中野滋樹 – Wikipedia
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 大分県 |
生年月日 | (1980-08-01) 1980年8月1日(41歳) |
身長 体重 |
176 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 |
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監督・コーチ歴 |
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中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 – )は、大分県出身の元社会人野球選手(捕手)、野球指導者。
人物・来歴[編集]
柳ヶ浦高等学校では同学年の古卿大知とともに2年の夏からレギュラーとなり[1]、3年次に夏の甲子園に出場。初戦で松坂大輔らを擁する横浜高校に敗れた。東洋大学では2年上に小川将俊(後に中日)、同級生の飯田庸資の存在があって[2]控えだったが卒業後にミキハウスに入社。1年目の2003年からレギュラー捕手となり、日本選手権では首位打者賞を獲得する活躍でベスト4進出に貢献するも、能見篤史を擁する大阪ガスに敗れた[3]。2004年のシーズン終了後、ミキハウスが企業スポーツ活動の見直しで野球部の活動を大幅縮小したのに伴い、吉田博之監督の誘いを受けてJR九州に移籍[4]。
移籍1年目から正捕手となり、小松聖や藤岡好明、補強選手の川崎雄介らの能力を引き出す好リード[4]で都市対抗でのベスト4進出を支えた。秋には九州予選の第1代表決定戦で決勝本塁打を放ち、日本選手権出場を決めている[5]。2006年には高根沢力が引退したアマ日本代表に招集され、鈴木健司らとともに正捕手として期待をかけられている[6]。2008年には監督代行のような存在と吉田に評されるほどの高い信頼を得ている[7]。
現役引退後はJR九州でコーチを務めている。2021年をもってコーチを退任。
日本代表キャリア[編集]
- 第23回ハーレムベースボールウィーク日本代表(2006年)
- 第15回アジア競技大会野球日本代表(2006年)
- 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表(2006年)
- 第39回IBAFワールドカップ日本代表(2011年)
- 第26回アジア野球選手権大会日本代表(2012年)
- 第6回東アジア競技大会野球日本代表(2013年)
- 第17回アジア競技大会野球日本代表(2014年)
主な表彰・タイトル[編集]
- 社会人野球日本選手権首位打者賞(2003年)
- 都市対抗野球大会 首位打者賞(2010年)
- 社会人ベストナイン(2010年・捕手)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2014年)
- ^ 朝日新聞、1997年6月20日付朝刊、大分地方面
- ^ 毎日新聞、2005年8月19日付朝刊、福岡地方面
- ^ 毎日新聞、2003年11月30日付朝刊、P.27
- ^ a b 毎日新聞、2005年9月9日付西部版夕刊、P.10
- ^ 毎日新聞、2005年10月22日付朝刊、福岡地方面
- ^ 毎日新聞、2006年11月27日付朝刊、P.19
- ^ 毎日新聞、2008年9月1日付朝刊、P.24
関連項目[編集]
- 大分県出身の人物一覧
- 東洋大学の人物一覧
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