デーブ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ – Wikipedia

デーブ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ

デーブ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ英語: Dev Shamsher Jang Bahadur Rana、ネパール語: देव समसेर जङ्गबहादुर राणा、1862年7月17日 – 1914年2月20日)は、ネパール王国の政治家、首相。1901年3月5日から6月27日まで、ネパールの首相を務めている。

1862年7月17日、ディール・シャムシェル・ラナの四男として生まれた。

1901年3月5日、兄ビール・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナが死亡し、継承順位に従って四弟のデーブが首相となった[1]

だが、デーブは首相の座に就くと、民衆の声を政治に反映せるばかりか、国王統治下の議会政治を目指すようになった[2]。そのため、ラナ家による独裁を維持しようとする弟たちと軋轢が生じた[3]

首相就任から3ヶ月後、デーブは弟チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナらによって監禁され、このクーデターに恐怖した王によって解任された。その後、ダンクタ、さらにインドへ追放された。

1914年2月20日、デーブはインドで失意のうちに客死した。

  1. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.570
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.570
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.571

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。 

関連項目[編集]

  • ネパールの首相の一覧
  • ラナ家