Month: March 2018

梅田バナナホール – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “梅田バナナホール” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年9月) 梅田バナナホール(うめだバナナホール、Umeda Banana Hall)は、1981年(昭和56年)オープンの大阪を代表する老舗のライブハウスである。 大阪キタの中心地梅田に位置し、関西のインディーズバンドや音楽ファンにとって一種の登竜門として存在し、年間約6万人が訪れる人気ライブハウスだった。 プロ・アマチュアを問わず、ジャンルもポップ、ロック、ブルース、ジャズ、フォーク、民族音楽と幅広く受け入れ、多くのミュージシャンの通り道、また人気の火付け役にもなった。近年では、お笑いのライブなども行われた。 通常、ライブハウスでは客席とステージの間に安全のための柵が立てられるが、バナナホールでは柵のかわりに樽がいくつか置かれており、バナナホールの名物とも言われた。時にはステージに立つミュージシャンがこの樽の上に乗り、パフォーマンスを繰り広げた。 2007年(平成19年)9月17日に閉館し、約26年間の歴史の幕を閉じたが、2017年(平成29年)4月1日、旧ホールと同じ北区堂山町地内の別の場所に移転して再オープン、約9年半ぶりに復活した。なお現在、旧ホール跡地にはライブハウスの『umeda TRAD』(旧:umeda AKASO)が建っている。 1981年(昭和56年)12月 –

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キミオアライブ – Wikipedia

『キミオアライブ』は、恵口公生による日本の漫画。『月刊少年マガジン』(講談社)2019年11月号より連載開始、作者急逝のため未完・絶筆のまま2020年9月号の掲載分で終了した。 目標を書く「夢ノート」をつけていた高校1年生の長谷川君生がYouTuberとして同級生を巻き込んで夢をかなえていく物語。 YouTuberの主人公の漫画がまだなかったとき編集者の提案により、その職業にネガティブなイメージが多いから挑戦しようとして生まれた[1]。 単行本第1巻が発売された2020年4月16日は新型コロナウイルス感染症の流行による緊急事態宣言下であり、書店が営業時間短縮、または休業したことと、まだあまり知られていない新人ということもあって発売初週の売り上げが厳しい状況で、全3巻での終了を編集部から告知されてしまう[2][3]。恵口もその判断に一定の理解を示し、終了するかは同年8月の第2巻発売の初週売上で決まることとなった[3]。しかし、どうしても納得がいかない恵口と担当編集者は経緯をTwitterに投稿、読んでもらえる機会を失ったまま反省すべき箇所も正確にはつかめないまま終わってしまうと言い、終了を回避するためにTwitter上で作品やキャラクターを紹介するなど販促活動を開始。また、Twitterを調査することにしたものの、予算が出なかったため有料のツールは使わず、毎日決まった時間にツイートのスクリーンショットをとり、どの時間に何のツイートが伸びたか、フォロワーが増えたタイミングを徹底的に測った[2][3]。それにより4月と比べて7月にはフォロワー数が約4倍、実店舗総売上約3.5倍、Amazon売上約5倍、kindle売上約6倍、Amazonレビュー数約10倍と大きく伸ばした[2][3]。 7月の時点で連載終了を回避したわけではなく、第2巻の発売まで死にもの狂いで頑張ろうと担当編集者とお互いを励まし合ったが[2][3]、その矢先の8月17日に恵口は緊急入院、2日後の同月19日に急死した[4]。入院した日は単行本第2巻発売日であった。 2020年9月号に掲載された話が最後となった。同年12月発売の単行本第3巻は未掲載だった第12話のネーム、Twitterに投稿された漫画やイラストが収録され、紙版は先着1万人へプレゼントする形となり、電子版は第2巻に追加収録、購入済みの読者が無料でダウンロード可能[5]。 恵口の家族によると、恵口は本作のキャラクター作りに思い入れがあり、主人公と自分を重ねたかはわからないが、描き続けるにつれて重なってしまったのかもしれないとし、本作で描きたかったのはヒューマンストーリーで、徐々に登場人物の成長物語にしていきたかった、色々膨らませていくつもりで伏線を張り、回収も上手だったという。また、恵口の母は連載打ち切りの危機から巻き返しを図るためTwitterに掲載したショート漫画が大きな反響を呼んだことで「バズる」ということを経験し、書店の従業員が本作の話題で盛り上がっていたことが震えるほど嬉しかったという。恵口の姉は恵口が描いた本を買うことが快感だったといい、主人公と同じく好きなことで生きていたいというのが恵口の人生のテーマで、自分のやりたいことを貫き夢を叶えたとしている[1]。 書誌情報[編集] 外部リンク[編集]

