Month: June 2020

ジョン・ダルトン (ミュージシャン) – Wikipedia

この項目では、ジョン・ダルトン (ミュージシャン)について記述しています。ジョン・ダルトンの同名の人物については「ジョン・ダルトン」をご覧ください。 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “ジョン・ダルトン” ミュージシャン – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年10月) ジョン・ダルトン(John Dalton, 1943年5月21日 – )は、イギリスのベーシスト。ピート・クウェイフの後任としてキンクスに加入したことで最もよく知られる[1]。 生い立ち[編集] ジョン・ダルトンはミドルセックスのインフィールドで生まれる。ハリー・ウェッブ(後にクリフ・リチャードとして名声を博した)と同時期にチェスハント中等学校で教育を受けた。ダルトンの望みはフルタイムのミュージシャンになることであり、1959年に彼はベースギタリストとしてダニー・キングとブルージャックスに参加した(しかしながら、2009年のインタビューで彼はそのバンドに参加したとき演奏することはできなかったと主張した[2])。彼はクリフ・リチャードの最初のバンドを去ったばかりのノーマン・ミサムと一緒に演奏した。 ブラックジャックス、マーク・フォー (1959-1966)[編集]

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当貝 – Wikipedia

杭州当贝网络科技有限公司Hangzhou Dangbei Network Technology Co., Ltd. 種類 公開会社 業種 インターネット 設立 2013年8月 創業者 金凌琳 本社 中国浙江省杭州市浜江区濱康路228号万福中心C座[1] 製品 アプリケーションストア、電気機器 ウェブサイト http://www.dangbei.com/

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開豊郡 – Wikipedia

開豊郡(ケプンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属していた郡。漢江河口部に面する。 2019年10月に隣接する開城市とともに黄海北道から分離し、開城特別市の一部となった。 黄海北道の南端に位置する。北から東にかけて開城市が隣接し、西には礼成江を隔てて黄海南道白川郡がある。 南は漢江河口を隔てて大韓民国統治下の仁川広域市江華郡である。 行政区画[編集] 1邑・28里を管轄する。 開豊邑(ケプンウプ) 高南里(コナムニ) 広畓里(クァンタムニ) 光修里(クァンスリ) 南浦里(ナンポリ) 大蓮里(テリョンニ) 大龍里(テリョンニ) 徳水里(トクスリ) 礪峴里(リョヒョンニ) 臨漢里(リマンニ) 嶺井里(リョンジョンニ) 龍山里(リョンサンニ) 墨山里(ムクサンニ) 墨松里(ムクソンニ)

