Month: June 2019

カラー映画 – Wikipedia

カラー映画(カラーえいが、Color motion picture film)は、モノクロフィルムを使うモノクロ映画(白黒映画)に対して、カラーフィルムを使用し自然のままの色を再現した映画をいう。 「映像に色をつける」という試みはサイレント映画時代の初期から試みられており、当時は1コマ1コマ手作業で着色されていた。 最初期のカラー映画には1906年に発明されたキネマカラーがある。これはカラーフィルムではなく、スクリーンに緑と赤のコマを交互に映すことで色彩を表現するもので、1909年以降は商業映画にも使用されたが色彩の不自然さ等の欠点から定着しなかった。 その後カラーフィルム自体は1916年に二原色式テクニカラーが開発されるが、青や黄色が表現できないなど、やはり色彩再現力が不完全であった。1932年にはそれらの欠点を克服した三原色式の改良版テクニカラーが開発され、ディズニーのシリー・シンフォニー・シリーズの『花と木』で初めて採用される。ウォルト・ディズニーは2年間の三原色式テクニカラーの独占使用契約をテクニカラー社と結んだため、その間他の映画スタジオは二原色式テクニカラーかあるいはシネカラーなどの不完全なカラー・システムの使用を余儀なくされた。1935年には初の全編テクニカラーの長編劇映画『虚栄の市』(ルーベン・マムーリアン監督)が公開され、カラー映画の製作本数は徐々に増えていく。この頃に作られたカラー作品の映画には、『スタア誕生』(1937年)『白雪姫』(1937年)、『ロビン・フッドの冒険』(1938年)、『オズの魔法使』(1939年)、『風と共に去りぬ』(1939年)、『ファンタジア』(1940年)などがある(いずれもテクニカラー作品)。テクニカラーは色の表現力や耐久性で他のカラー・システムを圧倒し、色彩映画の代表格となっていく。第二次世界大戦中から戦後しばらくの間は主にミュージカル映画で活用された。また東側諸国でも第二次世界大戦後、ナチス・ドイツから奪ったアグファカラーフィルムを使い、1949年のソ連映画『ベルリン陥落』などのカラー映画が登場した(余談であるが、小津安二郎はアグファカラーの色彩を好んでおり、『彼岸花』以降のカラー作品にアグファカラーを用いている)。 前述のテクニカラーは光をプリズムに通して分光させ、二原色法ならば赤・緑に、三原色法ならば赤・緑・青にそれぞれ感光させたものを再び合成させて完成プリントを得る方式であり、撮影時にそれぞれ通常の2あるいは3倍の量のフィルムが必要であった。しかし1954年頃には1本のフィルムでカラー撮影が可能なモノパック方式のイーストマン・カラーが実用化され(開発は1930年代半ばから続けられていた)、次第にテクニカラーに取って代わっていく。しかし初期のイーストマン・カラーは複雑な化学処理を伴うために褪色しやすい上に、表現力でテクニカラーに劣っていた。 日本では、天然色活動写真株式会社などで大正時代に作られたキネマカラー(二色映画)を別にすると、短編カラー映画は、1937年に作られた『千人針』が最初である。1945年に『春の歌』も制作が進められた。この2作品はあまり知られることもなかった上に、前者はフィルムは外国産、後者は試作段階の国産フィルムを使用し、特に『春の歌』は作られたことは立証されているもののフィルムが戦災で焼失している。『千人針』のほうは、かなり欠損しているものの、満州に進攻してきたソ連軍に接収されたフィルムが、ロシアのアーカイブに保存されていた。そのため、1951年の松竹大船撮影所製作の『カルメン故郷に帰る』が、日本の最初の長編カラー映画(なお、カラー・システムは国産のフジカラー)であり、「日本の最初のカラー映画」としている文献もよく見かける。なお、日本の最初のカラー特撮映画では『宇宙人東京に現わる』が最初であった。1970年前後まではカラーフィルムは白黒フィルムに比べ格段にコスト高であり、ピンク映画をはじめ、大手作品でも低予算映画の多くは白黒で制作された(黒澤明ら白黒にこだわり続けた映画監督も存在したため、必ずしも白黒映画イコール低予算映画とは限らない)。特にピンク映画の一部は濡れ場のクライマックスのみにカラーを混在させてカラー映画と称したため、これと区別するため「オールカラー」や「総天然色」というポスター表記が使われていた。 1970年代にはカラー映画が主体となり、1980年代以降、モノクロ映画の製作は『シンドラーのリスト』『エド・ウッド』『麻雀放浪記』『黒い雨』『アーティスト』などわずかとなった。これらの作品はフィルム価格や撮影技術などの制限で仕方なくモノクロになったのではなく、モノクロの映像が与える効果を狙って製作者側が意図的にモノクロを選んだものである。 参考資料[編集] 『Glorious Technicolor』 – 『ロビンフッドの冒険』DVD(2枚組スペシャル・エディション)に所収の、テクニカラーおよびカラー映画に関するドキュメンタリー。 外部リンク[編集]