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馬場愿治 – Wikipedia

馬場 愿治 生誕 1860年10月8日陸奥国大沼郡西川村大登[1] 死没 (1940-11-13) 1940年11月13日(80歳没)東京府渋谷区広尾[1] 出身校 東京大学法学部 職業 控訴院長大審院部長中央大学学長 配偶者 成子 馬場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日(万延1年8月24日) – 1940年(昭和15年)11月13日)は、日本の裁判官。大審院部長で退官後、中央大学学長を務めた法学博士である。 目次 1

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メタボリズム – Wikipedia

メタボリズムは、1959年に黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動。新陳代謝(メタボリズム)からグループの名をとり、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。 彼らの構想した将来の都市は、高度経済成長という当時の日本の人口増加圧力と都市の急速な更新、膨張に応えるものであった。 彼らは、従来の固定した形態や機能を支える「機械の原理」はもはや有効的でないと考え、空間や機能が変化する「生命の原理」が将来の社会や文化を支えると信じた[1]。黒川紀章や菊竹清訓らの都市・建築計画では、無数の生活用ユニットが高い塔や海上シリンダーなどの巨大構造物に差し込まれており、古い細胞が新しい細胞に入れ替わるように、古くなったり機能が合わなくなったりした部屋などのユニットをまるごと新しいユニットと取り替えることで、社会の成長や変化に対応しこれを促進することが構想された[要出典]。 都市規模の巨大構造体(メガストラクチャー)を志向しがちなメタボリズム・グループの作品は、しばしば技術官僚的と評された[要出典]。 メタボリズム・グループの起源は、1950年代の終わり頃にある。モダニズム建築を主導してきたCIAM(Congrès International d’Architecture Moderne・シアム・近代建築国際会議)が1956年を最後に開かれなくなり1959年に終焉した頃、CIAMの若手メンバーらによる新しいグループ・Team X(チーム・テン)が台頭し、世界の若い建築家らに影響を与えた。日本の若手建築家達も彼らと交流し、その影響を受けた。 1960年に、日本で世界デザイン会議 (World Design Conference) が開かれる予定になっていたが、この会議のプランニングに関わった建築家達(浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、粟津潔、槇文彦)と建築評論家の川添登は、建築の将来について話し合うグループを結成した。世界デザイン会議において、彼らは最初の宣言である『METABOLISM/1960 – 都市への提案』を発表し、「海上都市」「塔状都市」「新宿ターミナル再開発計画」など成長し、新陳代謝する巨大都市のアイデアを披露した。彼らのアイデアは、将来の社会を具体的に提案しようとしたもので、建築のみならず哲学など広く近代文明にも言及するものだった。 これら巨大都市計画は実現しなかったが、個々のメンバーは建築にその思想を適用していった。黒川紀章の中銀カプセルタワービル(1972年)は、その一例である。 1970年の大阪万博では彼らは会場計画・建築計画に共同で携わった。大阪万博を最後に、彼らの活動は分岐していった。 ^ ポンピドーセンター