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どうぶつの森+ – Wikipedia

『どうぶつの森+』(どうぶつのもりプラス、英題:Animal Crossing)は、任天堂より発売されたコミュニケーションゲーム。どうぶつの森シリーズの第2作目。 前作からわずか8か月という異例の早さでリリースされた。前作は日本国内のみの発売だったが、本作は世界各地で発売されている。 ゲーム内容は前作がベースになっているが、タイトル通り、様々な要素が追加されている。オリジナルの服や傘などを作れる仕立て屋や、虫・魚・絵画・化石を寄贈できる博物館が新たに建てられた。また、新しいどうぶつも登場するほか、一部キャラクターのグラフィックが変更された。そしてハードの性能向上により、フレームレートが60fpsに向上した。 ゲームボーイアドバンス(GBA)をGBAケーブルでつなげることで村の海岸沖に島ができ、船乗りのカッペイに連れて行ってもらえるようになった。島内ではGBAでも操作できる。また、GBA同士をつないで島のデータを交換もすることもできる。 前作より家具や虫、魚などの数が増え、虫取りの方法に特殊な動作を必要とする虫も登場した。ファミコン家具として新たに『ベースボール』、『麻雀』、『五目ならべ 連珠』、『パンチアウト!!』などが追加された。 あいことばを手紙に書いて送ると、そのキャラクターから返事が来るシステムも登場した。あいことばは「どうぶつの森+ カードe」に記載されており、ファミコン家具などを入手することができる。本作の公式ホームページ上には、期間限定でファミコン家具のあいことばが掲載されていた[1][2]。「どうぶつの森+ カードe」は一時期品薄状態が続き、任天堂ホームページ上でお詫びの文章が掲載された[3]。 本作ではメディアが光学ディスクとなったことにより、全てのセーブデータはメモリーカードで管理されるようになった。これにより前作の『どうぶつの森』ではカセットに保存された村データと、コントローラーパックに保存された手紙の記録データを1つのデータとして統合された。なお、本記事では便宜上「村データ」と称する。 本作は「メモリーカード59」が同梱されて発売されていた。これは本作のメモリーカードの必要ブロック数が59であることに起因し、2002年7月に発売された大容量の「メモリーカード251」は本作発売当時の時点ではまだ発売されておらず、ましてや本作一本だけで「メモリーカード59」の容量全てを村データとして使い切ってしまう仕様だったためである。また初期生産分同梱のメモリーカードには、前作の「コントローラパック同梱版」と同様に、「けけミュージック」、「ファミコン家具」、「スタッフからの手紙」が収録されている。 本作でセーブデータの管理方法が変更されたことに伴い、お出かけの仕様も一部変更。お出かけ先となるメモリーカードに『どうぶつの森+』の村データが保存されているか否かで2つの方法に分かれる。 前者はお出かけ先として『村データが保存されているメモリーカード』を用いることで、前作では一度しか見られない「初めてプレイした際に「みしらぬネコ」と出会う汽車のシーン」を介した上でそのまま他の村へ直接出かけることができる(車内でお出かけ先の村データを準備する)。その上これらとは別の『村データが保存されているメモリーカード』を次の「お出かけ先」として用いることで、滞在中のお出かけ先を「お出かけ元」とした上で別の村へそのまま直行することもできる。ちなみにこの方法でお出かけする場合の注意点として、どれがどの村データが保存されたメモリーカードが分からなくなることのないように目印を付けることが推奨されている。 後者はお出かけ先として『村データが保存されていないメモリーカード』や『別プレイヤーのお出かけデータが保存されているメモリーカード』を用いることで、前作ではコントローラーパックに保存された「おでかけデータ」がメモリーカードに保存される。その上メモリーカードの空きブロックに余裕があれば、何人でもおでかけデータを保存可能。これによりお出かけ元として『複数プレイヤーのおでかけデータが保存されたメモリーカード』と、お出かけ先として『村データが保存されているメモリーカード』を用いた場合、村のプレイヤー選択と同様におでかけデータを選択する。ちなみに前者の方法でお出かけ中に現在のお出かけ先を「お出かけ元」として出発する場合、次の「お出かけ先」となるメモリーカードが『村データが保存されていないメモリーカード』だった場合にもお出かけデータが保存される。 前作から本作にセーブデータを引き継ぐ「データお引越しサービス」が行われたことがあり、サービス利用者にはファミコン家具の『アイスクライマー』がプレゼントされた(現在はサービス終了済み)。また、次回作の『どうぶつの森e+』には、メモリーカードを使う事で「お引越し」をすることができる[4]。 イベント[編集] 年末年始のカウントダウンや運動会などがある。 どうぶつの森+ カードe[編集]

