広平府 – Wikipedia

広平府(廣平府、こうへいふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の河北省邯鄲市一帯に設置された。

1368年(洪武元年)、明により広平路が広平府と改められた。広平府は北直隷に属し、永年・曲周・肥郷・鶏沢・広平・成安・邯鄲・威・清河の9県を管轄した[1]

清のとき、広平府は直隷省に属し、永年・曲周・肥郷・鶏沢・広平・成安・邯鄲・威・清河・磁州の1州9県を管轄した[2]

1913年、中華民国により広平府は廃止された。

  1. ^ 『明史』地理志一
  2. ^ 『清史稿』地理志一