ヒコロヒー – Wikipedia

ヒコロヒー(1989年〈平成元年〉10月15日 – )は、日本の女性お笑いタレント。松竹芸能所属。本名非公開。

M-1グランプリの影響でお笑い好きになるも、最初は芸人になる気は無かった。高校3年の時にガソリンスタンド社員として採用が決まり、そのまま就職するつもりでいたが、親の要望で大学受験し、1校だけ受験して合格した近畿大学文芸学部芸術学科に進学。大阪の大学を受験したのは、ミナミに憧れてという気持ちもあったという[3]。大学ではアルバイトをかなり頑張りお金を稼ぎたかったのでサークルに入るつもりは無かったが[4]、「勧誘してくれた先輩が男前だった」という理由で文化会落語講談研究会に所属[5][4]。霜降り明星の2人は学生時代からの付き合い。しかし本人は、このサークルは「ちゃらんぽらんな部活だった」ということで、芸人になろうと考えている人は居らず、自分も学生芸人だったという自覚はなかったと回顧[4]。大学2年生の時の大学祭で、落語研究会の先輩に頼まれ出演したお笑いイベントで、落語ベースの一人コントを披露。それを見ていた松竹芸能のマネージャーにスカウトされ[5]、特待生として授業料免除で松竹芸能大阪養成所入り[3]。最初は芸人になるつもりはなかったが、その時ちょうど就職活動が始まるタイミングだったこともあり、大学卒業後映画かラジオの現場スタッフの仕事をしたいと考えていたことから、松竹グループは映画を制作しているので人脈面でも有利になると考え、このような就職にも繋がるかと思い入所[4][6]。当時、養成所にはきつね、Aマッソらが居り、彼らとは当時から仲が良かった[4]。養成所時代には講師とケンカしたため事務所ライブに出られなくなったこともあった[6]。同所卒業後に松竹芸能(大阪)所属となる。

初期は大阪を拠点にして活動、道頓堀角座などで、多い時で月に15本から20本のライブ出演をこなす[7]。2013年12月1日に、道頓堀角座で初の単独ライブ「ヒッコロコメディショー」を行う[8]

芸人活動と学生生活がまったく両立出来なくなった事を理由に、大学を2013年春に中退。本人は、「単位も取れないから、大学はずっと辞めたいと思っていて、(芸人活動をしていることから)『お笑いという夢が見つかった』ということでお笑いで頑張りたいことを理由に大学を辞めた感じだった」と語っている[4]

だが大学を辞めた時点で、そのままお笑いの道に進むと決意していたわけではなく、本人はむしろフリーターになろうと考えていた[4]。それでも芸人としてやっていこうと考えたのは、本人は「これといったきっかけがあったわけじゃない」としながら、インディーズライブでヒューマン中村、三浦マイルド、おいでやす小田ら同じピン芸人の先輩たちと共演するうちに、ピン芸人の面白さや楽しさや、大変だけど自由なこと、などの魅力を感じたのかなと言うことを話している[4]。大阪で3年間活動した後、場所を変えて自分の笑いを試して勝負したく上京、2014年4月から松竹芸能東京に所属[7]。尊敬するさらば青春の光が松竹を退社したことも上京の一因だという[9]

IPPONグランプリ(フジテレビ系)への出場に向けた全国一斉大喜利ペーパーテスト(1,603人出場)を勝ち抜き、本戦への出場枠を賭け第1回『IPPONスカウト』に出演(初登場)。MCのバカリズム、小木博明(おぎやはぎ)、設楽統(バナナマン)らから高く評価された[10]。第11回『IPPONスカウト』(2014年5月17日放送)では最終決勝の5人の解答者に選出[7]。大喜利に関しては大阪時代の3年間「ずっと負けてるなと思ったことが無い」と言い、『IPPONグランプリ』本戦出場を逃したことにも悔しさを表すコメントをしていた[7]

2021年から初の冠番組『キョコロヒー』が始まるなどテレビ出演が増え、ニホンモニター調査の同年7月に発表された「上半期ブレイクタレントランキング」10位にランキングするなどブレイクを果たす[11]。その後「国民的地元のツレ」という愛称でも呼ばれている[1]。同年12月には同調査の「ブレイクタレントランキング」で年間5位にランキングする[12]

同年12月13日に行われた「女芸人No.1決定戦 THE W」では2016年から2020年まで4年連続で準決勝で敗退していたが、5年目となる2021年大会で初の決勝進出を果たした。しかし、Bブロックの登場初戦での天才ピアニストとの対戦にて満票で敗退した[13]

基本情報[編集]

