Month: May 2021

山鹿灯籠まつり – Wikipedia

山鹿灯籠まつり(やまがとうろうまつり)は、熊本県山鹿市、山鹿温泉にある大宮神社の祭りであり、その諸行事は毎年8月15日から17日にかけて行われている。民謡「よへほ節」のメロディーにのって、浴衣姿の女性が、金・銀の和紙作られた金灯籠(かなとうろう)を頭にのせ、市内を踊り歩く。熊本市の藤崎八旛宮の秋季例大祭、八代市の八代神社の妙見祭とならび、熊本県を代表する年中行事のひとつとして数えられている。 祭りの由来[編集] 灯籠まつりは景行天皇伝説に起源があるとも室町時代に始まった行事ともいわれている[1]。 景行天皇伝説とは、景行天皇が九州を巡幸し菊池川を遡って上陸しようとしたところ(現山鹿大橋付近)、濃霧が立ちこめ一行は進路を見失ってしまっていたため、山鹿の里人が松明を灯して一行を導いた[1]。以後、住民は行在所跡(後に大宮神社が建てられた地)に景行天皇を祀って毎年松明を奉納したという伝説である[1]。 室町時代に始まった行事ともいわれている[1]。室町中期、山鹿の温泉が枯れてしまったとき、宥明法印(山鹿金剛乗寺)が祈祷によってふたたび温泉を湧き出させた。この宥明法印の没後、その追善のために灯籠が奉納された、とする説などがある。 戦国時代になり灯籠まつりは一度途絶えたが、文禄年間に再びまつりは復活したといわれている[1]。文化・文政期には多くの住民が灯籠作りに携わり最盛期となったが、幕末には各地で戦乱が続き灯籠作りも衰退してしまった[1]。 明治時代になると木村仙太郎らの優れた灯籠師が現れて、灯籠まつりも復活し大宮神社に多くの灯籠が奉納された[1]。 灯籠踊りは昭和30年ごろに藤間流の藤間勘太女がお座敷用の踊りとして考案した振り付けを屋外用に改変したものである[2]。 スケジュール[編集] 奉納灯籠[編集] 大宮神社に奉納される灯籠(奉納灯籠)は、各町ごとに灯籠師(とうろうし)に製作を依頼する。完成した奉納灯籠は、8月15日、それぞれ街角に展示し、地元の人々や観客に披露される。 そして各町での展示を終えた奉納灯籠は、8月17日の午前0時、各町から大宮神社まで、「ハーイ、トウロウ、ハーイ、トウロウ」のかけ声にのせて運ばれていく。これを「上がり灯籠」という。大宮神社に奉納された灯籠は、神前でお祓いをうけて献灯されてから、大宮公園にならべて展示される。 かつては、明け方ちかくの午前4時、神社での展示を終えた灯籠を各町に持ち帰る「下がり灯籠」が行われていたが、現在は大宮公園での展示終了後、神社の灯籠殿に収蔵され、翌年の祭りまで引き続き展示されるようになっている。 灯籠踊り[編集] 灯籠踊りは、大宮神社および参道、おまつり広場、山鹿小学校グラウンドで見学することができる。 祭り初日の8月15日、午後6時30分から大宮神社境内で、山鹿灯籠踊り保存会による「奉納灯籠踊り」が奉納される。その後、参道やおまつり広場で、各種団体によって灯籠踊りが披露される。おまつり広場での踊りは夜遅く午後11時過ぎまでつづく。 なお、8月15日には午後8時から菊池川河川敷で花火大会が催されている。 8月16日、午前10時から大宮神社で例祭献幣式が行われる。この日の灯籠踊りも夕方からおまつり広場などで披露されるが、午後6時45分からと9時30分からの二回、山鹿小学校グラウンドで行われる「千人灯籠踊り」がこの祭りの最大のクライマックスである。頭上に金灯籠(かなとうろう)をのせた浴衣姿の女性、千人による優雅な踊りは圧巻であり、ゆったりした「よへほ節」が会場に流れるなか、薄暗闇に千の灯が浮かび、櫓を中心にして渦のように流れ、揺らめく。(途切れないカメラのフラッシュを除けば)とても幻想的な光景である。 なお、8月16日の午後8時30分から、菊池川河川敷で、景行天皇奉迎儀式と、それに続き松明行列が行われる。「祭りの由来」を参照。 参考文献[編集]

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アヴェサック – Wikipedia

Avessac 行政 国 フランス 地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 県 (département) ロワール=アトランティック県 郡 (arrondissement) シャトーブリアン郡 小郡 (canton) ポンシャトー小郡 INSEEコード 44007 郵便番号 44460