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雨畑ダム – Wikipedia

雨畑ダム(あめはたダム)は山梨県南巨摩郡早川町にある富士川水系早川支流雨畑川に建設された発電専用のダムである。 日本軽金属がアルミニウム製造の電力確保のために、柿元ダムに続いて建設した民間企業所有ダムであるが、柿元ダムが重力式コンクリートダムなのに対し、地形上の理由でアーチ式コンクリートダムとなっている。 柿元ダム同様このダムより発電された電気は静岡県静岡市清水区にある蒲原製造所へ送られアルミニウムの精錬に使われている。 近年ダム底の堆砂が進んでおり、2016年の堆砂率は93%と総貯水量500万m3以上のダムではトップとなっている[2]。また、この堆砂や土砂の不法投棄などで雨畑川から早川、さらには富士川を経て駿河湾へ濁水が流れ、サクラエビの不漁の原因になっているとする指摘があるが因果関係は証明されていない。[3][4] また、2011年9月の台風での山腹崩落による河川への土砂の流入、2020年7月の台風では上流の稲又第3砂防堰堤などが破損[5] するなど自然災害が発生する地域であり、山梨県の調査[4] によれば降雨時などに雨畑ダムに流入する雨畑川上流の濁りが確認されている。[6] 死の川[編集] 日本軽金属が運営する雨畑ダム。山梨県の自治体に多額の補償金を渡し、一方で山梨県からの天下りを受け入れることで、富士川の汚染を黙認させ、富士川を「死の川」にしたと2019年より静岡新聞の特集記事で報道されている。 雨畑ダムの下流にある富士川はかつてはアユ釣りが盛んで、2010年ぐらいまでは熊本県の球磨川とともに「尺アユ」(30cmを超える大型のアユ)が釣れる川として全国に知られた。なかでも「富士川鮎釣り大会」は、富士川町制90周年記念として1991年に第一回が開催されて以来、山梨県の観光資源の一つであった。しかし2010年代以降はアユの生息がほぼ確認されていない。 静岡新聞の報道では、少なくとも台風被害による土砂流入で上流河川の懸濁が続いた2011年以降、山梨県の元治水課長が社長(当時)を務める採石業者(日本軽金属が一部出資)が雨畑川(山梨県早川町)に凝集剤として水中の懸濁物質を分離するために利用されるアクリルアミドポリマーを含む汚泥を不法投棄したことにより、富士川水系の中下流域が汚染され、生物が生息できない「死の川」となっている[7]。駿河湾におけるサクラエビ漁業も、1999年には2451トンの水揚げがあったものが2020年には25.8トンと近年は著しく減少しているが、日本軽金属雨畑ダムの濁った水が早川、富士川を経て駿河湾に注ぎ込んでいるためだと2020年現在の静岡県知事の川勝平太は主張している[8]。雨畑ダムは日軽金の経営する発電専用のダムで、ダム湖の水は日本軽金属のアルミ製錬のために利用され、普段は富士川に放出されずに日軽金の敷設した専用のパイプラインを通って日本軽金属蒲原製造所(静岡市清水区)の放水路から放出されるが、2016年時点での堆砂率93%と全く治水機能を持たないため、雨が降るたびに近隣への浸水を防ぐために発電を停止し、洪水吐ゲートからヘドロを含んだ大量の土砂を富士川に吐き出していた。採石業者は「増水すれば流れる」[9] と承知のうえで汚泥を敷地に投棄、またコンクリ業者も採石業者の許可を得てコンクリくずを採石業者の敷地に投棄し、ほとんどが雨畑川に流出した。雨畑ダムの堆砂率の多さから、2019年8月の台風10号によってダム周囲の集落が浸水するなど大きな被害を受けたため、水害対策の為に角瀬発電所への水の引き込みは2019年8月より停止しており、現在は雨畑ダムの濁った水が富士川水系にそのまま流れている。 サクラエビの不漁問題を抱える静岡県側では非常に問題視されており、山梨県の採石業者の不法投棄問題も、由比港漁協(サクラエビが水揚金額の約9割を占める)の訴えを受けた静岡・山梨両県の合同調査によって2019年に判明した。この問題は静岡新聞では積極的に報道されており、駿河湾のサクラエビ問題に始まってヘドロ不法投棄問題から戦後の日本軽金属の水利権問題にまで切り込んだ静岡新聞の特集「サクラエビ異変」が2021年に「水産ジャーナリスト賞」を受賞している[10]。静岡新聞は「駿河湾の宝石」と呼ばれるサクラエビの不漁の元凶として雨畑ダムと日本軽金属を2019年より激しく非難しており、2020年元旦には日本軽金属が雨畑ダムを含む富士川水系の4つの発電所を「アルミ製錬のために利用する」という建前で実際は売電に転用していた「水利権の目的外使用」であったことを報道[11]。2020年2月には地元政治家(山梨1区)の中島克仁衆院議員を動かして政府の答弁書を引き出し、2020年11月には山梨県が国交省からの意見聴取を受ける事態となり、2021年2月より日本軽金属の水利権問題が国会で議論されるまでに至った[12]。静岡新聞は山梨県の自治体による「水返せ運動」を引き起こすべく、山梨県や地元自治体に対する情報公開請求やアンケートなどの数々のアクションを起こしている。 一方で、山梨県側としては特に問題視もされておらず、サクラエビの不漁問題の原因も「不法投棄の泥かは分からない」と考えており、したがって検出試験などの調査も行われていない。2019年に行われた山梨県・静岡県の合同による富士川の浮遊物質量の調査の結果では、山梨県側としては「調査前にまとまった降雨の見られたときを除き、目立った濁りは見られなかった」という認識であり、「富士川は、水の汚れが少ない、清らかな川」[13] と結論付けられた。一方で、静岡県側としては「環境基準の4倍を超えた観測地点があった調査日が、早川中下流で5日、雨畑川上流・雨畑ダム貯水池では8日あった」という認識であり、その濁りの原因を公式発表に記載しようとして山梨県側と対立、公式発表まで半年もめた末、山梨県大気水質保全課の公式発表とは別に静岡県水産業局が「雨畑川上流からの土砂流入が原因の可能性が高い」と静岡県庁で「独自の補足」を行う異例の事態となった[6]。山梨県の採石業者の不法投棄問題は、当初は山梨県によって刑事告発も検討されていたが、2019年6月に「撤去完了」し、また下流域の水質にも異常は見られなかった(山梨県環境整備課の認識)ため、告発はなされなかった。 これらの富士川流域(山梨県内)の問題への対処は静岡県と山梨県で温度差があるのも問題で、静岡新聞では2019年元旦より連日報道されているが、山梨県内ではあまり報道されておらず、山梨県環境整備課も「富士川にアユがいない」ということを2020年12月に静岡新聞の報道で知ったとのこと。また、2020年現在の山梨県知事の長崎幸太郎は、雨畑ダムのヘドロ問題はあくまで浸水対策の観点から問題視しているだけで、さらに「山梨県は海がないので、われわれが関心を持っているのは河川だ」[8] と、駿河湾のサクラエビ問題には全く関心を持っていないため、[要出典]山梨県は静岡県側と協力してヘドロ問題に対処する行動をみせながら、現実には両県で対立している[14]。雨畑ダムは、2019年の台風19号で県道や「雨畑の吊橋」が崩落し[15]、地区の孤立を招いたために長崎知事がダムを視察して日軽金を厳しく批判した[16] が、日軽金自身も雨畑ダムの問題で2020年3月期に特別損失110億円を計上する[17] など手を焼いており、国から行政指導を受けたために誰かが対処せざるを得ない雨畑ダム問題は、2021年現在、山梨県と日軽金で問題を押し付け合う形となっている。[要出典] 富士川から鮎がいなくなっても、富士川漁協(山梨県身延町)からは特に問題視されていないが、その背景として、日本軽金属から富士川漁協に年間1500万円という多額の補償金が流れていることを静岡新聞が2019年6月に報道した[18]。