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日本の小説家一覧 – Wikipedia

小説家一覧 > 日本の小説家一覧 日本の小説家一覧(にほんのしょうせつかいちらん)は、日本の小説家の一覧。 時代小説作家は、時代小説・歴史小説作家一覧を参照。 戦記作家は、戦記作家一覧を参照。 架空戦記作家は、架空戦記作家一覧を参照。 官能小説家は、官能小説家一覧を参照。 推理作家は、推理作家一覧を参照。 SF作家は、SF作家一覧を参照。 怪奇小説作家は、怪奇小説作家一覧を参照。 ホラー作家は、ホラー作家一覧を参照。 旅行作家は、旅行作家を参照。 ファンタジー作家は、ファンタジー作家一覧を参照。 児童文学作家は、児童文学作家一覧を参照。 ライトノベル作家は、ライトノベル作家一覧を参照。 ボーイズラブ小説家は、ボーイズラブ小説家一覧を参照。 日本のスペクタクル・アクション作家は、日本のスペクタクル・アクション作家一覧を参照。 目次 あ い

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ナターシャ・オキーフ – Wikipedia

ナターシャ・オキーフNatasha O’Keeffe 本名 Natasha Dervill O’Keeffe 生年月日 (1986-12-01) 1986年12月1日(35歳) 出生地 イングランド、ブライトン 職業 俳優 活動期間 2008年 – テンプレートを表示 ナターシャ・オキーフ(Natasha Dervill O’Keeffe、1986年12月1日

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レスラー方程式 – Wikipedia

xy位相平面におけるレスラー・アトラクタの軌道(a = 0.2、b = 0.2、c = 5.7) レスラー方程式(レスラーほうていしき、Rössler equation)とは、3次元の連続時間力学系の一種。次のような自励系の3変数連立常微分方程式で示される。 {dxdt=−y−zdydt=x+aydzdt=b+xz−cz{displaystyle {begin{cases}{frac {dx}{dt}}=-y-z{frac {dy}{dt}}=x+ay{frac {dz}{dt}}=b+xz-czend{cases}}} ここで、t:連続時間(独立変数)、x、y、z:t の従属変数、a、b、cは定数(パラメータ)。レスラー系とも呼ばれる。 西ドイツの化学者オットー・レスラーにより、1976年の論文 “An equation for

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上田悦子 (ロボット工学者) – Wikipedia

上田 悦子(うえだ えつこ)は、日本のロボット工学者・情報工学者。大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部ロボット工学科教授。工学博士。 IEEE関西支部 WIE AG(Women in Engineering Affinity Group) 2019/2020チェア[1]。 専門は、知能ロボティクス・ヒューマンモデリング、感性情報学・プログラミング(特にPython)、コンピュータビジョン(特にOpenCV)など。 主な所属学会は、日本ロボット協会、IEEE、計測自動制御学会、日本臨床バイオメカニクス学会など。 目次 1 経歴 2 主な著書 3 外部リンク

