Month: January 2018

スリーピング・ウィズ・ザ・パスト – Wikipedia

スリーピング・ウィズ・ザ・パスト(Sleeping With The Past)は、1989年に発表されたエルトン・ジョンのアルバム。 70年代を黄金期とする古くからのファンの中では、本作をもってエルトンの復活ととらえる人も多い作品。ソウルミュージックに傾倒した音作りは、ビリー・ジョエルの『イノセント・マン』から影響を受けたという。 初の全英一位シングルとなった「サクリファイス」収録。当初「ヒーリング・ハンズ」のB面だったものを、多数のラジオ局リクエストに両A面で再発売し、初のエルトン名義のシングルセールス一位となった(過去にはキキ・ディーとの連名での「恋のデュエット」が全英一位となっている)。 ジャケットの最後に、パートナーであるバーニー・トーピンへの感謝が記されている。 1998年にシングルB面曲がボーナストラックとして追加収録された。 ダーバン・ディープ – Durban Deep ヒーリング・ハンズ – Healing Hands ウィスパーズ – Whispers 恋人たちの酒場

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愛知県図書館 – Wikipedia

愛知芸術文化センター愛知県図書館(あいちげいじゅつぶんかセンターあいちけんとしょかん、Aichi Prefectural Library)は、愛知県名古屋市中区三の丸一丁目にある愛知県立の公共図書館である。通称は「愛知県図書館」または「県図書」。 愛知県文化会館愛知県図書館[編集] サンフランシスコ講和条約記念として企画されたとされる。コンペにより選ばれた。蔵書は全国有数であったといい、学生の学習の場としても機能していた。1992年10月、再開発により閉館した。跡地にはオアシス21が建てられている。 延床面積は5847平方メートル、地上3階建て(地下1階)、蔵書は閉館時には約68万冊を誇った。 閉架書庫は地下階および、2・3・4階の4フロアーに渡って整備されており、延べ2100平方メートルに及んだ[新聞 1]。また、館外貸し出しを行わなかったため、館内閲覧室として、第一閲覧室(一般および大学生向け自由席206席と男子高校生向け指定席108席)・第二閲覧室(一般および大学生向け指定席236席)・婦人室(女子高校生向け指定席90席)が置かれていた[新聞 1]。また、特徴的な資料として、科学技術・産業・経済関係の専門雑誌など約6000種や社史・有価証券報告書など2万7500冊、特許公報、意匠公報などを備える「産業室」や愛知県内の郷土資料約1万2千冊を備える「郷土室」があった[新聞 1]。 幻の神宮外苑図書館[編集] 1968年(昭和43年)7月には第三セクターの神宮外苑土地開発会社が、名古屋市熱田区の東洋プライウッド・中京倉庫・旭金属・熱田倉庫の敷地の再開発に関して、図書館を設置する計画を立ち上げた[新聞 2]。同社は愛知県も出資しており、のちに、愛知県が同地に3万3千~4万6千平方メートルの敷地に4~5階建ての図書館を整備する構想へと発展した[新聞 2]。目玉として宇宙科学に関する資料を収集し、児童閲覧室の設置(当時の愛知県図書館は児童の入館を許可していなかった)、県下全図書館の蔵書目録をコンピュータ管理するなどの先進的な図書館を構想していた[新聞 2]。 愛知芸術文化センター愛知県図書館[編集] 「県民に開かれた図書館」「資料情報センターとしての図書館」「県内の市町村立図書館へのバックアップを行う図書館」「愛知芸術文化センターの一翼を担う図書館」であるという4つの基本的性格を掲げている。 1947年(昭和22年)1月16日 – 愛知県議会において、「中央図書館建設に関する意見書」が県知事宛に提出される。

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大庭さち子 – Wikipedia

読売新聞社『家庭よみうり』358号(1953年)より大庭さち子 大庭 さち子(おおば さちこ、1904年7月10日 – 1997年3月15日)は、日本の作家。 京都府生まれ。本名・片桐君子。同志社女子専門学校英文科卒。京都華頂高等女学校教師のかたわら小説を執筆。1933年、岬洋子の筆名で「光、闇を貫いて」でサンデー毎日大衆文藝選外佳作。1939年、「妻と戦争」でサンデー毎日大衆文芸入選、同作で直木賞候補。1941年、『妻と戦争』で新潮社文芸賞第二部受賞、「花開くグライダー」で直木賞候補。1942年、「愛翼一心」で新潮社文芸賞第二部候補。戦後は少女小説、海外名作の翻訳・再話などを行った。 妻と戦争 岡倉書房 1940 愛と血の記録 春陽堂 1942 激浪をつく 泰光堂 1942 (新鋭皇民文芸叢書) 花開くグライダー 新小説社 1942