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レジスタントスターチ – Wikipedia

レジスタントスターチ(resistant starch; RS)とは、ヒトの小腸まででは消化されず、大腸に届くでんぷん、および、でんぷん分解物の総称である[1]。「レジスタント」=「消化され難い」、「スターチ」=「でんぷん」という意味であり、難消化性でんぷんまたは耐性でんぷんとも呼ばれる。 腸内細菌を活性化させ、便秘改善、血中コレステロールや中性脂肪の減少、血糖値の急上昇を抑制する効果も期待されている[2]。 2N水酸化カリウムで可溶化した後にグルコースとして定量される[3]複数種のデンプン[4]に対して与えられた総称である[3]。 1980年代、Englystら[5]によって命名された[6]。レジスタントスターチはでんぷんでありながら、エネルギーになりにくく、整腸作用や生活習慣病の予防効果があるとされている食品中の成分であり、食物繊維の1種である[7]。食物繊維の中でも、腸内細菌に対して良い影響を与える効果があり、不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持っているなど、ユニークな機能を有している[1]が、日本でトクホ飲料によく使われる難消化性デキストリンとは構造も性質も異なる[8]。 消化されない理由[編集] レジスタントスターチは消化されないメカニズムの違いによって次の4種類に分類されている[9]。 RS1 雑穀のように硬い組織に囲まれていることで消化酵素がでんぷんまで届かないタイプ RS2 十分に加熱されていない未糊化のでんぷんやアミロースの極めて多いでんぷんなど、でんぷんの粒子自体が消化されにくいタイプ RS3 冷やご飯や春雨のように一度加熱されて糊化したあと、冷めたり保存する過程で一部のでんぷんが再結晶して消化されにくい構造に変化したタイプ RS4 加工デンプンの一種で、でんぷんを高程度に化学修飾することで消化酵素が作用しにくくなったタイプ レジスタントスターチを含む食品[編集] レジスタントスターチは雑穀や豆などの穀類や、コーンフレークやパスタなどのでんぷん質の食品の一部に含まれる。中にはハイアミロースコーンスターチのように、多量のレジスタントスターチを含むものもある[10]。また、ご飯を冷やす、じゃがいもをポテトサラダにするなど、“冷やす”ことででんぷん質中のレジスタントスターチの量が増えると言われている。このため、ダイエットやお腹の調子を整える目的で、でんぷん質の食品を冷やして食べる方法が紹介されることもある。日本テレビ系の教育バラエティ「世界一受けたい授業」でも、“冷やして得する栄養学”としてレジスタントスターチが紹介された[11]。さらに、最近はレジスタントスターチをより多く含んだでんぷんが食品素材として開発されており、麺類やパンなどに配合して、より手軽に摂取できるよう取り組みが進められている[12][13]。トクホの関与成分としても使われている難消化性再結晶アミロースもレジスタントスターチの一種であり、RS3のタイプに相当する[14]。 下記の食品中に含まれるレジスタントスターチの量は、測定法、食材の熟成度、調理法、加熱条件、調理後の温度などによって変動する[6]。 食品中に含まれるレジスタントスターチ[10][15]

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ケネス・P・モリツグ – Wikipedia

ケネス・P・モリツグ(Kenneth P. Moritsugu、1945年3月5日 – )は、アメリカ合衆国公衆衛生局の元医務総監(Surgeon General of the United States)代行(医務総監が任命されなかったため、実質的な最高責任者であった)で、アメリカ公衆衛生局士官部隊の元少将RADMである。 目次 1 人物 2 略歴 3 脚注 4 外部リンク ハワイ州ホノルル生まれの日系アメリカ人三世。

