペースにも関わらず、この建設工事中に死亡した作業員はいなかった[11]。当初の計画では246メートルであったが[11][12]、ライバルのウォールタワーは高さ260メートルの計画で建設を進めていた。そこで、世界一を目指すウォルター・クライスラーの意向を受けて282メートルへと設計変更された[11]。しかしウォールタワーはさらに急遽計画を変更し、1930年4月に高さ283メートルで完成した。この時点ではいまだ竣工前の282メートルのクライスラー・ビルディングをわずかに上回り世界一のビルとなった。ところがウォールタワーの直前の設計変更を聞いていたクライスラー・ビルディングの設計者ウィリアム・ヴァン・アレンは、ウォルター・クライスラーの許可を得て、ビルの上に追加する38メートルの尖塔の製造を秘密裏に開始していた。この尖塔は4つのパーツに分けてビル内部で製造され、1929年10月23日に尖塔の底辺部分が一度ビルの上のドームに取り付けられ、すぐさまビルの66階の内部に戻された[13]。 1930年5月20日に38メートルの尖塔を追加して319メートルとなり、クライスラー・ビルディングは完成した。5月27日にこのビルは一般に開業した。こうしてウォールタワーを上回り、世界一高いビルの座につくことができた。しかし、翌年の1931年にエンパイア・ステート・ビルディングの完成により、世界一の座を明け渡すことになる。それでもアメリカの1920年代の繁栄の歴史を物語るニューヨークの摩天楼の中の傑作である(なおクライスラー・ビルディングは世界一の座こそ僅か1年で明け渡したが、世界2位の座はシカゴにジョン・ハンコック・センターが出来るまで実に38年にもわたって維持している)。また尖塔の追加によりエッフェル塔の312.3メートルも抜き、ビル以外の建築物も含めて世界で一番の高さとなった(エッフェル塔は1957年のアンテナの追加により、現在はクライスラー・ビルディングよりも高い)。 ギャラリー[編集] 北側の三角窓からの景色 東42丁目から見たクライスラー 関連項目[編集] 登場する作品 ^ Nash, Eric Peter;

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若松鉱山 – Wikipedia

若松鉱山(わかまつこうざん)は、鳥取県日野郡日南町に所在し、1899年(明治32年)から1995年(平成7年)まで採掘が行われていた日本有数のクロム鉱山である。 若松鉱山の発見者については諸説あり、1899年に若松鉱山が発行した『鉱山概説』には「1899年島根県仁多郡八川村の藤原某により発見された。」とある。しかし『日南町史』は「1895年松尾鶴太郎が大洪水の復旧工事現場で重い落石を発見し、高所にある鉱床を探し当てた」としている[1]。 1905年(明治38年)に採掘経営を開始。当初の経営者はエスメドースと佐藤百太郎らであった。当時は年に3万トンから4万トンの生産量をアメリカに輸出していた[2]。1919年(大正8年)1月28日、日本クローム工業株式会社が若松鉱山より譲渡を受ける。1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)年には全国シェアの47.5%を占めていた。 1995年2月末に採掘休止、翌1996年9月に休山、2001年10月に閉山した[3]。 近代化産業遺産[編集] 2009年に「近代化産業遺産群続 33」平成20年度に「7.産業用としての耐火煉瓦製造の進展と原料開発の歩みを物語る近代化産業遺産群」のひとつとして選定された[4]。 現在は、通常は閉鎖されているが、日南町観光協会に申し込めば有料で一部見学が可能である[5]。 保存状況[編集] 15の施設(発電室、金属工作工場、本工場、火薬類取扱所、コンプレッサ室、選考場No.1、選考場No.2、貯鉱場No.1、No.2、No.3、破砕場、変電室、救護室、鉱務所、索道鉄塔、鉱山事務所、坑道と軌道)が現存する。 以下は「近代化産業遺産群続 33」の「若松鉱山(クロム鉄鉱)跡」に掲載されている不動産である[6]。 コンプレッサ室 同 ディーゼル発電室 工作場 火薬庫 火薬類取扱所 機械選鉱場 破砕場

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