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国鉄タキ5100形貨車 – Wikipedia

国鉄タキ5100形貨車(こくてつタキ5100がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式と同じ専用種別であるタキ5150形についても本項目で解説する。 タキ5100形[編集] タキ5100形は、二硫化炭素専用の30t積タンク車として1956年(昭和31年)1月19日から1979年(昭和54年)12月24日にかけて34両(コタキ5100 – コタキ5133)が三菱重工業(3両)、川崎車輛(20両)、新潟鐵工所(11両)の3社で製作(コタキ5103はコタキ4200からの改造編入車)された。 本形式の他に二硫化炭素を専用種別とする形式は、タ1500形(8両)、タ1600形(5両)、タム200形(117両)、タム5900形(19両)、タサ2200形(1両)、タキ5150形(1両、後述)、タキ10100形(24両)の7形式がある。 落成時の所有者は、大和紡績、日東紡績、東洋化成工業、昭和工業の4社であった。1967年(昭和42年)4月13日に日東紡績所有車1両(コタキ5103)が東洋化成工業へ名義変更された。1977年(昭和52年)3月2日に大和紡績所有車1両(コタキ5100)が四国化成工業へ名義変更された。1992年(平成4年)4月に昭和工業所有車4両(コタキ5130 – コタキ5133)が東レ・ファインケミカルへ名義変更された。1997年(平成9年)4月から1999年(平成11年)6月にかけて13両(コタキ5115 ,コタキ5117 – タキ5120 ,コタキ5122 ,コタキ5123 ,コタキ5128 – コタキ5133)が日本硫炭工業へ名義変更された。 1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃毒36」(燃焼性の物質、毒性の物質、引火性液体、毒性のあるもの)が標記された。 ドーム付き直円筒型のタンク体は普通鋼(一般構造用圧延鋼材)製で厚さ50mmのグラスウール断熱材を巻き、薄鋼板製のキセ(外板)が設置された。荷役方式はタンク上部にある積込み口または液出入管からの上入れ、液出入管と水圧管による上出し式である。液出入管と水圧管はS字管を装備した。

