Month: May 2018

チョコレート・デリンジャー – Wikipedia

『チョコレート・デリンジャー』は吾妻ひでおのギャグ漫画作品。『月刊プレイコミック』(秋田書店)1980年6月号から1982年7月号まで連載された。全26話。 非常識極まりない美少女探偵チョコレート・サンデーと、その助手で人間離れした怪人の三蔵が、さまざまな事件を解決したりしなかったりする。 主な登場人物[編集] チョコレート・サンデー 本作の主人公。通称チョコ。私立探偵。「チョコレート・デリンジャー探偵事務所」[1]の所長。得意の武器は、不法所持している36連発のレミントンダブルバレルデリンジャーだが、まともに的に当てたことはなく、狙ってないものにはよく当たる。なお、「36連発」が構造的にありえないことは作中でも突っ込まれているが、チョコ本人は「だってそうなんだもん」の一言で済ませている。非常識かつ自由奔放で、つかみどころのない性格。猟奇殺人が好きで、退屈なときは自分で起こそうとする。事件をまともに捜査・解決したことはほとんどなく、結果的に警察の仕事を増やしてばかりいる。 第1話で皿漫田警察を乗っ取って自分の事務所にしてしまい、しばらく居候を続けていたが、第17話で独立しマンション内に事務所を開く。 三蔵 チョコの助手。常に黒眼鏡をかけた、つるっぱげで背が低く太った中年の怪人。数々の人間離れした能力を持ち、常時謎の行動をとっている。 既婚者で、妻との間に息子と娘が一人ずついる。家庭では常識人で、ごく平凡なサラリーマンを装っており、家族には課長だと説明している。しかし、ときどき奇行に走っては妻を困惑させている。そっくりの伯父がいる。 エピソードによっては主人公のチョコよりも目立っている[2]。 スター・システムで他の吾妻作品にも登場する。 砂苦刑事 皿漫田警察の刑事。本作の突っ込み役。生真面目な常識人で、チョコと三蔵の非常識な言動に日夜悩まされている。ただし、心の奥底ではチョコに好意をもっている様子がある。 第2話で妻がいることが明らかになっているが、作中では登場しない。 ハニー・甘納豆 第21話から登場。私立探偵でチョコのライバル。マンションのチョコの事務所の隣に入居して「ハニー・甘納豆探偵事務所」を開く。チョコを「先輩」とおだてあげながら毒づくなど、やや陰険な性格。チョコとは何かといがみあっているが、趣味や性格はチョコとほとんど同じであり、そのため意気投合することも多い。胸はチョコより少し大きい。愛犬のベスを飼っている。 しっぽがない 第10話以降、何の脈絡もなくしばしば登場する、二本足で歩行するトカゲのような生物。常に先の切れたシッポを前足で抱え、自分のシッポを探している。他の吾妻作品にもしばしば登場する[3]。 吾妻は本作について、2008年に青林工藝舎より単行本が復刻された際の「あとがき」で、「意味判らん」「中身が濃いというより独り善がりで説明不足」「「起」のコマからいきなり「結」のコマに飛んでしまっていて 間の「承」「転」が抜けてしまってるんですな」と評している。

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非可換類体論 – Wikipedia

数学において、非可換類体論(ひかかんるいたいろん、英: non-abelian class field theory)は、類体論の結果、任意の代数体 K のアーベル拡大についての比較的完全で古典的な一連の結果の、一般のガロワ拡大 L/K への拡張を意味するキャッチフレーズである。拡大の群が可換な場合の理論である類体論は1930年頃には本質的には知られるところとなったが、それを非可換の場合に拡張する理論は、まだ誰もが認める確定した定式化には至っていない[1]。 群コホモロジーのことばで類体論を表すことは、主に1940年代に、クロード・シュヴァレー (Claude Chevalley) やエミール・アルティン (Emil Artin)、他の数学者により進められ、イデール類群の群コホモロジーを用いた中心的な結果の定式化に至った。コホモロジー的アプローチによる定理は、L/K のガロア群 G が可換か否かに依存しない。しかしこの理論は、求められている非可換の理論とは決して見なされていない。このことの第一の理由は、コホモロジーの理論がガロワ拡大における素イデアルの分解に関して新たな情報をもたらさなかったことである。非可換類体論の目標を説明する一般的な方法は、そのような分解の法則を述べるより明示的な方法を提供するべきであるということである[2]。 したがって、コホモロジー的アプローチは、非可換類体論の定式化においてさえ、あまり役に立たない。歴史的には、ディリクレ級数を使わずに、言い換えると L

