竹石尚人 – Wikipedia
竹石 尚人(たけいし なおと、1997年7月1日 – )は、静岡朝日テレビ放送局の職員[1]で、日本の元陸上競技選手(専門は主に長距離走・駅伝)。大分県玖珠郡九重町出身。青山学院大学総合文化政策学部(総合文化政策学科)を1年留年後に卒業。 2歳年上の実姉の影響により、2010年4月に九重町立南山田中学校(現在廃校)入学時から陸上部に所属。中学卒業後の2013年4月、大分県立鶴崎工業高等学校に入学[2]。高校3年生時には主将を務め、第66回全国高等学校駅伝競走大会では北九州地区代表として出場、1区を務めた(区間32位・チーム総合順位31位[3])。 高校卒業後の2016年4月、青山学院大学へ進学し陸上競技部に所属。青山学院大2年生時、2017年11月の第49回全日本大学駅伝対校選手権大会へ、自身大学生として3大駅伝に初出場。6区を担当し区間4位タイで通過したが、青学大としては総合3位に終わった[4]。 2018年1月の第94回東京箱根間往復大学駅伝競走では、往路5区・山登り区間で初出走[5]。先頭の東洋大学と2分3秒差の暫定2位でたすきを受け、4年連続の往路優勝を狙って逆転を目指した。ところが、16Km付近で足のけいれんにより一旦立ち止まり、19.5Kmでも再び痙攣で走行を停止するアクシデントが発生。それでも区間5位の好走で東洋大との差を36秒まで縮めたが、惜しくも2位通過で往路優勝はならなかった[6]。翌日の復路では6区の山下りで東洋大を逆転し首位に立ち、それ以降も総合2位・東洋大との差を大きく広げて、結果青学大は総合4連覇を成し遂げた[7]。 3年生時、2018年10月の第30回出雲全日本大学選抜駅伝競走へ6区・アンカーで初出走。総合2位だった東洋大学に差を詰められたが、12秒の差で逃げ切って区間2位の記録で、青学大の総合優勝に貢献した[8]。 2019年1月の第95回東京箱根間往復大学駅伝競走に、2年連続で往路5区・山登りを担当。往路暫定首位・東洋大学と3分30秒差、往路暫定2位・東海大学と42秒差の暫定3位でタスキを受ける。しかし、スタート後から竹石のペースは思うように上がらず、坂道の途中で次々と追い越されてしまう。結果、自身の区間順位は13位と不本意な結果となり、青学大はまさかの往路6位と大きく出遅れ、往路優勝の東洋大とは5分30秒、往路2位の東海大にも4分14秒もの差を追う厳しい展開となった[9][10]。翌日の復路で、青学大は奇跡の大逆転を目指して激走し、結果5年連続での復路優勝を達成したものの総合初優勝を果たした東海大とは3分41秒の差で総合2位に甘んじ、総合5連覇は成らなかった[11]。 青山学院大4年生時、青学大町田寮の寮長に就任する。2019年9月28日、『オールスター感謝祭’19秋』の「赤坂5丁目ミニマラソン」へゲスト出走。一般女子とは4分の差でスタート、優勝の森渉にゴール手前で追い詰めたものの、森と同タイムながら僅差で及ばず準優勝だった。 それから約2週間後、2019年10月14日開催の第31回出雲全日本大学選抜駅伝競走へ、5区で昨年に引き続き出場。駒澤大学とほぼ同時の暫定2位で襷を受けたが、3.5km付近から中村大成に差を広げられると、5km過ぎには今西駿介にもかわされてしまい暫定3位に転落。区間順位も6位にとどまった。その後青学大は6区で2つ順位を落とし、総合5位に終わり連覇はならなかった[12]。2019年11月3日の第51回全日本大学駅伝対校選手権大会へは、当初7区にエントリーしていたが、当日は補欠だった 田圭太と入れ替わった為出番が無かった[13][14]。 2019年12月10日、第96回東京箱根間往復大学駅伝競走のエントリー発表があった。だが、この前日に竹石は左足を負傷していた為、箱根駅伝への出場をギリギリまで原晋と相談していたが、自ら監督へ「正直しんどい。僕よりも下級生の選手を使うべきです」「青学の16・17番目の部員の方が強いので、僕を外して下さい」等と辞退を直訴[15][16]。結局青学大16人のメンバーに竹石の名前は無く、自身4年目の箱根駅伝はエントリー漏れという形式となった[17]。 当初竹石は大学卒業の後競技を引退し、陸上部の無い生命保険会社に就職する予定だった。ところが、競技への意欲が再び高まり、就職先の内定を辞退し、実業団のある企業への入社を目指すことを検討。あえて留年し大学生として5年目の競技を行うとを決めた[18][19]。 2020年10月3日、『オールスター感謝祭’20秋』の「緑山2100番地ミニマラソン」に「青学大・5年生ランナー」として、2年連続でゲスト出走。同大会の優勝者は澤井一希の圧勝で、竹石は再び2位に甘んじた。 2021年1月の第97回東京箱根間往復大学駅伝競走に、2年振り3回目ので往路5区・山登り区間にエントリー。往路暫定首位・創価大学と3分41秒差の暫定10位でたすきを受けた。ところが2年前と同様にスタート後から足取りが重くスピードが出ず、途中で4度も足が攣って走行をストップする異変が発生。レース後半に入ると往路9位・國學院大学、往路10位・拓殖大学に追い抜かれ、結果自身の区間順位は17位とブレーキとなり、またしても不本意な結末に終わった。青学大はよもやの往路12位と大きく後手に回り、往路優勝の創価大とは7分35秒もの大差がつき、総合2連覇は絶望的となった[20][21]。翌日の復路で青学大は2年振り6度目の復路優勝を果たすも、総合優勝の駒澤大学とは5分12秒の差をつけられ総合4位に留まった[22]。 大学卒業後は陸上競技界の第一線から離れて、2021年4月に静岡朝日テレビへ就職し、新たな一歩を踏み出している[23]。なお同年4月4日、当局の生放送ローカル番組(静岡県内のみ放映)「スポパラサンデー」へ、新人局員として初めての生出演を果たした[24]。 主な成績[編集] 年
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