大塚久雄 – Wikipedia
大塚 久雄(おおつか ひさお、1907年(明治40年)5月3日 – 1996年(平成8年)7月9日)は、日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた[1]。 1907年京都府生まれ[2]。京都府立京都第一中学校(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)卒業後、旧制第三高等学校入学。このとき、片足を負傷し、後に切断することになる。1930年、東京帝国大学経済学部卒業[2][3]。大学では本位田祥男や内村鑑三に師事した。法政大学非常勤講師(1933年)、同大助教授(1935年)、同大教授(1938年)、東京帝大経済学部助教授(1939年)[4]を経て、1947年同大学教授、1968年から同大学名誉教授[1]。日本学士院会員(1969年)、勲二等旭日重光章(1977年)、文化勲章(1992年)を受ける[1]。1996年7月9日午前4時42分、老衰のため東京都練馬区の自宅で死去した[1]。大塚久雄氏の蔵書は,大塚久雄文庫として福島大学付属図書館に収納されている。 研究内容[編集] マルクス経済学とウェーバー社会学を基礎に「近代」を担うべき人間について考察を深めた。大塚はイギリスを近代と民主主義のモデルケースと考え、独立自営農民ヨーマンがその発展を支えたとした。小熊英二は、大塚の背景には日本の民主主義が、特にその担い手となる自由で自立した市民が未成熟であったことの反省があるし、大塚が「労働者の自発性と目的合理性」を重視したのは、太平洋戦争時の戦時体制が「過剰統制」と「神かがり主義」により、敗戦を招いたことへの批判にある指摘した(小熊 2002, pp. 91–95)。 この大塚の視座は「大塚史学」と呼ばれ一時代を築くが、その後、日本経済が高度経済成長期に入り、逆にイギリス製造業に陰が見える頃になると、戦前への反省やイギリスの理想視という大塚史学の特徴自体が求心力を失っていった。[要出典] 単著[編集] 『株式会社発生史論』 有斐閣, 1938年/中央公論社, 1959年ほか 『欧州経済史序説』 時潮社, 1938年 『近代欧州経済史序説』
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