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渡辺本治 – Wikipedia

渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)4月18日[1] – 1961年(昭和36年)3月14日[2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県[1][2][3]、後の西条市の農家に生まれる[4]。10歳で父が死去し、商店や銅山で働き、17歳の時に一家で九州に移った[4]。 1925年(大正14年)中島炭鉱に入社し採炭作業に従事[1][4]。1933年(昭和8年)熊ヶ畑炭鉱(山田市)を開鉱[3]。1936年(昭和11年)篠谷炭鉱(二瀬町)を開鉱[3]。その後、伊岐須鉱・後牟田鉱(二瀬町)、赤間鉱(宗像町)、古月鉱(鞍手町)、稲築鉱、水江鉱などを経営し、渡辺鉱業社長、渡辺商事社長となる[1][2][3][4]。1947年(昭和22年)小倉硝子工業を設立し社長に就任[1][2]。その他、伊予製紙取締役社長、日本石炭鉱業連合会常任理事、北九州石炭鉱業会顧問、福岡地方裁判所飯塚支部調停委員、飯塚区検察庁司法保護委員なども務めた[2][4]。 民主党嘉穂支部顧問であったことから国政選挙への出馬を薦められても断り実業に専念していたが[3]、1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙で福岡県第2区から自由民主党公認で出馬して初当選し[3][5]、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙でも再選され[3][5]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、自民党幹事[2]、衆議院商工委員などを務め、炭鉱離職者対策臨時措置法の制定など石炭政策立案に尽力した[4]。1960年末から病となり、1961年2月に入院したが、同年3月、在職中に死去した[4]。 また、福岡県下、西条市の公共福祉施設に多くの寄付を行った[4]。 ^ a b c d e 『人事興信録 第20版 下』わ38頁。 ^ a

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マルタ・トレホン – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はトレホン、第二姓(母方の姓)はモヤです。(Template:スペイン語圏の姓名) マルタ・トレホン 名前 ラテン文字 Marta Torrejón Moya[1] 基本情報 国籍 スペイン 生年月日 (1990-02-27) 1990年2月27日(32歳)[1] 出身地 カタルーニャ州バルセロナ県マタロー 身長 171cm[1] 選手情報 在籍チーム FCバルセロナ

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岸本ゆめの – Wikipedia

岸本 ゆめの(きしもと ゆめの、2000年4月1日 – )は、日本の歌手、アイドルであり、ハロー!プロジェクトに所属するつばきファクトリーのメンバー。メンバーカラーはイエロー。 大阪府出身。血液型B型。身長166.5cm[1]。アップフロントプロモーション所属。 ハロプロ研修生加入前は、子役として活動していた。 2012年 2013年 2014年 3月 – 6月、『Berryz工房デビュー10周年記念コンサートツアー2014春〜リアルBerryz工房〜』に、田口夏実、小川麗奈、一岡伶奈、井上ひかる、船木結とともに帯同[7]。 5月4日、『ハロプロ研修生 発表会2014〜春の公開実力診断テスト〜』にてBerryz工房(菅谷梨沙子)の「REAL LOVE」を披露し、「審査員特別賞(キャラクター部門)」を受賞[8]。 9月 – 12月、『℃-uteコンサートツアー2014秋〜モンスター〜』に、浜浦彩乃、小川麗奈、一岡伶奈、加賀楓とともにチャレンジアクトとして帯同[9]。 2015年