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夢羽菜 – Wikipedia

夢羽菜(ゆうな、2001年11月10日 – )は、日本の女優、女性アイドル。「フラミングの法則」のメンバー[2]。シェリーズ・エンタテインメント有限会社所属。 2019年12月、SHOWROOMで配信開始[3]。 2020年6月9日、オーディションを経て、ダンスボーカルユニット「フラミングの法則」のメンバーに選出された[4]。 2021年6月12日、期間限定で「フラミングの法則」の姉妹グループのメンバーを兼任する事が発表された[5]。 2021年7月10日、フラミングの法則YouTubeライブ配信にて、姉妹グループ名は「屋上シャウト!」、コンセプトは「青春パンクロック」と発表された[6]。 2021年12月14日、「フラミングの法則」の解散と2022年1月以降に解散ライブを行うことが発表され、「屋上シャウト!」専任となった[7]。 2022年3月14日、「屋上シャウト!」は、メンバーの変更と同時に、4月からは「D☆SHOUT」と改名して本格的に活動を開始することが発表された[8]。 小さい頃の夢はプリキュアになること。幼い頃からダンスが好きで、小学生の頃からダンサーになるという夢を持っていた。 特技はコンテンポラリーダンス、モダンダンス、バトントワリング。 趣味は海外アーチストコンサート、愛猫いじり[9]。 テレビ[編集] 今夜はナゾトレ~ナゾトレ川柳四天王スペシャル~(2020年7月21日、フジテレビ) – 女子高生役で写真出演 全力坂(2021年4月5日、15日、28日、テレビ朝日) CM[編集] Music Vdeo[編集]