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事務官 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “事務官” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年9月) 事務官(じむかん)は、日本における官職の一種。一般に、日本の国家機関の事務を掌る官職に用いられる。 現行制度における事務官[編集] 概要[編集] 今日の国家公務員においては、国家公務員採用試験において行政、法律、経済、行政事務等の区分による試験に合格し、日本の行政機関に採用された者が事務官の官名を受けるほか、任期付職員のうち、係員相当から課長補佐相当の職務を与えられる者が任官する官職である(技官も参照)。 各省に置かれる事務官は、旧制度、現制度のいずれにおいても、所属する省の名前から「省」の字を除いたものを「事務官」の前に冠する。例えば、外務省職員の事務官は、「外務事務官」を官名とする。ただし、所属する機関が院、府の場合は「会計検査院事務官」「内閣府事務官」のように、機関の正式名称をそのまま「事務官」の前に冠する。 また、内閣事務官(内閣官房)、内閣法制局事務官、警察庁事務官、検察事務官(検察庁)、小笠原総合事務所事務官については、それぞれの所属官庁の設置法等に基づき、所属する府省名と異なる名称が定められている。 行政機関以外の国の機関では、司法機関においては裁判所では裁判所事務官、検察審査会では検察審査会事務官と称する。他方、立法機関である国会では事務を掌る職員を参事といい、衆議院参事、衆議院法制局参事、参議院参事、参議院法制局参事、裁判官弾劾裁判所参事、裁判官訴追委員会参事や国立国会図書館参事といった職名を用い、事務官の官名を用いない。 事務官の肩書[編集] 現制度においては、昇進にともなって防衛部員、防衛書記官と官名が変わる防衛省や、試験によって裁判所書記官への選抜・転換が行われる裁判所を例外として、多くの行政機関では、採用試験に合格して初めて任官してから退職するまでの間、事務次官などの役職名と官名が一致する特別の官職に昇任するか、別の機関に出向しない限り、事務に従事するほとんどの職員の官名は「事務官」から変わらない。 従って、各府省では、上は局長級の者から下は採用されたばかりの係員に至るまで、事務を担当する一般職の職員のほとんどすべてが官名を事務官とする。また、事務系の区分で採用され、事務を行う職員であれば一律に「事務官」と称されるのが通例であるので、刑務官や国税専門官のような専門性の強い職種であっても、官名では事務官(法務事務官・財務事務官)を用いる例が多い(例外は入管法を設置根拠とする入国審査官、労基法を設置根拠とする労働基準監督官、鉱山保安法を設置根拠とする鉱務監督官など)。 通例、課長・係長等の役職に就いているものは、肩書きとして役職名を用いるため、官職名である事務官は辞令など限られた場合でしか用いられない。そのため、事務官を肩書きとして名乗るのは、役職を持たない主任・係長級未満の職員が中心となるので、単に「事務官」というと「平社員」といったニュアンスを帯びることがある。

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ソレデモシタイ/おんなじさみしさ – Wikipedia

「ソレデモシタイ/おんなじさみしさ」は、2014年12月10日に発売された平井堅の通算37枚目のシングル。発売元はアリオラジャパン。規格品番は初回限定盤がBVCL-619/20、通常盤がBVCL-621。 2014年通算2枚目となるCDシングル盤である。 表題曲「ソレデモシタイ」は、スリリングな恋愛を描いた禁断のLOVE SONG、と紹介されている楽曲である[2]。デリー(インドの都市)で撮影され、インド人やインド人に紛した平井堅自身が当楽曲で踊るミュージック・ビデオが制作され、初回限定盤付属のDVD-Videoにメイキング映像とともに収められた[3]。両A面扱いである「おんなじさみしさ」は、NHKドラマ10『さよなら私』(2014年10月 – 12月放送)の主題歌に起用された楽曲。 前述の初回限定盤のほか、フルヴォリューム盤と呼ばれるCD-DAのみの通常盤が同時発売となり、映画『ANNIE/アニー』主題歌「Tomorrow」のカバーが収録された。 ディスクジャケットは初回限定盤と通常盤で異なる絵柄であり、インド人の格好をした平井堅と女性が被写体となっている。音楽番組において、同様の衣装を着衣し出演したことがある[4]。発売当時のCDパッケージには、タイアップ情報と購入者へ向けた応募特典情報等を記載したシールが貼られたほか、購入店舗ごとで異なる外付けのグッズが一部で配布された[5]。また、応募特典詳細を記載したフライヤーが封入された。 2015年に発売されたシングル「君の鼓動は君にしか鳴らせない」の通常盤に「ソレデモシタイ」のtofubeats Remixバージョンが収録されている[6]。 初回限定盤[編集] CD ソレデモシタイ [3:44] 作詞: 平井堅、作曲: Divine Brown, Aileen De

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中部ドイツ放送 – Wikipedia

中部ドイツ放送Mitteldeutscher RundfunkMDR 形態 テレビ・ラジオ放送 国 ドイツザクセン州・ザクセン=アンハルト州・テューリンゲン州 視聴可能 地域・国内・国際 開局 19241991 公式サイト mdr.de 中部ドイツ放送(ちゅうぶドイツほうそう、ドイツ語: Mitteldeutscher Rundfunk, MDR)は、ザクセン州ライプツィヒに本部を置くドイツの公共放送局。ARD加盟9局のひとつで、ザクセン州・ザクセン=アンハルト州・テューリンゲン州の各州を放送地域とする。 ARD加盟局において、新連邦州(旧東ドイツ地域の州)のみを放送地域とする唯一の局である(ベルリン=ブランデンブルク放送(rbb)は旧西ベルリンを含むため)。 ライプツィヒのMDR本部 1924年にライプツィヒで「中部ドイツ放送株式会社(Mitteldeutscher Rundfunk