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ジェームス小野田 – Wikipedia

ジェームス小野田(ジェームスおのだ、本名:小野田 安秀(おのだ やすひで)、1959年11月8日 – )は、日本のミュージシャン、歌手、俳優。神奈川県川崎市出身。川崎市立工業高等学校・文化学院建築科卒業。株式会社インターナショナル・カルチャー所属。米米CLUB、J.O.PROJECTのメンバー。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ジェームス小野田” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年10月) 文化学院時代に大久保謙作と米米CLUBを結成。1982年に石井竜也の勧めでバンドとしての音楽活動を本格化。以後、米米CLUBの中心メンバーの一人として芸能活動を行う。また本名名義でミュージカルに出演するなど、俳優や声優としても活動しており、米米CLUB解散後は舞台活動が中心となっている。 米米CLUBとしての活動時は、ビジュアル系で、奇抜な衣装や被り物、着ぐるみやメイクが特徴となっている。メイク顔を専門に集めた写真集『KAO’S』やジェームス小野田の週めくりカレンダーなど、そのビジュアル面は米米CLUBの代名詞のひとつとなっており、そのアートワークは後にきゃりーぱみゅぱみゅにも影響を与え、きゃりーぱみゅぱみゅ本人から尊敬されている。 メイク姿の強面が印象的であるが、素顔にサングラスあるいはメガネだけの姿で登場することもある。また小野田本人は気さくで柔和で律儀な性格であり、文化学院卒業後建築士1級取得、米米クラブ再結成前のソロ活動時代に宅建の資格も取得している。 2013年に自身の名を冠につけた音楽プロジェクトJ.O.PROJECTを結成。持ちネタとして山本リンダの歌を唄うことが多い。好きな映画はホラー映画、趣味は書道。好きな音楽はジャズ、ソウルミュージック。アルバムPhiにある紅い人の作詞作曲をしている。 ソロライブやJ.O.PROJECTなどのライブで米米CLUBの楽曲を歌唱する際には、自身のリードヴォーカルによる曲だけでなく、『Shake Hip!』『浪漫飛行』『君がいるだけで』など石井のリードヴォーカルによる代表曲のカバーを披露することがある。

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西義一 – Wikipedia

この項目では、陸軍大将について説明しています。声楽家については「西義一 (声楽家)」をご覧ください。 西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 – 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。 福島県出身。旧会津藩士・西忠義の長男として生れる。忠義は日高地方の開発に功績を挙げたことで生祀され[1]、また臨時帝室編修局嘱託を務めている。弟の西義顕は満鉄社員で、犬養健、松本重治らと汪兆銘工作を行った[2]。西は稚松会の評議員である[3]。 栃木中学校を経て、1898年11月、陸軍士官学校(10期)を卒業し、翌年6月、砲兵少尉任官。1902年12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。陸士生徒隊付、第7師団弾薬大隊付を歴任。日露戦争では第2師団後備野砲中隊長として出征した。 1909年12月、陸軍大学校(21期)を卒業し、陸軍野戦砲兵射撃学校教官、野砲第11連隊大隊長、東宮武官、侍従武官、野戦砲兵射撃学校教育部長、欧州出張などを経て、1923年8月、陸軍少将に進級した。野戦重砲兵第3旅団長を務め、1928年8月、陸軍中将となり、陸軍技術本部総務部長、陸軍野戦砲兵学校長を経て、1931年8月1日付辞令により第8師団長の職に補され、同日、陸軍技術会議議員の職務を解かれた[4]。翌1932年4月から1934年1月まで満州で活動した。1934年11月22日発表の論功行賞において、功二級勲一等旭日大綬章、元第八師団長、中将(官等は同年4月29日現在)として掲載され、合わせて殊勲甲の特賞を受賞したことが新聞各社の号外等により報道された[5]。東京警備司令官を務め、1934年11月、陸軍大将となり、東部防衛司令官を兼務した。軍事参議官在任中に、二・二六事件が発生。その後の粛軍人事でも現役として残り教育総監に就任したが病を得[6]、1936年8月、予備役に編入された。 位階 勲章 ^ 日高実業協会『西忠義翁徳行録』 ^ 畠山清行『陸軍中野学校』(サンケイ新聞社、1967年)p.99 ^ 『財団法人 稚松会名簿』1937年 ^