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流れ藻 – Wikipedia

サルガッソー海の流れ藻 流れ藻(ながれも、drifting algae, drifting seaweeds)とは、海面に浮遊している種々な藻類や海草の総称である。 各海域における流れ藻[編集] 世界的には大西洋のサルガッソー海 (Sargasso Sea) の流れ藻が有名であるが、この流れ藻もホンダワラ属の Sargassum natans と Sargassum fluitans である。両種とも浮遊した状態で繁殖する生活史を繰り返している。また、ベルギーではホンダワラ属の Sargassum muticum、ヒバマタ目の Ascophyllum nodosum

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経ヶ峰 – Wikipedia

あのう温泉から経ヶ峰を望む 経ヶ峰山頂からの展望 経ヶ峰(きょうがみね)は、三重県津市安濃町、芸濃町、美里町をまたぐ標高およそ819メートルの独立峰である。標高819メートルの語呂合わせから「ハイク(ハイキング)」の山として親しまれている。旧常明寺跡や赤地蔵、めなし地蔵がある。経ヶ峯と表記されることもある[2][3]。 由来 [編集] 長野家の家臣、進藤左金吾(近藤左金吾という説もある)が写経した大般若経100巻を経ヶ峰山頂に埋納したことが、山名の由来といわれている。現在も、山頂にて塚状の土地がある。かつては地名の「安濃」から「安濃岳」と呼ばれた。 文献によると、以下の史料に経ヶ峰が登場している。 『三国地志』「上世大刹タリシカ旧領主織田信良ノ時廃ス 経ヶ峯ノ半腹ニアリ 尤佳景ノ地ナリ」        『勢陽五鈴遺響』「大智山淨明寺 同淨明寺村ニアリ 本尊五智如来 往昔ハ大刹ニテ小院モ多シ 寺領五十貫アリ 織田上総介信包長野城領主之トキ寺産モ没収ス 今纔二大日堂ノミ遺レリ 経ヶ峯麓ニテ八町許坂路ヲ歴テ到ル道傍ニ化粧地蔵ト号ス石仏アリ 眼下二安濃郡県ノ村落勢尾東海ヲ望ミ景致寂寥タル絶堺ナリ」[4][5][6][7]」 校歌の中の経ヶ峰[編集] 経ヶ峰は、以下の14校の校歌に登場している。 津市立村主(すぐり)小学校「天の架け橋 経ヶ峰」[8][9] 津市立辰水(たつみず)小学校「峰聳え立つ経ヶ峰」(平成29年3月31日閉校) 津市立明合(あけあい)小学校「経ヶ峰を仰ぎ見て」 津市立草生(くさわ)小学校「窓に聳える経ヶ峰」 津市立東観(とうかん)中学校「経ヶ峰に雲なびく」[10] 三重大学教育学部附属中学校「み空に映ゆる経ヶ峯」[11] 津市立美里(みさと)中学校「朝日に映ゆる経ヶ峯」(平成29年3月31日閉校)  津市立西郊(せいこう)中学校「はるかにのぞむ経ヶ峰」[12] 津市立豊里(とよさと)中学校「山姿秀でし経ヶ峰」[13] 津市立西橋内(にしきょうない)中学校「山脈遠き経ヶ峰」[14]

