アラジンと魔法のランプ – Wikipedia
魔法の庭園に佇むアラジン 『アラジンと魔法のランプ』(アラジンとまほうのランプ、アラビア語: علاء الدين)は、『アラビアン・ナイト』(千夜一夜物語)として最も有名な物語のひとつ。 西洋に紹介されたアラビアン・ナイトの訳本には、この物語を含むものがあるが、アラビア語原典には収録されていない。いわゆるorphan talesの内の一つである。 『アリババと40人の盗賊』と同様に、アラビアン・ナイトとは関係がないことがムフシン・マフディー(Muhsin Mahdi)の研究によって明らかになっている。 中国[2]で母親と貧乏暮らしをしていたアラジンが叔父を騙るマグリブ出身の魔法使いにそそのかされて、穴倉の中にある魔法のランプを手にしたところから物語が始まる。 そのランプを擦ると魔神があらわれた。魔神はランプを擦った者の願いを叶える力があり、アラジンはその力を使って大金持ちになり、国王の娘バドルウルバドゥールと結婚する。 しかし、魔法使いは魔法のランプを奪い取り、アラジンの御殿ごと国王の娘をマグリブに連れて行ってしまう。だが、アラジンは指輪の魔神の力を借りるなどして、魔法使いから魔法のランプを取り返し、魔法使いを退治して再び御殿を元の場所に戻す。 ヨーロッパでは、18世紀初頭にフランスのアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland)によるフランス語訳『アラビアン・ナイト』(ガラン版 1704-1717)によって紹介された。しかし、「アラジンと魔法のランプ」にはアラビア語の写本や原典が存在しないことが問題となっていた。 ガランの1709年3月25日の日記によれば、1709年にガランはアレッポ出身のマロン派キリスト教徒、ハンナ・ディアブ(Hanna Diab)から「アラジンと魔法のランプ」の物語を聞いた。その後ハンナ・ディアブは物語を筆記してガランに手渡したと思われる。ガランはこれをフランス語に訳した。 アラビア語による写本が最初に現れるのは1787年であり、それはパリに住んでいたシリア人キリスト教徒であるディオニシウス・シャウィシュ(Dionysius Shawish)別名ドム・デニス・シャヴィー(Dom Denis Chavis)によるものであった。これはガランが最初に使用したガラン写本に欠けた部分を補うように書かれていた。 この写本は、パリで1805年から1808年の間に、有名なセム語学者シルヴェストル・ド・サシーの協力者であったシリア人のミハイル・サッバーグ(Mikhail
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