若松政和 – Wikipedia

 若松政和 八段
Wakamatsu masakazu shogi.jpg

2018年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前 若松政和
生年月日 (1939-08-10) 1939年8月10日(82歳)
プロ入り年月日 1967年10月1日(28歳)
引退年月日 2000年3月31日(60歳)
棋士番号 98
出身地 兵庫県神戸市長田区
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 藤内金吾八段
弟子 谷川浩司、井上慶太、藤原直哉
段位 八段
棋士DB 若松政和
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
通算成績 372勝499敗(.427)
竜王戦最高クラス 4組
順位戦最高クラス C級1組
2019年4月4日現在
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若松 政和(わかまつ まさかず、1939年8月10日 – )は将棋棋士。2000年、引退。棋士番号は98。藤内金吾八段門下。兵庫県神戸市長田区出身。

1961年、アマ名人戦で優勝し、史上初のアマ六段となる。

1967年度後期の奨励会A組(三段リーグ)関西で優勝し、関東優勝の野本虎次との東西決戦で勝利してプロ入りをする。

1970年度、四段にして棋聖戦で本戦出場。

1971年度、第2回新人王戦において、決勝三番勝負で森安秀光を2-0で破って優勝。これが棋戦初優勝となる。同年度、古豪新鋭戦ではベスト4。

1976年度、第3回名棋戦においては、決勝で青野照市に勝って優勝。

1978年度、第19期王位戦でリーグ入り。

  • 谷川浩司のほか、井上慶太、藤原直哉も若松の弟子である。
  • 若松の師匠の藤内が坂田三吉の弟子であるため、若松は坂田の孫弟子の一人。
  • 1987年度 – 1994年度、日本将棋連盟の理事を務める(1993 – 1994年度は、常務理事)。
  • 女流王位戦五番勝負のうち、神戸新聞社所管の対局の立会人を第1期から2018年の第29期まで務め続けている。当該対局が第4局以降に当てられることもあったが、すべて開催に至っている[1][2]

昇段履歴[編集]

  • 1964年 1級
  • 1964年 初段
  • 1967年10月1日 四段(奨励会A組関西優勝 + 東西決戦で勝利) = プロ入り
  • 1973年11月3日 五段(贈五段 = 表彰感謝の日)
  • 1984年4月1日 六段(勝数規定 = 五段昇段後120勝)
  • 1999年4月1日 七段(フリークラス規定)
  • 2000年3月 引退
  • 2019年4月1日 八段(退役棋士昇段規定)[3]

主な成績[編集]

通算372勝499敗

1992年、現役通算25年表彰

棋戦優勝[編集]

  • 新人王戦 1回(1971年度 = 第2回)
  • 名棋戦 1回(1976年度 = 第3回)
優勝合計2回

在籍クラス[編集]

  • 竜王戦 自己最高4組
  • 順位戦 自己最高C級1組

関連項目[編集]

  • 将棋棋士一覧
  1. ^ 立会人は若松政和七段”. 女流王位戦中継Blog (2016年5月12日). 2019年1月30日閲覧。
  2. ^ 夕食会”. 女流王位戦中継Blog (2018年5月21日). 2019年1月30日閲覧。
  3. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。

外部リンク[編集]