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尿検査 – Wikipedia

顕微鏡下での尿サンプル中の白血球(異常所見例) 尿検査(にょうけんさ、英:Urinalysis)は、尿についての多くの検査項目を含み健康診断の最も一般的な方法の一つである[1]。尿検査の一部は検尿で行われ、結果は試験紙の変色で読み取ることができる。 検査項目[編集] 尿は血液中の不要物や有害物、新陳代謝の老廃物などを体外へ捨てるために腎臓で濾過されて生産される。このため、身体状態を反映して水素イオン指数 (pH) や成分が変化することが知られており、内科の診断では主要な検査対象となる。 血液やリンパ液、組織液、細胞液などのpHは、ホメオスタシス(恒常性維持機能)によって通常pH7.4±0.05に維持されている。一方、尿は体液ではないため、pHはある程度の範囲で変動し、一般に尿は弱酸性であるが、アルカリ性食品を多く摂取したりすることで、アルカリ性になったまま低下しなくなることがよくある。 尿にタンパク質が含まれる場合(タンパク尿)、腎疾患や尿路系の異常、糖では糖尿病、血液では尿路系の炎症や結石が疑われる。ただし、これらは疾患がなくても疲労による原因である場合もある。ウロビリノーゲンの量や尿の比重も臓器の疾患を示唆する。ウイルス、細菌が混じる場合には泌尿器系の感染症が疑われる。薬物・毒物等を摂取した場合には固有の代謝産物が検出される。妊娠した女性からはヒト絨毛性ゴナドトロピン (HCG) という特有のホルモンが検出される。 簡単な尿検査は試薬を用いて色の変化や沈殿の有無を調べるもので、妊娠の検査であれば数分程度で確認できる。近年では質量分析の発展によってきわめて微量の成分でも検出が可能となっており、スポーツ競技でのドーピング検査などで使用されている。 しかし、採集から検査までの保存温度が高く時間がかかった場合、尿中から頻繁に検出される腸内細菌の大腸菌やプロテウス属菌などの影響で、成分に変化を生じ要所見の可能性の高い尿ほど経時変化が顕著であると報告されている[6]。従って、保存は蓋付きで冷暗所が望ましいとされる[6]。 アニサキスがガンの部位に集まる習性を利用し、カエノラブディティス・エレガンスを使って尿によるがん検診を可能とする研究が行われている[7][8]。 ^ a b c Simerville JA, Maxted

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外山家 – Wikipedia

外山家 鶴丸(つるのまる) 本姓 藤原北家日野流庶流 家祖 外山光顕 種別 公家(名家)華族(子爵) 出身地 山城国 主な根拠地 山城国東京府 著名な人物 外山光輔 支流、分家 長澤氏(武家) 凡例 / Category:日本の氏族 外山家(とやまけ)は、藤原氏の末裔日野家の分家。分流のひとつ。江戸時代には公家の堂上家、家禄は御蔵米30石。明治時代以降は華族の子爵家。家紋は鶴丸。

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根岸絵美 – Wikipedia

根岸 絵美(ねぎし えみ)は、埼玉県出身の日本の役者。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。 小学校、中学校と運動部に所属。高校はハンドボール部に入部したが、すぐに退部。その後の高校生活は趣味に走り、エレキギターを習う。 高校三年生の夏、自分のあまりの馬鹿さに一念発起して受験勉強を開始。予備校は肌に合わず、自宅勉強を一日13時間ほど続けた。その結果、早稲田の文学部への入学が決まる。 大学時代のサークルは広告研究会、映像チームに所属。 幼いころから人前が苦手だったことから、演劇をする人々の気持ちが全く理解出来ず、研究対象にしようとネットで俳優募集をしている劇団を探し、応募したのが演技を始めるきっかけとなる。友人が出演していたので観劇に行った『ひょっとこ乱舞』(現・アマヤドリ)の『水』という芝居に心を打たれ、オーディションに応募。劇団員となる。 数年後、退団。オフィスエルアール+所属の後、2015年から事務所をエコーズに移籍。 小さいころの夢は漫画家、小説家、キャリアウーマン。 目指したい女優は余貴美子。尊敬する人は宇多田ヒカル。 出演作品[編集] 舞台[編集] ひょっとこ乱舞/アマヤドリ作品 舞台『でも時々動いてるわ』(2006年、こまばアゴラ劇場 ) 銀髪(2007年、吉祥寺シアター トラビシャ / こまばアゴラ劇場) 愛にキて(2008年2月、王子小劇場)※佐藤佐吉祭

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東京エレクトロン デバイス – Wikipedia

東京エレクトロン デバイス株式会社(とうきょうエレクトロンデバイス、英:Tokyo Electron Device Limited)は、神奈川県横浜市神奈川区に本社を置く東京エレクトロングループの企業である。東京証券取引所一部上場。 東京エレクトロンが創業当初から行ってきた、ICや一般電子部品等を販売する半導体商社部門を独立する形で設立された。現在は半導体製品を主力とした産業用エレクトロニクス製品の販売・技術サポートに加え、VLSIやFPGAなど自社ブランドのボード製品の開発や、量産・設計受託などを行う。2006年に東京エレクトロンからコンピュータシステム関連事業を継承し、情報通信機器やセキュリティソリューションの販売や保守サービス等も行っている。 1965年 – 東京エレクトロン株式会社で電子部品(フェアチャイルド社など)の販売を開始。 1985年 – 東京エレクトロン横浜事業所(現在のエンジニアリングセンター)を開設。 1986年3月 – 東京エレクトロン株式会社の出資によりテル管理サービス株式会社設立。 1998年7月 – 東京エレクトロン株式会社から電子部品部門を営業譲渡。 1990年9月 –

