今井科学 – Wikipedia
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年8月) 今井科学株式会社(いまいかがく)は、1953年 -2002年に存在した日本の模型メーカー。今井商店として創業し、1959年に今井科学株式会社となる。1969年に倒産後1971年に再建、1990年代に株式会社イマイに改名した。本社は静岡県静岡市(葵区)沓谷にあった。キャラクターモデルを中心としたプラモデルと、帆船を中心とした木製模型などを製造・販売していた。 1953年8月、今井栄一が1948年に齋藤茂一と共に創業したフジミ模型教材社(現:フジミ模型)から独立して今井商店を設立。1959年12月に株式会社化し、今井科学株式会社に改名した。 当初は木製艦船模型を中心として商品開発をしていたが、1958年に発売した木製の東京タワーが人気を集める。1960年にプラモデルの製造に参入し、9月にその第一弾として「戦艦榛名」、11月に電動歩行の鉄人28号を発売した[1]。以降、『鉄腕アトム』、『ビッグX』、『サブマリン707』など数多くのキャラクターモデルを発売、いずれもヒットして今井科学の基礎を築く。また1960年代には航空機や自動車の優れたスケールモデルも発売した。1964年の春頃までは木製の艦船模型もプラモデルと共に生産されていたが、それ以降はプラモデルのみとなる。 特に1966年に発売を開始した『サンダーバード』の関連キットは大ヒットとなり、今井科学の地位を不動のものとするかに見えた。しかし1960年代の怪獣ブームでソフビ怪獣を大ヒットさせたマルサンがブームの終息と共に経営危機に陥ったことから、サンダーバードの次を担う売れ筋商品の必要性に迫られた。 そこでサンダーバードの後番として製作された『キャプテン・スカーレット』と、円谷プロの意欲作として期待されていた『マイティジャック』の内外二大話題作の版権を取得し関連キットを発売する。ところが『キャプテン・スカーレット』は『サンダーバード』程の人気は得られず、『マイティジャック』も予想外の不振に見舞われ、多額の不良在庫を抱える結果になり、これが元で1969年に会社更生法の適用を受けて倒産。この際に静岡の工場と製品金型の多くがバンダイに売却され、1971年、これらの資産と人材を基にバンダイは従来の本社の模型部とは別に新たに子会社バンダイ模型を設立。後のガンプラなどバンダイのプラモデル事業の基礎となる。 1971年に会社再建を果たした後は、事業の柱の一つとして帆船模型を掲げ、木製キットとプラキットを数多く発売すると共に、メーカー主催の製作講習会を通じて大人の成熟した趣味として普及に務める。日本での帆船に対する関心も1970年代後半から徐々に集まり始め、80年前後には帆船模型は一定の需要を満たすまでになる。他メーカーからも新規参入があり、また関連書籍や資料も発売されるようになる。今井科学は木製模型のノウハウを生かした建築模型も後に発売する。 1975年からは、小沢さとるデザインの自社オリジナルキャラクターモデルの『ロボダッチ』シリーズをリリースする。小沢さとるによるオリジナル漫画が付録につき、80円という低価格から始まったこのシリーズはアオシマの合体シリーズと並んで、子供向けプラモデルとして幅広く認知され、TVコマーシャルが流されるほどのヒット商品となった。短命に終わったが、このロボダッチキャラクターが乗り物に乗った、『カーダッチ』シリーズも一時期展開していた。その後サンダーバード秘密基地などの金型流用により大型商品も開発され、またタカラからは合金のダイキャストモデルも販売され、テレビ媒体に頼らないオリジナル玩具キャラクターとして発売が続けられた。 1980年代前半、バンダイの『機動戦士ガンダム』シリーズの爆発的ヒットによってキャラクターモデルへの注目が集まり、多くの模型メーカーがロボットアニメとのタイアップに力を入れるようになる。