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対馬島の日 – Wikipedia

対馬島の日(つしまとうのひ)とは、大韓民国の慶尚南道 旧馬山市が2005年3月18日に制定した記念日で、毎年の6月19日である。 6月19日は、1419年の応永の外寇の際、李氏朝鮮軍の将軍李従茂が対馬征伐のために馬山浦を出発した日である[1]。日本の島根県が制定した「竹島の日」に対抗して制定された記念日で[2]、「対馬島の日」条例には「対馬島が韓国領土であることを内外に知らしめ、領有権確立を目的とする」と明記されている[3]。 「対馬島の日」制定の背景[編集] 竹島に関して、韓国は一方的に警備隊を上陸させ施設の構築を行ったり、竹島海域での軍事演習を行うなど、実効支配を強化する方策をたびたび実行してきた。日本政府もそのたびに韓国政府への抗議を発表し、竹島の領有権を継続的に主張してきた。しかし、日本側がこのような領有権の主張を行うたびに、韓国ではキジ科の鳥(日本の国鳥はキジである)を惨殺したり、日の丸や時の首相の肖像を燃やしたりするなど、日本に対する抗議行動が巻き起こった。 2005年2月22日、こうした問題への認知を求めるため、竹島を管轄する日本側の都道府県である島根県は「竹島の日」条例を制定する。これに対し、韓国側ではやはり抗議行動が発生し、韓国外交通商部も「竹島の日」制定を非難する声明を発表する事態となった。 このような中、対馬海峡(朝鮮海峡)に面する市で、竹島問題には当事者性が無く関与権の無い自治体である慶尚南道馬山市の市議会が、同年2005年3月18日に制定したのがこの「対馬島の日」条例である。 なお、「対馬は韓国領」という主張は、この「対馬島の日条例」が制定されたことによって巻き起こったものではなく、それ以前の比較的早い段階から叫ばれてきた主張である。実際、独島博物館(1997年開館)の正面入り口に「対馬はもともと我々の領土」(対馬島本是我国之地)という碑石が設置されたのは2002年8月であり、それをさらに遡る2001年5月には「対馬島は我々の領土」という曲が発表されている。また、2004年7月に小泉首相が訪韓した際に開かれた集会(反日デモ)では、主催者らが「対馬を韓国に返還するよう日本に促す一方、韓半島への侵略の歴史を謝罪」するよう求めている[4]。 李承晩による対馬の領有権主張[編集] 第二次世界大戦直後、韓国の初代大統領に就任した李承晩(在任1948年 – 1960年)は、「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した」「決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟碑は対馬の至るところにある」「1870年代に対馬を不法占拠した日本は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになったのだから、韓国に返すべきだ」などと述べ[5]、対馬及び竹島(韓国名:独島)の領有権を主張した。この時の領有権主張はGHQが1951年8月に出したラスク書簡によって却下されたが、その翌年の1952年1月にいわゆる李承晩ラインが韓国側によって一方的に設定され、竹島がその内側に入れられたことから、竹島は以後日韓両国が互いに領有を主張する領有権問題の地となった。一方、李承晩ラインの外側に外れた対馬は、以後長く領有権の係争対象として扱われていない。 古来日本領であった対馬は、元寇(文永の役、弘安の役)の際に、モンゴル帝国(元)・高麗連合軍の侵略を受けてたが撃退している。また、朝鮮王朝時代には、倭寇の本拠地として、朝鮮側の侵略を受けているがこれまた撃退している。(応永の外寇) 条例の制定[編集] 2005年3月18日、馬山市議会は第109回臨時会を開いて「対馬島の日」条例案を緊急に上程し、出席者全員の賛成で可決した(議員数30人、欠席1人)。市議会では当初、島根県の「竹島の日」条例の廃棄を促す決議案を論議していた[要出典]が、より攻撃的にしようという雰囲気が強くなり「対馬島の日」の条例の制定に至った。 この条例の目的は、対馬島、つまり対馬が韓国の領土であることを内外に主張し、領有権を確保することにある。 一方、韓国外交通商部は代弁人の論評を通じて「不必要な論議を誘発する可能性が高い」と馬山市に自制を求めた[6]。 対馬市議会の波田政和議長は2006年10月6日、馬山市議会に『対馬島の日』条例の廃止を要請したが、馬山市議会は、「対応する価値がない」として条例を廃止しないことを明確にした[7] 。 条例を制定した馬山市は、2010年7月1日に昌原市・鎮海市と合併して「昌原市」となり、条例は同市に継承された。その後、2012年12月11日に昌原市議会は条例の全面改正案を可決し、旧条例に代わり新たに『昌原市対馬島の日条例』が制定され、現在はこちらが根拠条例となっている。

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