第十四号駆潜艇 – Wikipedia
第十四号駆潜艇[注釈 1](だいじゅうよんごうくせんてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜艇)、駆潜艇。第十三号型駆潜艇の2番艇。太平洋戦争の終戦直前に被爆して行動不能となり、戦後解体された。 ④計画の特務艇(440トン型駆潜艇)、第180号艦型の2番艇、仮称艦名第181号艦として計画。1940年6月6日、玉造船所で建造番号295番船として起工。11月5日、第十四号駆潜艇と命名され、特務艇(駆潜艇)第十三号型駆潜艇の2番艇に定められる。11月15日、特務艇類別等級と艦艇類別等級の改正により特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり、第十三号型駆潜艇の2番艇に定められる。11月29日、進水。1941年2月14日、艤装員事務所を玉海軍監督官事務所内に設置し事務を開始。 1941年3月-11月 訓練[編集] 1941年3月31日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を横須賀鎮守府に、役務を横須賀鎮守府警備兼練習駆潜艇にそれぞれ定められ、横須賀防備戦隊隷下に新編された第二駆潜隊に第13号駆潜艇や第15号駆潜艇とともに編入。軍隊区分横須賀鎮守府海面防備部隊に配置。以後、6月30日まで東京湾口の防備と訓練に従事。4月15日と16日の両日、第二駆潜隊司令駆潜艇を一時第15号駆潜艇から本艇にそれぞれ変更し、当日中にそれぞれ第15号駆潜艇へ復帰。 7月1日、第二駆潜隊の各艇は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は大湊要港部に編入。軍隊区分直率部隊に配置。同日横須賀発。4日、大湊着。9月19日まで訓練に従事。 9月20日、第二駆潜隊は第三艦隊第一根拠地隊に編入。21日、大湊発。22日、横須賀着。以後11月25日まで内地で諸訓練に従事。10月30日、佐世保へ回航。11月26日、馬公へ進出するため寺島水道を出撃。 1941年12月-1942年4月 フィリピン、蘭印攻略[編集] 太平洋戦争の開戦時はフィリピン攻略に従事。1941年12月10日から12日までアパリ沖で行動し、14日高雄へ帰投。18日、ルソン島東部のラモン湾上陸部隊に合同し高雄を出撃。24日から28日まで、ラモン湾で行動。28日、蘭印作戦参加のためダバオへ向けラモン湾発。 1942年1月1日から6日までダバオで行動。6日から9日まではマララグ湾で行動し、9日から13日にかけてダバオ沖で対潜掃蕩に従事。13日、バンカ島へ向けダバオ発。15日から22日までバンカ島で行動。22日、ケンダリ攻略に参加するためバンカ島発。24日から27日までケンダリ攻略に従事。29日、バンカ島に帰投。 2月3日、ケンダリへ回航。5日から6日にかけてケンダリで行動。6日、マカッサル攻略のためケンダリ発。9日から16日までマカッサル攻略に従事。16日、バリクパパンへ回航。18日から20日までバリクパパンで行動。20日、マカッサルへ回航。22日から23日までマカッサルで行動。23日、バリ島へ回航。25日からバリ島で行動。 3月10日、第二駆潜隊は第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊に編入。バタヴィアを拠点として船団護衛に従事。 1942年5月-7月 東京湾[編集] 1942年5月1日、第二駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分東京湾方面部隊第一掃蕩攻撃隊第二小隊に配置。同日、バタヴィアからスラバヤへ回航する陸軍船団をバタヴィア水路北口から護衛。その後、スラバヤを出港した第15号駆潜艇と合同し、内地へ回航のため高雄へ向かう。15日、第二駆潜隊が解隊され、元第二駆潜隊の3隻は横須賀防備戦隊に編入。21日、元第二駆潜隊の3隻は第13号駆潜艇長の指揮により内地へ向け高雄発。28日、特設駆潜艇こうせい丸の嚮導を受け横須賀に入港。29日、横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。30日、第一掃蕩攻撃隊第一小隊の特務艇浮島、同猿島と合同のため横須賀を出撃し、稲取沖の合同海面へ向かう。合同後は伊豆大島西方海面で対潜掃蕩を実施。同日、神子元島沖で爆雷戦を実施。 6月3日、哨区を徹して伊東に回航。4日、一旦浦賀に帰投して補給を行う。5日、波浮港へ進出のため浦賀を出撃。同港を拠点として、7日から第15号駆潜艇と交代で伊豆大島-新島間、伊豆大島-野島間の哨戒と対潜掃蕩に従事。9日、哨区を徹して浦賀へ回航し、東京湾内の哨戒に従事。12日、相模灘で行動中の浮島との合同を命じられたが出撃はせず、28日まで横須賀海軍工廠で整備と入渠修理を実施。28日、修理完了し、伊豆大島沖で行動中の第13号駆潜艇と合同のため横須賀発。29日、第13号駆潜艇との洋上での合同を中止して伊豆大島乳ヶ埼沖を通過するぶらじる丸の護衛に従事し、ぶらじる丸の護衛後は館山へ回航。同日、館山を出撃して野島埼灯台沖へ向かい、30日から第二水雷戦隊の陽炎駆逐艦長指揮下で対潜掃蕩に従事。 7月1日、野島埼灯台沖での掃蕩を中止し、館山へ回航。館山で警泊ののち下田へ回航。以後、下田を基地として第13号駆潜艇や第15号駆潜艇と交代しつつ、伊豆大島付近の哨区で行動する。 1942年7月-11月
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