ザフィーラ(Zafira)はオペルが生産、販売していたミニバン。 日本には、初代(2000年から2001年)、2代目(2005年から2006年)が導入された。 日本でのスバル・トラヴィック(初代モデルのみ。販売終了)のほか、英国ではボクスホール、タイ王国・中華民国・ブラジルなどではシボレー、豪州ではホールデンといったブランド名でも販売されていた。 初代 ザフィーラA(1999年 – 2005年)[編集] 欧州ブランド車としては最初の小型ミニバンとして1999年に発売された。1997年フランクフルトモーターショーのアストラG販促CD内に1つだけミニバンの写真が収録されており、それが公開された最初の姿である。オペルの小型乗用車アストラをベースに開発されており、3列シートを持つ。3列目は3列目下に収納され、荷室を完全フラットにする事ができ広大な空間をとる事が可能。 2000年4月、ヤナセによる輸入・販売が開始された。エンジンはアストラなどに搭載されるX181型1.8Lで、それに4ATを組み合わせたCDXグレードのみで展開された。2001年モデルよりZ18型レギュラーガソリン仕様エンジンに変更され10馬力パワーアップした[1]。しかし、後述のトラヴィックとの兼ね合いなどから販売不振に陥り、発売から僅か1年8ヶ月で販売が中止された。 燃料電池自動車「ハイドロジェン3」のベース車となっており、燃料は液体水素を採用、60kWの交流電動機を搭載する。日本では2003年にフェデックスに貸与して東京都内で配送車としてのモニター試験が行なわれた[2]。 販売価格に関する問題[編集] 2001年8月、ザフィーラのOEM車である「トラヴィック」がスバル(当時は富士重工業だった)から発売された。同車はスピードスター等にも搭載された上級のサターン製2.2Lエンジンを搭載しており[注 1]、装備においてもザフィーラに優っていたも関わらず、その価格設定は50-100万円程度安価なものであった(但し、ザフィーラにおいてはサイドエアバッグが標準装備)。 同型輸入車のあからさまな販売価格の逆転は、日本における外国ブランド車の価格設定におけるプレミアム価格(上乗せ金)の存在を如実に示すものとして話題になった[3][注 2]。このような状況の下、ヤナセによる販売は累計3,300台程度をもって2001年12月に中止となり、オペルの日本市場撤退の最大要因となったと言われている。トラヴィックとザフィーラの併売期間は4ヶ月程度であった。 2代目 ザフィーラB(2005年 – 2014年)[編集] 2005年7月より欧州で販売開始。その後、チリ、メキシコ、タイではシボレーブランドで販売された。
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