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眉間反射 – Wikipedia

眉間反射(みけんはんしゃ、glabellar reflex)とは、眉間を軽く叩くことで誘発される原始反射である[1]。 被験者は眉間を叩かれるとまばたきする。正常であれば、数回繰り返されると刺激に慣れてまばたきしなくなる。繰り返されてもまばたきが止まらない場合は異常であり、これはマイヤーソン徴候と呼ばれる前頭葉解放徴候(英語版)の一つである。パーキンソン病の人によく見られる[2][3]。 眉間を叩かれると、求心性(英語版)の感覚信号が三叉神経から脳幹に伝えられる。そして、遠心性(英語版)の信号が顔面神経を介して眼輪筋に伝達され、眼輪筋が反射的に収縮することでまばたきが起こる。 この反射は、ロシア出身の臨床神経学者ロバート・ワーテンベルグ(英語版)によって初めて確認された[4]。 ^ Talley, Nicholas (2018). Clinical examination : a systematic guide to physical diagnosis. Chatswood, N.S.W: Elsevier

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無人の家で発見された手記 – Wikipedia

『無人の家で発見された手記』(むじんのいえではっけんされたしゅき、原題:英: Notebook Found in a Deserted House)は、アメリカ合衆国のホラー小説家ロバート・ブロックによる短編ホラー小説。クトゥルフ神話の1つで、『ウィアード・テールズ』1951年3月号に掲載された。神話から遠ざかっていたブロックが、『尖塔の影』に続いて手がけた復帰作品である。 主人公は12歳の少年であり、邦訳も子供の視点・思考・言葉遣いとなっている。東雅夫は『クトゥルー神話事典』にて、「少年の一人称独白体という、神話作品としては珍しいスタイルで書かれている。サスペンスを盛り上げる手腕には、後年のスリラー作家としての才能の片鱗が示されているといえよう」と解説している。[1] アメリカインディアンの土俗信仰と、ヨーロッパのドルイドと、クトゥルフ神話のシュブ=ニグラス信仰を融合して作品に仕上げている。シュブ=ニグラスに加えて、ショゴスの作品でもあるが、名前通りにショゴスとは言い切れず、特殊な扱いとなっている。作中で「ショゴス」と呼ばれている怪物を原型に、後にクトゥルフ神話TRPGにて「(シュブ=ニグラスの)黒い仔山羊」が誕生する。 ブライアン・ラムレイは、少年時代にこの作品を読んだことがきっかけでクトゥルフ神話に傾倒し[2]、後に作家となった。 あらすじ[編集] ルーズフォードの丘には呪われた伝説があり、住人が姿を消して二度と戻って来ないこともある土地であった。ウィリー・オズボーンは、祖母を亡くし、ルーズフォードの丘に住むおじのフレッド夫妻に引き取られる。1年が経過し、10月になると、ウィリーは「しょごす」と聞こえるような謎の怪音や、悪臭を感じるようになる。また「山羊の蹄」のような、粘液と悪臭を帯びた巨大な足跡も見つける。ウィリーは悪夢に魘されるようになり、夢にはその怪物が姿を持って現れる。ウィリーは神話の本から、ヨーロッパのドルイドを連想する。インディアンの伝承で「白い神が海からやってきた」とされている話は「舟に乗ってきた白人ドルイド」という説を受けて、ウィリーはドルイドが樹木の霊を呼び出して生贄を捧げているのではないかという推測に至る。 10月25日の雷雨の日、親戚のオズボーンが泊まりに来ると聞いて、フレッドおじさんが馬車で駅まで迎えに行く。だが待っても戻らず、夜に無人の馬車が帰ってくる。翌日には馬も死んでしまう。ルーシーおばさんは、逃げ出すための荷造りをするが、姿を消す。さらに井戸の水が緑色の粘性あるものに変わる。 木曜日、10月31日のハロウィンの日、家にオズボーンがやって来る。初対面の彼は「25日は仕事で来れなかった、電報も駅止めで届いていなかったのだろう」と語る。ウィリーはこの家から逃げようと訴えるが、オズボーンは大人の言い分で引き留める。ウィリーはオズボーンを偽物と見抜き、振り切って、郵便屋のじいさんと逃げ出す。しかし馬車の行く手を木の化物が遮り、馬車は事故を起こし、ウィリーは投げ出される。 途方に暮れたウィリーは、牛を殺して祭壇に捧げる、不気味なサバトの光景を目撃する。ウィリーは逃げ回るが、家に戻ってきてしまう。ウィリーは家に入り、板と釘でドアや窓を封鎖する。オズボーンの声が聞こえ、しかも複数人の気配を感じ取る。ウィリーは手記を記録し「井戸や祭壇を調べてください」と書き残す。何かが家を揺さぶり、ウィリーの手記が途切れる。 最終的に、無人の家で手記が発見される。 主な登場人物・用語[編集] ウィリー・オズボーン(ぼく) – 語り手。12歳の少年。両親を亡くして祖母と2人で暮らしていた。学校に行ったことがない。本作は全編彼のモノローグで語られる。

