クリスティアン・ケルン – Wikipedia

クリスティアン・ケルンChristian Kern、1966年1月4日 – )は、オーストリアの政治家、経営者。同国首相を務めた(第29代、第二共和政第13代)。元オーストリア社会民主党党首。

母は秘書職、父は電気工に就いていたという一般家庭で生まれた。出生はオーストリアのウィーンのジンメリングで生まれ育った。ウィーン大学で報道学とコミュニケーション学を専攻し1997年に修士号を得ている。在籍時代にはオーストリア社会主義連盟に加わっている。スイスのザンクトガレン大学 ([8])(ドイツ語)でマネジメントの学位を取得。

1989年から経済ジャーナリストとして活動、 1991年には第3次フランツ・フラニツキー内閣で首相府政務官のペーター・コステルカ(ドイツ語)に公営事業に関する助手として起用された。1994年からはオーストリア国民議会のオーストリア社会民主党院内会派室で事務局でプレス担当のメインスタッフとして活動していた。

経営者として[編集]

1997年、オーストリア最大の電力会社フェアブント(ドイツ語)に請われ同社の系列会社でマーケティング・営業戦略担当部長、海外のM&A、事業参画拡大、及び高電圧領域担当等の要職を担当、2002年には同社の役員に就任した。

2010年6月にオーストリア連邦鉄道ホールディングの代表取締役に就任、就任時には前職から約15%減額の500.000ユーロで契約を締結、任期途中で2019年までの延長を確約させた。経営困難に陥っていた同社を改革し、財務・人的・インフラ・サービス面で概ね向上させたという実績が認められている.[1]
2014年からは2017年末までの任期で欧州鉄道連盟(英語)の総裁職に就いた。
2016年5月17日の首相就任に伴い、ケルンはオーストリア連邦鉄道ホールディングの役員をはじめとするほぼ全ての要職から辞任した。[2]

政治家として[編集]

2016年5月に辞任したヴェルナー・ファイマンの後任として、社会民主党の幹部会議は2016年5月13日、首相および同党党首としてケルンを選出することで合意[3]。5月17日に行われた社会民主党の執行役員会で正式に首相に選任され、2016年6月25日に予定されていた党大会では対立候補を擁立しない旨を確認した。同日2016年5月17日17時にハインツ・フィッシャー大統領によって認証式が行われ、正式に首相に就任。オーストリア国民党との大連立内閣が発足した。

国民議会における首相就任演説では、人間の尊厳の尊重や経済の上昇等について観念的な方向性について述べたが、特に具体的な施策や方針については述べていない[4]。また、前ファイマン政権は自由党との連立を強く否定していたが、ケルンは「基本的に連立への途を閉ざしてはいない」と述べつつも、「補足的な考え方」としており、「私としては国民党との連立政権のパートナーとして維持していきたい」と大統領認証前に述べている[5]。2016年5月22日に行われた大統領選挙戦では、緑の党が推したアレクサンダー・ファン・デア・ベレンを選ぶと公言している[6]

しかし、社会民主党と国民党の間の亀裂が深まり政権は事実上破綻。2017年5月16日、各党の話し合いにより前倒しで議会解散を実施することを決定した[7]。10月15日の国民議会選挙英語版の結果、社会民主党は52議席の第二党にとどまり、連立工作の結果、社会民主党は下野することが決まった[8]。12月18日に首相を退任。

経済・雇用[編集]

新たな雇用の拡大と経済成長に重点をおき、『アジェンダ2025』としてニューディール政策を講じることを就任演説で語っている[9]

移民対策[編集]

就任直後、オーストリア放送協会のニュース番組 【ZIB2】のインタビューで、前政権下で国民党と合意した政策を踏襲するとしつつも、すでに国内に滞在している難民をどのように同化し、具体的に住居や雇用の対策を講じていけるか、現在の想定受け容れ人数を上回るような事態における緊急対策については、さらに具体的な審議が必要であるとしている[10]

ケルン内閣[編集]

SPÖ=オーストリア社会民主党 / ÖVP=オーストリア国民党

(2016年5月18日現在)

1985年にカリン・ヴェッセリーと入籍、3人の息子をもうけたが2001年に離婚、ヴェッセリーは現在弁護士でありニーダーエスターライヒ州のメーデリングで市の文化評議員を務めている。現在の夫人であるエヴェリンとは一人の娘をもうけている。

外部リンク[編集]

いずれもドイツ語