ギジェルモ・バロス・スケロット – Wikipedia

ギジェルモ・バロス・スケロット(Guillermo Barros Schelotto (スペイン語発音: [ɡiˈʎeɾmo ˈβaros eskeˈloto]; イタリア語: [skeˈlɔtto], 1973年5月4日 – )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラプラタ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。双子のグスタボ・バロスケロットもサッカー選手である。現在はパラグアイ代表の監督を務めている。

地元のクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタでキャリアをスタートさせると、1997年にボカ・ジュニアーズへ移籍した。4度のリベルタドーレスカップ優勝、2度のトヨタカップ優勝など、2007年の在籍時までにボカの選手として最多の15タイトルを獲得、ボカでは通算302試合87ゴールを記録した。名実共にボカのシンボルとしてファンに愛された。さらに個人通算17タイトルはアルゼンチン人選手として最多記録であり、アルゼンチンサッカー史にもその名を刻む名選手である[要出典]

2007年4月19日、コロンバス・クルーへ二年契約で移籍した[1]
2008年にはメジャーリーグベストイレブン、MLSカップMVP、またメジャーリーグのMVPに選出された[2]。2011年に自身のキャリアスタートクラブであるヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタへ復帰。

38歳でありながら、クラウスーラ2011では19試合で1270分を超える試合出場という体力面での衰えを感じさせないプレーを見せた。

しかし、チームは下位に低迷し、過去3シーズンの獲得ポイントがウラカンと並んで同率17位となり、17位・18位決定戦を行うこととなった。ウラカンに勝利して自動降格は免れたが、ナショナルB 3位のサン・マルティンとの入替戦で2戦合計2-1で敗れ降格が決定した。チームが降格することが決まったが、最後まで精力的に走り続けたギジェルモにファン・カルロス・セッリージョに駆けつけたファンは声援をおくり続けた[要出典]

2012年7月、CAラヌースの監督に就任した。

2016年3月1日、ボカ・ジュニアーズの監督に就任した。

2019年1月2日、ロサンゼルス・ギャラクシーの監督に就任。しかし、2020年10月30日に解任された。

2021年10月20日、同胞のエドゥアルド・ベリッソの後任としてパラグアイ代表の監督に就任した[3]

  • ヒムナシア・ラ・プラタ在籍時の1994年、ヴェルディと国立競技場で試合をした際に三浦知良のプレーが印象に残り、「カズという選手はすごい、ボールの周りで足を手品のようにクルクルさせる」と語り、仲間にその話をしながら真似て見せていた。
  • トヨタカップに来日した際に、新宿のとあるシティホテルにてコーヒー1杯が2000円という値段に激怒し、ウェイターに食ってかかった。

上記の話は『BOCA〜アルゼンチンの情熱〜』(監修:亘崇詞・植田朝日)において語られたものである。

監督成績[編集]

2019年1月2日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ボカ・ジュニアーズ 2016年3月1日 2018年12月9日 7002116000000000000♠116 7001620000000000000♠62 7001310000000000000♠31 7001230000000000000♠23 07001534500000000000♠53.45
ロサンゼルス・ギャラクシー 2019年1月2日 5000000000000000000♠0 5000000000000000000♠0 5000000000000000000♠0 5000000000000000000♠0 !
合計 7002116000000000000♠116 7001620000000000000♠62 7001310000000000000♠31 7001230000000000000♠23 07001534500000000000♠53.45

タイトル[編集]

選手時代[編集]

ヒムナシア・ラ・プラタ
ボカ・ジュニアーズ
コロンバス・クルー
U-23アルゼンチン代表
個人
  • MLS月間最優秀選手:3回(2007年7月、2008年8月、2009年6月)
  • MLSMVP:1回(2008)
  • MLSベストイレブン:2回(2007、2008)
  • MLSカップMVP:1回(2008)

監督時代[編集]

CAラヌース
ボカ・ジュニアーズ

外部リンク[編集]