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かげふみさん – Wikipedia

『かげふみさん』は、小路啓之による日本の漫画作品。『Webコミック幻蔵』(幻冬舎コミックス)において2007年5月号から2009年2月号まで連載。尾行対象の影を踏めるほど近付いても気付かれない特殊能力の持ち主、通称「かげふみさん」を主人公に、暗殺ビジネスにまつわるドラマを描いた作品。読者は主にめぐみの視点で、対象人物が命を狙われる理由に肉薄していく。人の命を対象にしながらも決して過度に重苦しくはならず、スピーディな展開、洒落の効いた軽妙な会話、レトロながらどこか未来的なファッションや町並み、それぞれにこだわりを持ったどこか異常な対象者・依頼者・殺し屋などが作品を多彩に飾る。エピソードごとの扉絵ではめぐみのが手でタイトルの動物の影絵を作っている。 ストーリー[編集] めぐみのメグは存在感が極端に希薄であるという能力の持ち主で、ひとたび群衆に紛れると個体識別がほぼ不可能になる。その才能を生かしてめぐみのは殺し屋からの依頼を受け、対象の人物に張り付いて行動を調査する仕事を請け負っている。ただしめぐみのには物事に関心を持つと、その理由や結末を知って納得するまで鼻血が止まらなくなるという強迫観念の持ち主でもあり、尾行対象の人となりを解き明かすことにたびたび没頭することになる。 登場人物[編集] めぐみのメグ 「かげふみさん」と呼ばれる尾行のプロフェッショナル。小柄な体に短い金髪、ショートパンツ&カエルがモチーフの靴がトレードマーク。尾行対象の目の前に立ってもその存在に気付かれないという能力の持ち主。ただし存在を信じて意識を集中すれば見破れる事もあり、また物理的に消えているわけではないので監視カメラ等には姿が映る。調査対象者の情報を殺し屋に渡すことを仕事にしている。何かが気になり始めると、納得するまで不安で鼻血が止まらなくなるという強迫観念に悩まされている。姿が見えない為、アパート等の契約がままならず、ホテルで暮らしている(幽霊扱いされているが)。 がじゅ丸(がじゅまる) 名刺での綴りは「我呪丸」。行動心理学を研究している明和大の院生。毎朝一回、道具でする人。眉がない上に色付きメガネで悪目立ちするため尾行調査には不向きで、メグに協力を要請する。その代わりに彼氏を見つけてあげる約束をしている。調査対象の一見不可思議な行動をそれらしく説明する事がある(メグは“師匠”と呼んでいる)。しかし、がじゅ丸が必ずしも真実を言い当てているとは限らない。“普通の人間”を探しているようだ。 一発屋カン太(いっぱつや カンた) スナイパー。標的を絶対に外さないという自負から、弾を1発しか持たない。 華の子のルソルソ(はなのこの ルソルソ) 毒の花を相手に突き立てる殺し屋。普段は花売り娘として生活している。メグ曰く『耳にエロ垢が溜まっている』。父親であるカイザーセゾに殺害される。月に一回、道具を使わないでする派。 名前の元ネタは花の子ルンルン。[要出典] キリコ(漢字では“切離子”) 四十七の刃物を武器とする殺し屋で、「元」虎の会会員。メグと同じく“かげふみさん”であるが、なぜかメグ以外には半透明に見える。幼少期、アナーキーな母親のもとで育つ。父親は既に死んでいるらしい。ペッツの入れ物を「ぴえぴえ」と呼んで会話していた。単なるメルヘンだと思いきや、実際は「かげふみ」のぴえぴえパパが影で喋っていた。以降の経歴は判然としないが、ひょんなことでがじゅ丸らと知り合い、何故かがじゅ丸を気に入る。 カイザーセゾ 虎の会会員。伝説的な殺し屋。出で立ちはどこにでもいるサラリーマン風のおっさんだが、その実は冷徹なキリングマシーン。殺す寸前に、相手から「最後に言い残す言葉」を聞き、それを録音するのが慣例。ルソルソの実の父親だが、その彼女すらも躊躇いなく殺害している。がじゅ丸の見立てでは、「人間嫌いな孤独な人」らしい。武器は銃など。再来年には五十路になる。口臭を気にしている。 名前の元ネタはユージュアル・サスペクツのカイザーソゼ。[要出典]

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