今井科学も他メーカーと共同してキャラクターの新規発売に積極的に乗り出し、『超時空要塞マクロス』では作品の人気に乗り十分な成功を収めることができた。その後、『超時空世紀オーガス』・『機甲創世記モスピーダ』・『超攻速ガルビオン』・『超時空騎団サザンクロス』と立て続けにキャラクターモデルを連発する。しかしいずれも『マクロス』程の人気には至らず今一つの結果に終わり、不良在庫が次第に重い負担となっていった。またもう一つの事業の柱であった帆船模型に対する一般の関心もこの頃には徐々にしぼみ始め、新規参入したメーカーも撤退していった。また、模型店経由でロボダッチキャラクターを使った小冊子を発行、児童層のファン拡大を狙ったが、少子化の波には勝てなかった。 そして1980年代中頃に二度目の経営危機を迎える。関係者の献身的な努力でかろうじて廃業を免れたものの、新規製品を開拓する力はもはやほとんど残っておらず、マクロスなど製品金型の一部は再びバンダイに売却された。1990年代は社名をイマイに改名すると共に、過去の製品の再版と、スーパーフォーミングと呼ばれた特殊加工発泡スチロールによる製品に活路を見いだそうとする(ただし、スーパーフォーミングは下地加工に難があり、相当のベテランモデラーを以てしても手を焼く素材だったという)。1990年代末には多くの種類のプラモデル製品の再発売を行ったが、その中にはそれまでほとんど再生産されたことのなかったものも含まれ、パッケージが一新されたものも多かった。一部のマニアには歓迎されたものの、このような採算性を無視した大量の再生産は、逆に経営の足を引張る結果となった。 2002年2月20日を以てイマイは営業を停止し、会社は解散した。最後まで残った製品のうち、プラモデルとエアコッキングガンのそれぞれ一部は青島文化教材社が、木製キットはウッディジョーが生産と販売を引き継いでいる。 航空機[編集] 1960年代には主に1/50 スケールで製品を開発し、日本名機シリーズとして零戦、疾風、紫電改、雷電、鐘馗など、爆撃機シリーズとして99艦爆、ドーントレス、Ju-87など、スタントブレーンシリーズとしてジービーレーサー、レアード・ソルーションなどを発売していた。また、1968年には就航したばかりの戦後初の国産旅客機YS-11を1/72スケールで製品化している。この製品は設計者の監修を受け、客室内部までモデル化されていた。1969年の倒産後金型はバンダイに移り、日本名機シリーズを除き再発売されている。 再建後の1973年からは、1/144双発機シリーズとして一式陸攻、呑龍、銀河、飛龍、97重爆、100式司偵、99双軽、屠龍、月光などを製品化している。これらには、エンジン起動車や給油車などの支援車両や、掩体などのアクセサリーパーツも付属していた。このシリーズはイマイの最晩年まで何度か再発売されたのち、アオシマに移管されている。また一時期OEMでハセガワからも発売されていた。 艦船[編集] 1960年代には、1/700で金剛型、伊勢型、扶桑型の戦艦、1/550で高雄型、妙高型、最上型の重巡洋艦が発売されていた。ただし、これらは実際には長さ35cm程度の箱スケールキットであり、表示されたスケールは必ずしも正しくなかった。倒産後金型はバンダイに移ったが、戦艦の表示スケールは後に1/600に変更されている。 再建後の艦船の模型は帆船が主となり、1973年からは帆船の歴史シリーズとしてギリシャ・ローマの軍船やバイキング船などがモデル化されている。1977年からは、1976年のアメリカ建国200年記念帆船パレードに参加した各国の帆船を、1/350スケールで製品化している。これらの製品は当初艦底部分を省略した洋上模型形式で作られていたが、後に一部の製品には艦底部分が加えられ、またカティサークのような帆船パレード参加船以外の有名帆船もシリーズに加えられた。1/350シリーズと並行して、1/60から1/200程度の大型の帆船模型も多数作られている。 軍用車両[編集]
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