早苗 (駆逐艦) – Wikipedia

早苗(さなえ/さなへ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型の3番艦である。

浦賀船渠にて建造され、1923年11月5日に竣工した。当初は第六駆逐艦という艦名であり、1924年4月1日に「第六号駆逐艦」、1928年8月1日に「早苗」へと改名された。

 1941年12月に太平洋戦争が開戦すると、主に船団護衛に従事した。1943年(昭和18年)11月15日、船団護衛のためパラオを出港し ボルネオ島のバリックパパンへ向かったが、セレベス海へ入り、見張り交替の直後の11月18日の深夜、船体の中央付近へ雷撃を受け、さらに 2本の魚雷が早苗に命中。合計3本の雷撃をうけ 昭和18年11月18日 23時46分、北緯4度52分、東経122度7分にて 轟沈に至った。

 この攻撃は米国資料によりアメリカ海軍の潜水艦ブルーフィッシュの雷撃と確認されている。ブルーフィッシュ号は第2513船団を18日の午前に発見し、深夜まで追跡のうえ、攻撃を行ったことが記録されている。海軍少佐:酒井信一 艦長、海軍中尉:飯田貞行 先任将校兼砲術長 以下 大多数が戦死し、救助されたのは3名の水兵長のみであった。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』379-380頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  • 若木元次 少佐:1923年5月1日 – 11月5日[1]

駆逐艦長[編集]

  • 若木元次 少佐:1923年11月5日[1] – 1924年12月1日
  • 杉山六蔵 少佐:1924年12月1日 – 1925年10月20日
  • 勝野実 大尉:1925年12月1日 – 1926年12月1日 同日より予備艦
  • 野末信次郎 少佐:1926年12月1日[2] – 1927年3月15日[3]
  • (兼)藤田俊造 大尉:1927年3月15日[3] – 12月1日[4]
  • 橋本象造 少佐:1927年12月1日 – 1928年12月10日[5]
  • 板垣盛 少佐:1928年12月10日 – 1929年11月1日[6]
  • 橘正雄 大尉:1929年11月1日[6] – 1932年11月15日
  • 福岡徳治郎 大尉:1932年11月15日 – 1934年5月25日
  • 大迫東 大尉:1934年5月25日[7] – 1934年9月29日[8]
  • 矢野寛二 少佐:1934年9月29日[8] – 1936年12月1日[9]
  • 吉井五郎 少佐:1936年12月1日 – 1938年7月25日[10]
  • 柴山一雄 大尉:1938年7月25日 – 1939年1月20日[11]
  • 柳瀬善雄 少佐:1940年10月15日 – 1941年4月15日[12]
  • 小川陽一郎 大尉:1941年4月15日 – 1941年10月1日[13]
  • 小泉四郎 少佐:1941年10月1日 –
  • 長倉義春 大尉:1942年10月25日 –
  • 酒井信一 大尉:1943年10月20日 – 11月18日戦死

関連項目[編集]

参考文献[編集]