識名盛命 – Wikipedia
識名親方盛命(しきなうぇーかたせいめい、1652年1月29日 – 1715年11月18日)は、琉球王国の官僚、政治家、日本文学研究者。沖縄三十六歌仙の一人。唐名としては毛起龍を名乗った[1]。
毛氏伊野波殿内と呼ばれる貴族の家に生まれた。伊野波盛紀の三男であり、伊野波盛平の弟でもある。盛紀と盛平はともに三司官を務めた経験があり、[2] 、盛命自身も1702年から1712年まで三司官を務めていた[3]。盛命の任期中には、『おもろそうし』(1710年)の収集や、 [1]史上初の沖縄方言の辞書である『混効験集』(1711年)の編纂を担当した。 [4]
盛平はまた、日本語(本土方言)で書いた詩的な日記である『思出草(おもいでぐさ)』を残している [1][5]。
参考文献[編集]
- ^ a b c 識名盛命 (しきな・せいめい)
- ^ 識名盛命旧宅跡(シキナセイメイキュウタクアト)
- ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
- ^ こんこうけんしゅう【混効験集】
- ^ 識名盛命
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