小牧秋葉祭 – Wikipedia

小牧秋葉祭(こまきあきばまつり)は、愛知県小牧市にある小牧神明社の末社・秋葉社で、毎年8月20日前後の土・日曜日に行われる祭である。

小牧神明社の末社・秋葉社(須佐之男社・御嶽社・天神社・稲荷社と、一棟の社殿に合祀)
  • 天明年間(1781-1789年) – 中町に在住した成田屋又七が発起して、山車1両を奉納[1]。その後、横町・上本町・下本町の山車が加わる。
  • 大正2年(1913年) – 秋葉社が、それまでの西町(玉林寺の前)から現在地(小牧神明社境内)に遷される。
  • 太平洋戦争中は、一時中止。
  • 昭和29年(1954年) – 日程を、それまでの「旧暦7月26日-28日」(3日間)から「7月28日-29日」(2日間)に変更。山車の巡行コース等も簡素化。
  • 昭和34年(1959年) – 伊勢湾台風で、山車蔵(山車用の倉庫)[注釈 1]が倒壊。以降、祭が中断[1]
  • 昭和52年(1977年) – 神明社西側に山車蔵を新設。祭が再開。日程も、現在の「8月20日前後の土・日曜」となる。
  • 昭和57年(1982年)7月27日 – 秋葉祭の山車が、小牧市指定有形民俗文化財となる[1]
  • 平成3-4年(1991-1992年) – 市の補助を受けて、山車全4両を解体修理[1]

土曜日には宵山が行われ、各町内を回った後、ラピオの前に集合する。

日曜日は昼に行われ、各町内を出発した山車が神明社に集まり、4両による壮麗な祭絵巻が繰り広げられる。途中に各町内にある屋根神の前で奉納する。

各山車の詳細・演目[編集]

唐子車(からこしゃ) 【中町】[編集]

山車本体については、上述。からくりは、中唐子・小唐子と采振り人形(唐子)の3体で、文政年間(1818年-1830年)に3代目玉屋庄兵衛の作によると伝えられる。

中唐子が小唐子に太鼓のたたき方を教えると、それをまねて小唐子が梅の木で倒立をして太鼓をたたく。

秋葉車」・「鼻車」の別称を持ち、秋葉社でのからくり奉納や道行の際は常に先頭となる。

聖王車(せいおうしゃ) 【横町】[編集]

山車本体は、江戸時代末期から明治初年の間に、枇杷島から購入したと伝えられる。からくりは、聖王と唐子2体と采振り人形。聖王人形は文政7年(1824年)に隅田仁兵衛が、唐子2体と采振り人形は安政2年(1855年)に5代目玉屋庄兵衛が、それぞれ製作したものとされている。

一方の唐子が、もう一方の唐子の肩の上で倒立をして太鼓をたたくと、大将人形の聖王が軍配を振ってほめる。

湯取車(ゆとりしゃ) 【片町・上之町】[編集]

山車本体の制作年代は不明。からくりは、笛吹き・太鼓打ちと巫女と神官の4体。明治35年(1902年)に6代目玉屋庄兵衛が製作したもの。

湯取神事を主題としている。巫女が豊作を占ってもらうため、神官に伺いをたてると、釜の中から稲穂(白紙の紙吹雪で表現している)が吹き出してくる。その様子にあわせて、笛吹きと太鼓打ちがそれぞれの楽器を演奏する。

西王母車(せいおうぼしゃ) 【下本町】[編集]

山車本体は、名古屋から譲り受けたと伝えられる。からくりは、唐子2体と采振り [注釈 2]。唐子2体は、明治4年(1871年)に竹田新助が製作。采振りは、昭和33年(1958年)に奥村秀次郎が作り直したもの。

唐子が桃の小枝を持って踊っていると、傍らの桃が割れて別の唐子が飛び出し、四方を向いてチャッパを叩いて踊る。

  • 山車は、名古屋市を中心とした尾張地方に広く見られる「名古屋型」という形式で、「三階屋台」とも言われている。
  • 各山車には前棚人形があり、そのうち3両が采振り人形である。采振りは、山車が通りの辻や折り返し場所へ来たとき等に采を振り、祭りの道中の邪気を祓っているとされる(湯取車のみが、笛と太鼓の演奏人形)。
  • 山車蔵も特徴的で、横にスライドできるようになっている。
  1. ^ 当時は、玉林寺前(旧社地)付近にあった。
  2. ^ 「西王母車」という名称だが、西王母の人形は存在しない。
  1. ^ a b c d 小牧市/秋葉祭の山車”. 小牧市 (2017年8月31日). 2017年12月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 千田靖子『からくり人形の宝庫 : 愛知の祭りを訪ねて』中日出版社, 愛知県郷土資料刊行会(発売)、1991年。全国書誌番号:92029226ISBN 4885190711。
  • 『小牧神明社の三大祭(小牧の文化財 / 小牧市教育委員会編, 第14集)』小牧市文化財資料委員会編、小牧市教育委員会、1993年。全国書誌番号:93060758

関連項目[編集]

外部リンク[編集]