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全量全袋検査 – Wikipedia

全量全袋検査 (ぜんりようぜんふくろけんさ) とは、福島県で食用に生産された玄米の全量に対して福島第一原子力発電所事故の翌年2012年8月から産地主体で[1]実施されている放射性セシウム計測検査である。 福島県の地域ごとに「全量全袋検査場」をもうけ、持ち込まれた玄米30Kg入りの袋すべて(全量全袋)をまずスクリーニング検査し、食品衛生法に定める一般食品中の放射性物質の基準値の半分レベルを超えた袋に関しては、更に時間のかかる詳細検査をおこなう(#検査方法参照)。 2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故由来の放射性物質による汚染が危惧された福島県産のコメ(玄米)について、安全性の確保(基準値を超える玄米は1袋たりとも流通させないこと)により消費者の安心・信頼を得ることを目的とする。 生産者団体、流通事業者、小売事業者、消費者団体及び福島県などで構成される ふくしまの恵み安全対策協議会 (2012年/平成24年5月に設立)が検査結果を公式サイトで公開している[1](#検査結果参照)。 全量全袋検査が始まって3年目、年内(2014年8月21日から12月31日まで)に検査場に持ち込まれた2014年産(26年産)新米は基準値超えゼロとなった[2]。これに続き、2015年、2016年、2017年産の新米も基準値超えゼロとなっている[3]。 2011年(平成23年)に起きた東京電力福島第一原子力発電所事故により放射性物質が飛散した。これによる福島県産の農産物の汚染が危惧されたことから、2011年3月、食品衛生法の規定に基づく放射性物質の暫定規制値(500 Bq/kg)が設定された[4]。 2011年4月、原子力災害対策特別措置法に基づき、福島県における避難区域、屋内退避区域、および土壌濃度が5000Bq/kgを超える地域について、稲の作付制限が課せられた[5]。作付制限されない地域については、作付は制限されないものの、収穫時の検査で玄米が暫定規制値を越えた場合は出荷制限が課せられることとなった[6]。 2011年には、福島県における同年産米の放射性物質モニタリング調査が実施された。具体的には、収穫前の段階で予備調査を行い、収穫後の段階で本調査を行って出荷制限の要否を判断した。また早期出荷米については圃場ごとに調査した。2011年10月12日、すべての地区で暫定規制値(500 Bq/kg)を超えないというモニタリング調査の結果を受けて県内全地域の米が出荷可能とされ、知事が「安全宣言」を出したと報じられた[7]。ところが、「安全宣言」の翌月の11月16日、福島市旧小国村の生産者自身の依頼で検査された玄米から食品衛生法の暫定規制値(500 Bq/kg)を超える630Bq/kgの放射性セシウムが検出された[8](ちなみにこの生産者による米は市場には流通していない[9])[10][11]。検査体制について、検査地点の少なさや決定方法についての問題が浮かび上がり、検査の有効性への不信から、福島の米には市場で買い手がつかない状態になっているといわれるような状況となった[12]。このため、2011年11月16日から平成24年2月3日までの約3ヶ月間、同地区および放射線量が高い地区の農家の生産した米の放射性物質緊急調査を実施。対象となった23247戸中[13]、20037戸(86.2%)は検出せず、2627戸(11.3%)は100Bq/kg以下で出荷見合わせ解除となったものの、545戸(2.3%)は100Bq/kg~500Bq/kgで出荷見合わせ(市場流通からの特別隔離対策対象[14][15])、暫定規制値の500Bq/kg超えは38戸(0.2%)[16][17]。 このときの緊急調査で、土壌中のセシウム濃度が高いからといって収穫された玄米のセシウム濃度が高いとは限らない、むしろ「土壌中の交換性カリウム濃度が極端に低いと玄米のCs濃度が高い」という知見がえられている[18]。 2012年(平成24年)4月1日に、食品衛生法の規定に基づく放射性物質の基準値(100 Bq/kg)が設定される[4]。 2012年の作付制限は、警戒区域及び計画的避難区域、および前年に500Bq/kgの米が生産された地域などについて課せられた[19]。 2012年5月、生産者団体、流通事業者、小売事業者、消費者団体及び福島県などで「ふくしまの恵み安全対策協議会」が設立される。福島の米については、消費者の信頼を取り戻すためにはサンプリング調査では不十分であるとして、早場米が収穫される8月下旬から年末にかけて、全量全袋検査を行うこととなった[20]。2012年8月25日、全量全袋検査の開始式が二本松市で行われた[21]。2012年9月下旬、各地域において検査本格化。検査は各市町村に設置される地域の恵み安全対策協議会が行う[22]。たとえば「福島市地域の恵み安全対策協議会[23]」「須賀川岩瀬恵み安全対策協議会[24]」など。 2011年3月、食品衛生法の規定に基づく放射性物質の暫定規制値(500