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時課 – Wikipedia

時課(じか、ギリシア語: ὧραι, ラテン語: Divinum Officium, ロシア語: Часы , 英語: Hours)とは、キリスト教(正教会・カトリック教会)における特定の奉神礼・典礼を指す用語。 狭義 – 「時課」の名を持つ奉事である一時課・三時課・六時課・九時課(1時課・3時課・6時課・9時課) 広義- 時を定めて行われる日々の祈りの全て 本記事では広義の時課全体について詳述する。 概要[編集] 正教会における、晩課・早課も含めた、広義の時課が行われる大まかな時刻の図解。教会暦においては一日は日没に始まり日没に終わる。但し、このような時刻で全ての時課が行われる事は、大規模な修道院を除き極めて稀である。 正教会において時課とは、時を定めて行われる奉神礼である昼夜奉事(ちゅうやほうじ)の全てを指す。狭義には昼夜奉事のうち、時課との名を持つ奉事(一時課・三時課・六時課・九時課)のみを指す。それぞれ時を定めて行われ、それぞれ意義が与えられている。聖詠・讃詞・カノン・連祷などから構成されている。 時間[編集]

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ニジニ・タギル市電 – Wikipedia

ニジニ・タギル市電(ロシア語: Нижнетагильский трамвай)は、ロシア連邦の都市であるニジニ・タギル市内に存在する路面電車。ソビエト連邦(ソ連)時代の1937年に開通し、2020年現在はニジニ・タギル市の単一企業体であるタギルスキー軌道(タギルスキー・トラムヴァーイ、Тагильский трамвай)によって運営される[4][5]。 工業都市として長い歴史を有するニジニ・タギル市内に路線網を有する路面電車。1935年のソビエト連邦閣僚会議で建設計画の承認を受けた後、1937年から営業運転を開始した。第二次世界大戦(大祖国戦争)前の路線網の拡張に加え、1960年代から1980年代初頭にかけては住宅地の開発による工業地帯と住宅地を結ぶ輸送手段として多数の系統が開通し、1986年時点の年間利用者数は3,500万人にも及んだ。その後、ペレストロイカやソビエト連邦の崩壊などによる経済の混乱により車両や施設の保守に難が生じ、1996年時点の年間利用客数は1,400万人にまで減少したが、それ以降は運営組織の再編や新型車両の導入により近代化が図られている。その過程でニジニ・タギル市が運営していた路線については1999年に単一企業体のタギルエレクトロトランス(Тагилэлектротранс)へ移管されたが、財政難の結果2006年に破産が宣告され、翌2007年に都市電気輸送管理会社(Управляющая компания городским электротранспортом)へ再度移管された後、後述のように2008年からは現在のタギルスキー軌道による運営となっている[4][5][6]。 ニジニ・タギル市内の公共交通に加えて各地の工場への移動手段と言う役割を持つ事から、2000年代までニジニ・タギル市および同市が所有する単一企業体の系統と同市に工場を有するウラルヴァゴンザヴォード(ロシア語版)によって運営される系統が並立していたが、2008年9月1日に後者が所有していた車庫の運営権がニジニ・タギル市に譲渡され、以降は両者とも市営単一企業体のタギルスキー軌道によって運営されている[4][5]。 2020年現在、ニジニ・タギル市電では以下の系統が設定されている。ただし経由する高架橋の修繕工事に伴い、2020年6月15日以降一部系統が運休しており、それに伴う臨時系統の新設や運行系統の一時的な増発などの措置が取られている[3][7][8][9]。 運賃については2020年8月1日に改訂が行われ、片道21ルーブルとなっている[注釈 1]他、ニジニ・タギル市民を対象とした1日(70ルーブル)、半月(600ルーブル)、1ヶ月(1,100ルーブル)単位の乗車券、企業を対象とした1ヶ月分の定期券(1,200ルーブル)等の展開も行われており、学生や年金支給者は割引の対象となる。運賃は現金のほか、各種クレジットカードやアプリケーションからも支払い可能である[10]。 系統番号 経由 備考 1 УВЗ → Островского/ГГМ [7]

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