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鳥脇純一郎 – Wikipedia

鳥脇 純一郎(とりわき じゅんいちろう、1939年7月20日 – 2017年10月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。国際パターン認識連盟副会長や、コンピュータ支援画像診断学会会長を務めた。 人物・経歴[編集] 愛知県知多郡生まれ[1]。1962年名古屋大学工学部電子工学科卒業[2]。稲垣康善は研究室の同期[3]。1964年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻修士課程修了。1967年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻博士課程単位取得退学、名古屋大学工学部電子工学科助手[2][4]。1968年名古屋大学工学博士[2][5]。1974年名古屋大学大型計算機センター助教授。1980年豊橋技術科学大学工学部情報工学系教授。1983年名古屋大学工学部電子工学科教授。1994年名古屋大学大型計算機センター長。1994年名古屋大学大学院工学研究科情報工学専攻教授[2]、国際パターン認識連盟副会長、コンピュータ支援画像診断学会会長。1995年名古屋大学工学部情報工学科長、文部省学術審議会専門委員。1997年名古屋大学大学院工学研究科教授[1]。2001年画像電子学会会長[1]。2003年中京大学情報科学部教授[2]、名古屋大学名誉教授[2][4]。2017年正四位瑞宝中綬章[1]。IEEEフェロー。日本コンピュータ外科学会副会長、日本バーチャルリアリティ学会評議員、画像情報教育協会評議員、全国大学理工系情報学科協議会会長なども務めた[2]。指導学生に末永康仁名古屋大学名誉教授など[6]。 『画像理解のためのディジタル画像処理 1』昭晃堂 1988年 『画像理解のためのディジタル画像処理 2』昭晃堂 1988年 『パターン認識と画像処理』朝倉書店1992年 『認識工学 : パターン認識とその応用』コロナ社 1993年 『ヒューマンインタフェースと画像処理』コロナ社 1995年

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斎藤桃太郎 – Wikipedia

この記事の出典や参考文献は、一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼っています。信頼できる第三者情報源とされる出典の追加が求められています。出典検索?: “斎藤桃太郎” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年3月) 斎藤 桃太郎(さいとう ももたろう、1853年9月15日〈嘉永6年8月13日[1]〉 – 1915年〈大正4年〉12月26日)は、日本の宮内省官僚。宮中顧問官。東京府士族、旧幕士[1]。 幕臣斎藤栄の子。昌平黌で学ぶ。 当初、外務二等属として働くが、1883年(明治16年)7月、宮内省御用掛に転じる。以後、式部官、左大臣秘書官、宮内書記官、宮内大臣秘書官、有栖川宮家令、東宮大夫、等を歴任する。この間、能久親王葬儀掛、島津忠義葬儀掛、東宮御婚儀御用掛なども務めた。1905年(明治38年)1月には、帝室会計審査局長官に就任し、同職在任中に、昌子内親王御婚儀御用掛、常宮御用掛、竹田宮御用掛、富美宮御用掛、朝香宮御用掛、宗秩寮審議官、大喪使事務官、有栖川宮家務監督などを兼勤する。1914年(大正3年)7月、長官を免官となり宮中顧問官に任じられたが、翌年の12月に薨去し正三位に叙された。 位階 勲章等 外国勲章佩用允許 斎藤桃太郎『英皇即位六十年祝典參列日誌』、1897年。

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長尾村 (兵庫県川辺郡) – Wikipedia

長尾村(ながおむら)は、かつて日本の兵庫県川辺郡に存在した村である。なお兵庫県には川辺郡の他に有馬郡にも同名の長尾村(現在の神戸市北区長尾町)があった。 1940年(昭和15年)1月時点では北を西谷村(川辺郡、以下同じ)、東を川西町、南を稲野村、西を小浜村と接していた。分村が行われる直前の1955年(昭和30年)1月時点では小浜村が町制施行した宝塚町が武庫郡良元村と合併して宝塚市に、稲野村は伊丹町と合併して伊丹市に、川西町が前年に多田村・東谷村と合併して川西市となっていた。長尾村が宝塚市に編入された4日後の3月14日には、西谷村も同市に編入されている。 村役場は山本の現宝塚市立長尾中学校近くにあった。1975年(昭和50年)に山本の一部で住居表示を実施した際に長尾町が置かれ、地名としての「長尾」が復活している[1]。伊丹市側には北野1丁目に長尾公園や市営長尾住宅など「長尾」を冠した施設が存在する。 大字[編集] 北部地域は現在の宝塚市東部、南部地域は現在の伊丹市北西部に該当する。 北部(現宝塚市域) 上中筋 – 現在の中筋1〜4丁目、中筋山手、大字中筋。 下中筋 – 現在の中筋5〜8丁目、今里町(6番地以降)。 中山寺 – 現在の中山寺、今里町の一部(1〜5番地)。 中山荘園は旧西谷村切畑の一部(飛地)。 山本 – 現在の山本東、山本西、山本中、山本南、山本台、長尾町。 大半が伊丹市に帰属した大野新田の一部は水利権を理由に山本へ編入された。

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