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スカタンボーイズ – Wikipedia

スカタンボーイズ(すかたんぼーいず)は、コミックバンド・音楽ショウ。 1961年11月に宮貫一、望月凡太、駒タロー(後の2代目広沢駒蔵)の3人でグループを結成。メンバーは離合集散を繰り返したが1971年頃まで活動をし「バイオレッツ」とグループ名を改称した。その後主要メンバーは平和勝次とダークホースの結成に参加。 初期はコント色が強かったが後期はグループ・サウンズの音楽色が強くなった。 メンバー[編集] 宮貫一(本名:前野守、1939年 – )、初期のリーダー、トランペット・ピアノ担当。 京都府出身。元キングレコードのバンドマン。 望月凡太(本名:望月武三、1921年 – ) 長野県出身。楽劇団で望月昇の名で1942年に福島聖天劇場で初舞台。漫才に転向し河内家鶴春の門下で妻と「空のぼる・ひろい」その後「望月凡太・星ララ子」と改称して組む。戎橋松竹などの舞台で活動。スカタンボーズを脱退後「望月凡太・星ララ子」を続けたがコンビ解消後は引退。 駒タロー(本名:美崎正則、1931年7月13日 – 2001年6月22日 ) 大阪府羽曳野市出身。元浪曲師で1970年に脱退し浪曲に復帰。 板東晴彦(本名:板東正明、1944年 – )

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あかほりさとる – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “あかほりさとる” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年9月) あかほり さとる(本名:赤堀 悟、1965年3月8日[2] -)は、日本の小説家・ライトノベル作家・脚本家・漫画原作者。SATZ社長。血液型はO型[3]。 愛知県刈谷市で出生、半田市で育つ[4]。愛知県立半田東高等学校、明治大学農学部農業経済学科卒業。 大学在学中の1986年に小山高生主宰の脚本学校「アニメシナリオハウス」を受講し(2期生)、翌年の小山による脚本家集団「ぶらざあのっぽ」発足にも参加。1988年にテレビアニメ『ホワッツマイケル』の脚本でデビューした。以後、アニメで、『天空戦記シュラト』『宇宙の騎士テッカマンブレード』など、多くの作品のシリーズ構成や脚本を手がける。 1989年に『天空戦記シュラト』のノベライズで小説家デビュー。1990年代半ばからは、脚本家の枠を越えて『NG騎士ラムネ&40』、『爆れつハンター』、『六門天外モンコレナイト』など、執筆した小説がメディアミックス展開で次々と漫画、アニメ、ラジオドラマとなり一時代を築いた。またCD「あぶらみぶらざあず」では脚本のみならずプロデュースとしても活躍し、林原めぐみを中心とした「第3次声優ブーム」を影から支えた功労者でもあると言える。 1992年に独立後「あかほりさとる事務所」を設立。現在は株式会社エスエーティゼット・マルチコンテンツ創作集団『SATZ』(所属花田十輝等)の代表を務める傍ら『東放学園映画専門学校』で講師の仕事などもこなしている。 2015年、白泉社招き猫文庫にて「あかほり悟」名義で執筆活動中。 あかほりの小説は、脚本家出身の作家に多く共通する独特の文章の癖が強く顕れている。顕著なものとして「チュドオオオオオオオン」「ドガガガガガガガッ」などの漫画的な擬音表現の多用、時に「ページの下半分を切り取ってメモ帳に使える」と揶揄される程の改行の多さなどが挙げられ、時折「(アニメ用の)脚本をそのまま小説にしたような文体」と揶揄される(あかほり自身も半ば冗談でページ数を稼ぐために濫用していると述べているほどである)。 自著「オタク成金」で、この表現方法についてあかほりは「中学や高校の1クラスの中で、本を読むのは5人ぐらい。その5人のパイを取り合うより、残り35人が本を読むように取り込んだほうが、取り合いにもならず利益が出せる」としている。また自身における「ライトノベル」とは「擬音を使って、アニメや漫画を小説化すること」がスタートであり、あかほりの小説は漫画やアニメをそのまま小説にスライドさせたら…という考えに基づき書かれている。

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