  • 愛媛県出身。
  • 誕生日は10月15日
  • 身長 165cm[14]
  • 血液型AB型。
  • 愛称はヒコ、ヒコちゃん、ヒコさん。一人称はわし
  • 自己紹介時のキャッチコピーは、「国民的地元のツレ」。
  • 松竹の初舞台の前に芸名を付ける。ヒコロヒーという芸名に特に意味は無く「2秒で付けた」という[7]。ただ本人は元々「直角がいっぱいある文字」が好きで、それを寄せ集めて出来たのが「ヒコロヒー」だった、と話している[15]。そして戦後の闇市で流行ったクスリっぽい名前ということでパンチが効いた感じもいいと思ったとも話している。[要出典]
  • 社長からは「クロちゃん との二枚看板」と認められている[16]

趣味・嗜好[編集]

交友関係[編集]

  • 太陽の小町のつると同居している。2019年5月24日には、この2人で「Since 603」というタイトルのトークライブを開催した[22]
  • 女性芸人の中で一番仲がいいのは、紅しょうがの稲田美紀であると話している[6]
  • うしろシティ金子率いるチーム「GIGA BODY, METAL, from JAPAN」が2019年7月11日にフィンランド・ヨエンスーで開催された「Heavy Metal Knitting World Championships(ヘヴィメタル編み物世界選手権)」決勝大会に出場して優勝。ヒコロヒーも、コーヒールンバ平岡、ゆんぼだんぷと共にこのチームのメンバーとして出場した[23]

芸風[編集]

  • ネタは約200本持ち、衣装、音響や小道具などの仕掛けに頼らない一人コントが特徴[7]。自分のコントを『ヒッコロコント』と称し(DVD『アンタッチャブル柴田の「ワロタwwww」〜超絶おもしろいのに全く知られてない芸人たち〜』でも「新星!ヒッコロコント」のキャッチフレーズが付いている[24])、コントの前には「ヒコロヒーのヒッコロコント」と発するのが定番である[25]。ちょうどいい感じのアウトローさで、言動がクールとも言われており[17]、お笑いコンビ「馬鹿よ貴方は」新藤竜巳は「設定選びが他の芸人と一切かぶらない」と評している[25]。一方で毒気のあるネタ、過激なネタも多く有するという[3]。象形文字から漢字の成り立ちをベースにネタにしたものなど、フリップを使った漫談も演じることがある[10]
  • 社会問題全般に関心があり、M-1グランプリでは元ピーマンズスタンダードのみなみかわと即席コンビ「ヒコロヒーとみなみかわ」を組んで出場、芸人社会のジェンダーに切り込んだ漫才を披露し[26]、2019年は3回戦まで[25]、2020年は準々決勝まで進出[27]。このようなジェンダーバイアスをテーマにした漫才を作ったのは、誰もして来なかったであろうと思う設定で新しく面白いものをやろうという気持ちからだった。男性芸人の先輩から性的なことを挨拶のように聞かれるのは日常茶飯事だったということで、そのような不満やむかつきをみなみかわと喫茶店で愚痴りながら喋っている時にその流れで、その不満を漫才という形で発展させて作ることになった。そのネタをM-1グランプリやバラエティ番組などで披露したところ、各所から想像以上の反響をもらったという[28]。この漫才が注目を浴びたことで、2021年のブレイクにつながったとみる指摘もある[29]
  • 「売れるために芸人の仕事に集中し、総額500万円を借りる」ことを目的とした『ヒコロヒーの金借りチャンネル』というYouTubeチャンネルを開設しており、霜降り明星・せいや、さらば青春の光・森田、3時のヒロイン・福田、きつね・淡路、紅しょうが・稲田などから借金をしている。なお、このチャンネルを開設した当初は月給15万円、家賃を50万円滞納していた他、消費者金融に50万円、元彼に80万円、以前のバイト先に40万円それぞれ借金していたが[30]、その後のブレイクによって、2021年6月の月給が98万円だったこともあって、2021年7月3日に自身のSNSで借金を全額完済したことを報告した[30]。『5時に夢中!』に出演した際、矢口真里から10万円借りたエピソードを語ったが、「最近仕事どうですか? 私に10万貸したら第7世代とパイプできますよ」と説得したという[31]

賞レース成績[編集]

ヒコロヒーとみなみかわ

現在放送中[編集]

テレビ[編集]

テレビドラマ[編集]

配信ドラマ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

単独ライブ[編集]

  • ヒッコロコメディショー(2013年12月1日、道頓堀角座)
  • 漁港の女(2016年11月12日、新宿角座) – 東京に活動拠点を移してからは初の単独ライブ[65]
  • その次の女(2017年11月17、新宿角座)[66]
  • 清純派(2019年11月16日、新宿角座)[67]
  • best bout of hiccorohee(2021年7月10日、北沢タウンホール)[68]

ユニットライブ[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]