この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “伊号第十六潜水艦” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年5月) 伊号第十六潜水艦(いごうだいじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十六型潜水艦の一番艦。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備充実計画(③計画)で建造が計画され、1937年9月15日に三菱重工業神戸造船所で起工。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名が伊十六型に改正[2]。1938年7月8日に進水。その後呉海軍工廠に曳航されて移動した後艤装作業が行われ、1940年(昭和15年)3月30日に竣工した。竣工と同時に横須賀鎮守府籍となり、横須賀鎮守府部隊所属となった。 11月15日、伊15と共に第六艦隊第1潜水戦隊第1潜水隊を編成した。これは、波1型からなる先代の第1潜水隊が、所属艦の除籍により1929年(昭和4年)4月1日に解隊されて以来、4代目となる。 太平洋戦争開戦時には第六艦隊第1潜水戦隊第1潜水隊に所属。1941年(昭和16年)11月18日、伊16は呉を出港し、倉橋島亀ヶ首に移動。同地で特殊潜航艇甲標的を搭載した後、真珠湾攻撃に参加するため19日0215に出港。12月7日、真珠湾入口南南西7浬地点付近に到着し、0042に横山正治中尉、上田定二等兵曹が乗り込んだ甲標的を発進。搭載艇は脱出する米軽巡洋艦セントルイス(USS St. Louis, CL-49)を雷撃するも魚雷はサンゴ礁に命中し爆発。その後護衛の駆逐艦の反撃で撃沈された。伊16は会合点であるラナイ島西方に移動し、12日まで搭載艇の帰還を待った。20日、クェゼリンに到着。25日にクェゼリンを出港し、1942年(昭和17年)1月3日に横須賀に到着。その後、呉に移動した。2月1日、第1潜水隊は伊15、伊17を第2潜水隊に転出させ、第2潜水隊所属の伊18、伊20を編入した。 3月10日、第1潜水隊は第8潜水戦隊指揮下となる。 16日、伊16は横須賀を出港し、呉に移動。4月16日、第1潜水隊の僚艦、伊10、伊30と共に甲先遣隊を編成し、呉を出港。18日、ドーリットル空襲を受け、小笠原諸島北方沖にいる米機動部隊の迎撃のために北東へ向かったが、空振りに終わった。27日、ペナンに到着し、水上機母艦日進により運ばれてきた甲標的を搭載。30日、伊30を除いた部隊は特設巡洋艦報国丸(大阪商船、10,438トン)、愛国丸(大阪商船、10,437トン)と共にペナンを出港。5月5日、10日、15日に報国丸、愛国丸から給油を受けた後、2隻と別れた。17日、波浪により左舷機関室に浸水。20日、伊10の搭載機がダーバンを飛行偵察。30日、伊10の搭載機がマダガスカル島ディエゴ・スアレスを飛行偵察し、戦艦1他多数の艦船の在泊を報告してきた。31日1740、ディエゴ・スアレス港の攻撃を行うべく、伊16はディエゴ・スアレス沖10浬の地点で岩瀬勝輔少尉、高田高三二等兵曹が乗り込んだ甲標的を発進。搭載艇は発進後消息不明となった。6月6日、南緯15度42分 東経40度58分 /
Continue reading
Recent Comments