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堤かなめ – Wikipedia

堤 かなめ(つつみ かなめ、1960年10月27日 – )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(1期)。旧姓は「吉田」[2]。 福岡県太宰府市出身[3]。出生時の名前は「吉田要」。大野城市立大野南小学校、大野城市立大野中学校、福岡県立筑紫丘高等学校卒業。1983年3月、九州大学文学部英語学英文学専攻卒業。同年4月、国際電信電話(現・KDDI)に就職。1988年に退職[4]。30歳のとき、高校バスケット部の1年下の後輩と結婚[5]。 九州大学大学院で社会学を専攻(修士課程修了)。1993年、九州国際大学講師となり、1998年に助教授、2001年に教授へ昇格。1995年、スウェーデンのカロリンスカ研究所にて客員研究員。2002年、イギリスのサリー・ローハンプトン大学にて客員教授。2005年から2008年にかけて九州女子大学教授を務めた[5]。 大学では主にジェンダー問題の専門家として研究に携わり[6]、1997年に虐待を受けた子どもや女性を支援する「アジア女性センター」を設立。2000年には男女共同参画を推進する「福岡ジェンダー研究所」を設立した[5]。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に、福岡県選挙区(当時の改選数2)から無所属(民主党・社民党推薦)で立候補するも、4番目の得票数で落選。 2011年4月の福岡県議会議員選挙に博多区選挙区(定数3)から民主党公認で立候補し初当選した[7]。2019年の県議選は旧立憲民主党公認で立候補し3選。 2021年衆議院議員選挙[編集] 2021年4月2日、立憲民主党が次期衆院選に向け、福岡5区に堤を擁立する方向で最終調整していることが報じられた[8]。4月17日、正式に出馬表明[6]。10月13日、日本共産党は立憲民主党と競合する22の選挙区で候補者を取り下げる方針を発表[9]。福岡5区では前筑紫野市議会議員の古賀新悟の擁立を予定していたが、古賀は立候補を見送り、野党の候補者一本化が実現した[10]。社民党県連合も堤の推薦を決定した[11]。 同年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。自民党現職の原田義昭との一騎打ちを制し初当選した。原田は比例で重複立候補をしておらず議席を失った[11][12]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では逢坂誠二の推薦人に名を連ねた[13]。 政策・主張[編集] 憲法問題[編集] 憲法改正について、2021年のアンケートで「反対」と回答[14]。 憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のアンケートで「反対」と回答[15]。 ジェンダー問題[編集] 選択的夫婦別姓制度の導入について、2021年のアンケートで「賛成」と回答[14]。 同性婚を可能とする法改正について、2021年のアンケートで「賛成」と回答[15]。

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理論 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “理論” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年9月) 理論(りろん、英: theory、セオリー,  仏: théorie, 独: Theorie)とは、「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系」[1]。自然科学(応用科学含む)、人文科学、社会科学などの科学または学問において用いられている。 理論は事象を合理的に説明するための論述であり特に学問の領域において決定的な意義を持っている。理論の意義は数多く挙げることが出来るが、第一には理論は高度に複雑な現実の世界を単純化することが可能である点を挙げることができる。世界の万象には人間の認知能力を遙かに超えた膨大な諸因子と関係性が関わっており、それら全てを再現することは現実的ではない。従って現実を単純化する必要が認められ、その役割を理論という思考の道具に担わせることになる。つまり現実を完全に再現することではなく、どの程度の説得力を保持した上で理解しやすく現実を原理や法則などとして単純化しているか、ということが理論の本義であると言える。 また自然現象の実験や政策提言のための調査などによって得られた知識を蓄積する上で有効な思考上の枠組みを提供することができる。しかも理論は研究において均衡の取れた総合的な視野を提供し、さらに直感的または感覚的な結論を回避して論理的な説明を行うことが可能である。これは研究調査を行う上で大きな指針である。 加えて現在の学術研究のほとんど全てが何らかの基礎的な理論に基づいたものであり、先進的な研究を理解する上で理論は学問の世界にとってもはや不可欠の存在である。また初心者にとっても理論が確立されていれば学習しやすい点も指摘できる。このように理論の存在価値は学問にとってなくてはならないものであると言うことができる。 理論の基本的な構造はいくつかの科学哲学や論理学の原理に基づいたものである。そもそも理論はその目的に従って、まず因果性や現実性が説得的であり、また現実の事象と比較して簡潔であり、さらに既存の知識や常識とは反する自明ではない結論を導き出し、しかも原因としての独立変数と結果の従属変数を繋ぐ枠組みが明快でなければならない。最後に理論はその真偽を問うことが可能な性質、つまり反証可能性を保持しなければならない。以上の理論の対象となっている事象の重要性や実務的な実践性を加えることもできる。 理論の基本的な構造は論理学的な論証に見ることができる。論証は前提と結論という宣言的な論述から成り、前提から始まって推論の過程を経て結論が真であると主張するものである。これは妥当であるか妥当でないかによって判断される。ただしこの論証を構成する前提と結論はそれぞれ命題という不確かな意味を持たない客観的な言語的な記述であり、その定義によって概念が確立されていなければならない。つまり定義が定められた概念を以って推論することによって、公理や原理を導き出すことが初めて可能となる。

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